見出し画像

熊本城 BBBとみんなの城

シンボルと傷心

都市や街のシンボルが、自分の生活や心の中の一部を占めていて、もし、それが、損壊や消失の被害に遭った場合、人は自分の身体の一部が傷つけられたような、もしくは、心にぽかっと穴が開いたような感じを受けるかもしれない。

それゆえ、自分が住む街のシンボルが傷ついた時、それをすぐに修復したいと思うのは自然な感情かと思う。

5年前の熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城は、そうしたシンボルの一つだ。

被災直後の熊本城の姿を見て、心を痛めた人は多いに違いない。

その熊本城は現在「復興のシンボル」として、市民や修復に駆けつける人たちと一体になりながら、復旧への歩みを続けている。

画像5

今回、熊本城天守閣の完全復旧が終わり、被災後初めて内部を公開するというタイミングで、熊本市を訪れた。博多から熊本までは九州新幹線を利用すると30分あまりと近い。ちなみに、九州の西側を南北に貫通する九州新幹線は10年前に博多と鹿児島間で開通している。

まずは、熊本駅の印象から伝えておきたい。

駅舎は数年前に新しくなったばかり。目新しい土産品店やレストランの施設が充実している。
駅を出ると目の前がぱっと開けており、隣接する全国ブランドの店舗が入る複合ビルは完成して間もなく、眩しい雰囲気を出している。
そして、駅舎の外観のデザインは建築家の安藤忠雄氏によるものだ。
建物は、熊本城の石垣「武者返し」をイメージして、強くて美しい威風を表現したという。
熊本駅のグレードアップには間違いなく貢献したと思う。

画像1

尚、熊本市の人口は70万人を超える。九州の中では福岡市(約150万人)、北九州市(約100万人弱)に次ぐ規模だ。熊本は明治の一時代、九州最大の都市だったという。路面電車の窓から街並みを眺めていると、その片鱗が伺えた。

BBBの時代

ところで、BBB(Build Back Better)という言葉を耳にしたことがあるだろうか。

昨年、アメリカ大統領の選挙期間中に民主党の選挙スローガンとして使われた言葉だ。
今では、コロナにより疲弊したアメリカを再建しようという、バイデン政権の政策スローガンとして、世上に知られているかと思う。

近年、世界的に自然災害は後を絶たず、また、パンデミックによる人的、経済的被害は深刻だ。BBBのスローガンは世界中のどこの地でも適用可能かと言えるような状況になってきた。

以前から日本では「より良い復興」、「創造的復興」という意味として、BBBの略語は、行政や災害復興の専門家の間で使われていたようだ。

こうした言葉は、被害を受けた状況を単に元の状態に戻す、というだけでなく、復興により、以前よりも、より良いものを未来に残したい、という理念を表わしたものと捉えている。

市民から愛され400年も続いた歴史的文化財の復旧作業は、古くからの建築素材や技術を解明し、良いものを継承しながら、新しい時代に相応しい「より良いもの」を創造する行為だと思う。

それゆえ、熊本城の復旧事業は、とてつもなく多くの人たちの知恵とエネルギーが必要とされる仕事だと想像している。

画像5

復興へのハイ・スピリッツ

さて、本論に入ろう。
熊本城の完全復旧は、専門家の間では20年はかかると予測されている。
今回、被災から5年が経過し、現在進む復旧の様子を報告したいと思う。

熊本城を訪れたのは梅雨の晴れ間、気温が30度を超す暑い日だった。
炎天下にも拘わらず、天守閣の完成後、初めての一般公開という緊張感もあってか、屋外にあっても、受付や案内の方々の対応がテキパキしており、気持ち良く見学をすることができた。

「熊本地震からの復興を実感していただくよい機会。(熊本城は)復興のシンボルでもあり、皆さんの心の支えになるものでもある。厳しい状況の中でも前向きになってもらえる公開にしていきたい」
一般公開を前にして大西一史熊本市長はこう述べている。

また、熊本県の蒲島郁夫知事も早くから「創造的復興」の理念を掲げて、県全体の復興に取り組んでいるようだ。

熊本城の今の姿をぜひ見て欲しいというスタッフの意気込み、リーダーが復興のビジョンを高く掲げていること、こうしたことがあってか、城内で、関係者のハイ・スピリッツを感じ取ることができたのは私だけではないだろう。

画像7

空中歩廊という仕掛け

まず、南の入口から天守閣へと向かう「特別見学通路」という新しく設営された空中歩廊について説明したい。
現在、城内は危険な場所も多く、自由に見学者が移動できるわけではない。それゆえ、この通路は見学者の安全を考慮した新たな見学ルートとして空中に作られたものである。

そして、この通路の設計には現場の復旧プロセスを少しでも間近に見てもらいたいという意図も込められているようだ。

空中歩廊は、高さが5メーター以上はあり、幅は4メーターほどある。木製の床が敷かれ、歩廊を支える骨組みのパイプは極めてシンプルな構造になっている。例えると、少し幅を広くして高低差を小さくしたジェットコースターの線路のような姿をイメージするとわかりやすいかもしれない。

歩廊は少しずつ蛇行し、左右の景色をゆっくりと眺めながら歩くことができる仕掛けとなっている。陽射しが照りつける中、速足で進む人もいたが、私の場合、仕掛けにまんまとはまって、ゆっくりと時間をかけて歩くことになった。

画像4

歩廊からの目線は地面を歩くことと比べて、当然ながら高くなり、城内にある櫓や門、石垣などをより広い角度から目にすることができる。

歩きながらふと、映画の撮影現場でクレーンに乗り上下に浮遊しながら撮影するカメラマンのような気分になったから不思議だ。遠くに見える天守閣の姿や整然と組まれた武者返しの石垣がより立体的に見えてくる。それほど、遠距離、近距離での城内のパノラマビューが素晴らしく、自分ではまたとない経験をしたように思えた。

画像9

また、目線を違う方角に向けると、崩れた石垣の修復や、復旧中の建物も目に入ってくる。
全長350メーターほどの歩廊をゆっくりと歩いて進むだけでも、マルチスピードで進む復旧の姿を一望できる仕掛けになっている。工事に携わる人も、応援する人も、一緒に復興の歩みを進めようという気持ちを感じた。

画像10

しかし、この通路も今回の工事が終わる20年後には撤去されるということを聞いた。見学者には評判がよいので大変残念な話だ。個人的な意見としては、この空中歩廊は、将来にも残してほしいレガシーだ。むしろ、空中歩廊を延長して、城全体をぐるりと囲み、ジェットコースターに乗る気分で、様々な高さや角度から、城内を楽しむことができれば、どれほど良いかと思っている。

ともあれ、空中歩廊を見る限り、創造的復興という実践例を垣間見た気がした。

飯田丸の踏ん張り

画像4

空中歩廊の話に少し力が入りすぎてしまったようだ。話を戻そう。

熊本城の櫓の一つ、飯田丸五階櫓の震災直後の姿を記憶している人は多いのではないだろうか。角石だけで、建物全体の倒壊を防ごうとする姿に、心配もし、感銘を受けた人は少なくないと思う。

以前、NHKで、この建物の復旧工事を伝えるドキュメント番組を見た。施工会社の技術者の復興に寄せる心意気が、番組を通して伝わったことを覚えている。この番組の中では、技術者が高い志で今までにない工事に取り組み、技術面の課題やリスクを抱えながらも、初期の工程を成功裡に終えたことを報じていた。

こうした事例のみならず、復旧工事の過程を通じて、色々な場所で、新しい発想や技術のブレークスルーが起こっているものと推測する。

恐らく復興のシンボルとしての熊本城を復旧するという大義があって、現場の志気が高まり、新たな創造が起きているものと思う。尚、現在、飯田丸五階櫓は建物や石垣の解体工事が進行中である。

気品のある天守閣

時間をかけてようやく空中回廊から出ると、天守閣の全体を一望できる広場に道が繋がっている。

天守閣の第一印象は天気のせいもあるだろうが明るかった。この5年の間は足場が設定されていて、大規模な復旧工事が行われてきたと思うが、その跡を微塵も感じさせないほどに、完成されていた。

画像11

恐らく、震災直後の天守閣の姿に心を痛め、その後の復旧を見守り続けた熊本市民からすると、生まれ変わった天守閣の姿を見て、本当に晴々しい気分になるのではないか、そう想像しながら何度も天守閣を仰ぎ見た。

画像11

実は、子供の頃に一度、修学旅行で城を訪れたことがある。当時の天守閣は、全体に黒のイメージが強く、周囲を寄せ付けない、やや怖いお城、という印象だった。

ところが、今回、目の前にある城は、むしろ白地が黒地に勝り、全体として明るく、清潔感のある佇まいに見えて少々驚いた。そして、近づきやすく、気品も感じられ、私の中の天守閣のオーラは陰から陽へと大転換したようである。

現場のエンジニアとの立ち話では、漆喰がもう少しこなれてくると全体の風合いも変わるかもしれないとのことだったが、個人的には今の印象がずっと続いてくれるのを望むばかりだ。

天守閣の中に入ると、新しい耐震構造の見える化がされている。目に見えない技術の結晶も建物全体に配列されているものと思う。内装にも随所に丁寧な仕事の跡を感じた。やや手狭な階段を登り詰めた頂上からの街の眺めはまた格別であったことも記しておきたい。

画像12

また、城の歴史を伝える展示物の内容も充実しており、盛りだくさん。すべてを吸収するには丸一日はかかりそうだ。
そして、中でも一番人が集まっていたのは被害と復旧のプロセスを伝える展示のエリア。恐らく地元の方々が多かったと思うが、ようやく天守閣が元に戻り安堵する姿に熱いものを感じることができた。

透明な足場と「がんばれ」の声援

補足となるが、天守閣の工事で、後に知って興味深かったのは最初に天守閣を覆う足場を作るときの話。通常、街中でのビル建設の現場は、外壁やシーツで覆われ、中で何がどう行われているか、全く分からない。しかし、今回、天守閣の工事現場では、足場を外からも見えるようにする、覆うネットも透き通るものにして、天守閣の姿がおぼろげでも見えるようにする、という方針になったらしい。この辺りも、誰のための城なのか、何のための復旧なのか、ということを十分議論しながら、関係者の間で強いコンセンサスが生まれて、工事を進めてきたのではないかと理解している。

画像6

ちなみに、通常、工事の現場では、周囲の通行人から「うるさい、何やってるんだ」と叱られるのが普通とのこと。しかし、熊本城の現場では、皆さんから「がんばれ、ありがとう」と声をかけられるという。やはり、復興のシンボルという特別な場所が、訪れる人たちのハイ・スピリッツも誘発するのかもしれない。

復興城主とお金のこと

最後に、今回、復旧費用を補う新しい寄附として「復興城主」というスキームがあることも知ったので共有したい。

これは「城主証」を発行して、市内の観光施設で利用できる特典を付与し、一人1万円から参加できる寄附のかたちだ。やや面はゆいネーミングだが、すでに11万人以上の人が名を連ねて、総額も26億円を超えているようだ。

こちらも、市民や応援者らが主体となって、自分たちの城を支えていく、新鮮な取り組みだと思う。

画像13

当初の計画によれば、全面復旧までの20年間で600億円を超える費用が見込まれている。

コロナ前、熊本城には年間200万人の観光客が訪れていたようだ。

こうした実績があり、これからハードと同時にソフトも充実させ、ファンディングも工夫をすれば、復旧計画を支える十分な財政基盤を築くことは可能ではないかと感じた。

みんなの城

さて、今回の訪問を通して感じたこと、理解したことをまとめて報告を締めくくりたい。

まずは、熊本城の復旧に携わる人たちのハイ・スピリッツとそれを支える市民の熱い思いに触れることができた。

より良い復興という共通善に向かって、市民や関係者が一体となっての取り組みは、レガシーとしてこれからも続いていくものと思う。

そして、これまでの400年の復旧から、これからの400年を創造する試みは今から始まっているものと想像している。

画像14

より良い、創造的な復興という、明確な復興のビジョンが指し示されたこと、熊本城を復興のシンボルとして、周囲を巻き込む求心力としたこと、さらに、開かれた復旧というプロセスを取り入れ、人々の心の支えを作ったこと、こうしたことの積み重ねで、熊本城は見事に、みんなの城に転換したのではないかと思っている。

歴史的建造物や文化財を街のシンボルとして生かそうとする試みは各地で行われているかと思う。

熊本城のチャレンジは今後、多くの地域に影響を与えていくのではないだろうか。

これからの展開も期待したいところである。

最後に、個人的には、また、熊本を訪れたいもう一つの理由がある。熊本の郷土料理だ。一文字ぐるぐる、からし蓮根、だご汁をお昼に満喫した。花より団子。胃袋をつかめば、人を引き付けるのも事実である。また、遠くない将来に熊本を訪れたいと思っている。

画像15


関連サイト:

熊本城
https://castle.kumamoto-guide.jp/

熊本城復旧の姿 
https://youtu.be/6zi4REZrRUA

熊本城特別見学通路
https://youtu.be/QIe4BOkSdJQ
https://www.nihonsekkei.co.jp/projects/10984/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?