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小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋②

1981年2月 渋谷

この日集まったメンバーは学生時代によく酒を酌み交わした仲間だった。大学に入学した当初、東京や大学の雰囲気になじめず、メンバーは高校で特に仲が良かったわけではなかったが、声を掛け合い集まっていた。

1970年代の後半、当時の大学生は、メディアで新人類とかノンポリ世代と称されていた。60年代末の全共闘やその後の学生運動が沈静化した頃で、どちらかというと大人しい世代と見なされていた。授業が終わった後、多くの学生は喫茶店や雀荘に繰り出し時間を潰した。インベーダーゲームが流行っていた頃だ。アメリカの映画『サタデー・ナイト・フィーバー』がヒットし、日本でもディスコが大流行した。学生たちは夜の渋谷や新宿、池袋のパブに出かけ、ダンスに興じた時代だった。

そうした世の風潮の中、いつも集まるメンバーの間で、酒ばかり飲んで騒いでも進歩がないという話になり、読書会を始めることになった。渋谷の宮下公園近く、一階に電気店が入るビルがあり、そこの二階の喫茶店、バトーが読書会の場所になった。バトーはフランス語で船という意味で、店内は船倉をイメージして、デッキを模したロープが張られ、丸いガラス窓のある部屋が幾つもあった。その中のお気に入りの部屋の一つを、メンバーはいつも使っていた。読書会に選んだ本の中には『モラトリアム人間の時代』というタイトルで、慶應の心理学の教授が書いた本があった。その本は当時の若者の雰囲気を伝えていた。以前の学生運動が提起した体制変革の目標はすでに大学のキャンパスにはなく、ただ、モラトリアム(猶予)という、将来の漠然とした不安が学生の心を占めていた。当時の日本経済は高度成長を経て、オイルショックを経験した後、低成長時代にすでに突入していた。

渋谷での読書会は、大学3年生の頃になると、それぞれの大学生活や就職活動が忙しくなり自然消滅した。しかし、卒業間近に、再び同じメンバーが集まり、大学生活の記念に文集を作るという話になった。読書会で議論したことや、それぞれが社会へ出る前の自分の思いを記すという趣旨だった。

文集のタイトルだけは早く決まった。中島みゆきの歌の題名『時代』から取った。特に理由があるわけではなく、只、カラオケの最後にいつもみんなで合唱する歌だったからだ。

そして、読書会のメンバーの5、6名がエッセイや小説、論文を寄せて、全体で80ページになる冊子が刷り上がった。表紙の絵は執筆者の一人がデザインしたものだった。

冊子が出来上がったのを記念して、全員で8人のメンバーが渋谷のバトーに集まった。ひとしきり感想を言い合い、しばらく過ごした後、メンバーの一人、福永光男から提案があった。
「40年後に故郷の中津に集まろう、文集を持ち寄り、それまでの人生を振り返ってもいいんじゃないか」と。

東京での数年間に過ぎなかったが、福永は同級生と濃密な時間を過ごしたことを大切に考えていた。大学で知り合った学友もいたし、これから社会に出て友達もできるだろう、しかし、田舎から出て来て、互いに身を寄せ飲み語りあった仲間とは、何事にも代えられない友情を育んだと思っていた。

福永の提案に、全員がすぐに賛同した。誰もその提案に反対する理由がなかった。

二十歳そこそこの年齢で、その時、還暦の頃の自分をイメージできる者はいなかったが、その頃に一度、人生の振り返りがあっていい、そんな直感が働いていた。

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