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小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑮

秋 東京日本橋

「ねえ、明日の晩、急だけど、日本橋あたりで集まらない、私、ちょうど予定がなくなったから、時間ある?」

初秋の頃、橋本雅子の声がけで、平田厚と和田裕二の三人が日本橋の小料理屋に集まった。三人が顔を合わせるのは2月以来だった。

「久しぶり、元気だった?みんなで集まってから、もう半年以上経ったよね。その後、どうしてた?」席に着くなり橋本が声をかけた。

「そうだね、早いね、あれから結構、みんなに変化があったよな。やっぱり今年は俺たち65歳になるから人生の節目だなって、やっと俺にもわかったよ。最近、自分では気づかなかったけど、動作が少し爺臭くなって来たんだよね。この前、久しぶりに娘が口を利いたら、お父さん、定年になったら、すっかり老けたよね、大丈夫、なんて言われちゃったよ」 
 平田がまんざらでもない顔をして話を始めた。

「そう、それは良かったじゃない、娘さんが気にかけてくれて、私は平田君、あまり変わったと思わないけど」橋本が応えた。

「でも、電車の優先席の前に立ったら、最近は椅子を開けてくれるようになった。俺、髪が真っ白だからね。それとシルバー割、色々とあるね。最近、また、映画館に通ってるよ」

「あら、それは良いこともあるのね。私はまだ現役だから、その恩恵は気づかなかったわ。でも、私、前の会社に戻ったじゃない、私の同世代で残っているのは数人だけ、ちょっと居心地は悪いよね。まだいるんだ、みたいな感じで、外資じゃあまり感じなかったけど、日本の会社に戻ったら、違和感があるのよね、却って」

「へえー、そんなもんなんだ」平田が応えた。

「で、和田君は、珍しく疲れてる感じだけど?」橋本が聞いた。

「そう見えるかもね。あれから労働争議を担当することになってね。それも大手企業じゃなくて、関東の中小企業の客なんだけど、結構苦戦してるんだよ。典型的なオーナー企業で、組合との議論よりも、ワンマン社長とのやり取りの方が大変でさ。団体交渉に社長が一切応じないんで、労働争議にまで発展しちゃって。社長の家の前で、組合員が拡声器でシュプレヒコールを上げてるよ」

「今どき、そんなことあるんだ。人手不足もあるし、賃上げも当たり前になったから、今は労働者の方が強くなったのかしら。お疲れさま」橋本が同情した。

「今回は中小企業オーナー対外国人労働者の図式で、色々と初めての経験でしんどいけど、勉強にはなってるよ」和田が応えた。

「確か、和田君、中津で外国人労働者の相談に乗るって言ってたけど、進捗はあるの?」

「いや、忙しくて、それどころじゃないよ。でも、この間、外国人労働者のことは色々と勉強させてもらったよ」

「そうか、大変そうだな、でも、がんばんな。俺の方はね、今、歴史作家協会に勤めてるじゃない。メンバーで一番、俺が年下なわけよ。中津の話をしたら、みんな、それじゃ取材旅行に行こうって雰囲気になってるわけ。でも、大勢で、諸先輩方をお世話して、なんて考えると大変だなって思って、その後あまり話は進めてないんだけどね」

「そう、でも、ぜひ案内してあげてよ。私の方は、相変わらずバタバタしてます。一応、母親は上京するってなったんで、これだけは一段落。これから、家の片づけをしたり、実家に戻って引越しの準備をしたり、ちょっと、忙しくなるけどね」橋本が自分の近況を伝えた。

「今日はタイミングが良かったけど、実はこの前、千葉の福永の家に行ってきたよ。仏壇に線香をあげてきた。なんか、分骨したみたいね。もう、奥さんや子供たちも中津にそんなに墓参りには行けないし」平田が告げた。

「ちょっと待って、お店の人に悪いから、早く注文しよう、私が選んでいい?」話の途中、橋本が早口で、酒と料理の注文を終えた。

「それで、福永君の家、どうだった、以前、何周忌かでみんなで行った覚えがあるけど。最近はずっと行ってないもんね」

「奥さんも元気そうだったし、息子さんたちも立派に成人して就職したみたいよ、一人は最近、結婚したみたいだったし」

「そう、それは良かったわね」橋本が応えた。

「それでね、ずっと聞けなかったけど、思い切って奥さんに、癌が分かってから、福永はどうだったって聞いてみたよ」仏壇の前で、平田は奥さんに話しかけたとのことだった。

「いやね、奥さんがもう時効だからって、正直に話をしてくれたけど、癌が見つかってからはじめは大変だったみたいよ」平田が話を始めた。

「奥さんと二人で病院に結果を聞きに行ったらしいけど、いきなり末期がんです、余命3か月、長くて半年、病院では治療の方法がないので、自宅でゆっくり家族と過ごしてくださいって言われたらしいよ」

「ほう、そうか、それで」和田も身を乗り出して聞き始めた。

「癌の告知を受けて二日間、福永は子供みたいに家の布団の中で泣きっぱなしだったって。奥さんがなだめて、それこそ、ずっと添い寝してあげたらしい」

「へえ、そんなこともあるんだ」橋本がつぶやいた。

「それから、やっと三日目の朝になって立ち直ったみたい。少し腰が痛かった程度で、はじめは本人に自覚症状はあまりなかったみたいだけど、体は見るからに細っていったみたい。そして、それからは奥さんと子どもたちとべったりの時間を過ごしたんだって。人が変わったように、時間が限られてるから一秒も無駄にしたくないって。奥さんの買い物やら、子供を駅まで送り迎えしたり、週末は、国内で旅行をしまくったらしいよ。それから、自分の身の回りの整理を始めて、会社も退職手続きをして、市役所やら、銀行やら、年金事務所やら、全部調べて、奥さんが心配ないように済ませたみたい。俺は、昔、福永から少し家のことは聞いてたけど、夫婦仲が特別良かったと思わなかったけど、人は変わるんだなって思ったよ」

「そうだったんだ、奥さんも大変だったわね。でも、最期は家族と親密に過ごせてよかったね」橋本が感慨に耽っていた。

「急に癌の告知を受けて、残された家族をそんなに気遣える人はいないと思うよ。やっぱり、福永は心がやさしい奴だったから、最期まで、家族を大切にしたんだね」和田も感心したようにつぶやいた。

「それで、奥さんに聞いたのよ、なんで、俺たちに福永は病気のことを教えてくれなかったのかなって。そしたら、奥さんから、俺たち宛にって、この福永の手紙を出して来たんだ」平田は鞄から、すでに封が開いた封筒を取り出した。 

「奥さんがね、福永が少し気分が落ち着いたんで、自分から俺たちに病気のことを知らせようかって言ったらしい。そしたら、福永はそれはやらなくっていいって、口止めされたみたい。奥さんの話によれば、友達に合わす顔がない、同級生も困ると思う、だから、自分が手紙を書いておくから、後になって渡してくれって言われて、ずっと、その手紙を預かってたみたい。最後の時間は、家族と4人だけで過ごしたいので、会社の人も含めて、誰にも会わなかったみたいよ。さすがに、母親は九州から出て来て、最期の対面をしたようだけど」

「そうだったんだ。やっぱりね。福永君、恥ずかしがり屋だったし、あまり弱い姿を見せたくなかったと思うよ。私たちにどんな顔をして会えばいいかわかんなかったんじゃない。彼は最後まで私たちのことも考えてくれたんじゃないかな」橋本が言った。

「それで、話は続くけど、福永は奥さんに、自分が亡くなった後すぐに渡さないで、10年後の2021年の2月、同窓会が開かれるはずだから、その前に、その手紙を渡してくれと頼んだみたいよ。ところがコロナになったし、奥さんも、その後、そのことを忘れてしまって、ちょうど俺が線香を上げに来るとなって思い出したみたい。悪いけど、俺は先に読ませてもらった。全員宛に手紙が書いてある。今日、この手紙、どうみんなに見せようかって、相談したかったんだよ」平田がそう言うと、橋本がすぐに応えた。

「分かった、じゃ、私にその手紙、ちょっと読ませて」橋本が封を開け、和田も一緒に読み始めた。分量はさほど多くなかったが、二人とも息をこらして、最後まで読み終わった。

「さすが、福永君ね、私が彼の立場だったら、絶対にこんな文章は書けないわね、本当に、私たち、彼の友情に感謝ね」橋本は涙声で、手紙を握りしめていた。

「まさか、10年先を見越して、俺たちの同窓会の時に読んでくれなんて、最期まで福永は芸が細かいよな。いつも、俺たちを笑わせるのが得意だったけど、本当に思いやりのある奴だった」和田ももらい泣きをしていた。

「それで、これどうするつもり、他のメンバーにはどう知らせるの」橋本が聞いた。

「手紙の写真を撮ってコピーしてみんなに送る?早い方がいいだろ」平田が尋ねた。

「そうだね、でも、本来は2年前に、故郷でみんな集まった時に、福永は読んで欲しかったんだろ。だから、やっぱり、これはみんながいる前で回して読むか、読み上げてもいいんじゃないかな」和田が意見した。

「そうね、じゃ、みんなでまた、東京で集まる?でも、九州にいる朝吹君と小幡君の都合はどうかな?」橋本が訊いた。

「分かった、やっぱり、いつ全員で集まれるか分からないし、俺も奥さんから預かって、早くみんなに読んで欲しいから、やっぱり手紙の写真を添付して送るよ。また、集まりは、年末か新年に企画してもいいじゃない。どうかな」平田の言葉で話はまとまった。手紙は数日後、平田からメールが送られることになった。

それから、三人はほどなく会話も終わり、解散した。

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