継続するための知見

自分は徹底的に物事を継続することが苦手だが、継続の大事さは嫌という程わかっているつもりだ。

そのため、今まで何度も物事を継続する試みを続けてきた。だが、意識して継続しようと思ったそれらのことは現在一つも継続できていない。

「ブログを毎日書く」だとか、「アプリを開発する」だとか「英語を勉強する」だとかはどれも挑戦したが、いつ間にか止めてしまっている。

意識していないこと、例えばフットサルなんかは社会人になってから現在までずっと続いていることではある。別に「週一回必ずやる」とか決めているわけではないが、一ヶ月に一回はやっていると思う。これに関しては、主体的に開催しているわけではなく、誘われた時に必ず行っているだけだが、まあ続いていると言えるだろう。

それはさておき、今回は意識して継続したいことが続かないという問題だ。これまでに色々と挑戦してきて、続いたのは最高で四〜五ヶ月といったところ。これからも懲りずに継続することに挑戦する気持ちはあるが、一旦これまでの失敗を反省することにする。

目標が曖昧、あるいは大きい

例えば、「ブログを毎日書く」という目標だが、いつまで書けば達成するのかわからない。三ヶ月続いたとして、そこで終わってしまえば失敗になるのだろうか。今までの経験では「失敗した」という思いが強かった。「三ヶ月続いた!」とはならなかった。一年続いたことはないが、仮に一年続いていれば「成功した!」と思えただろうか。それについてはわからないが、ともかくいつまで経っても達成感がないのは良くないと思う。

では仮に、「ブログを毎日、一年続ける」ではどうだろうか。良さそうに思えるが、やはりこれもダメなのだ。何故なら、今まで一ヶ月も続けることができなかった自分がいきなり一年も続けることを目標にするのはあまりにハードルが高過ぎるからだ。今まで一ヶ月も続けることができていないのなら、まずは「一ヶ月続ける」ことを目標にした方が良い。これを達成した時、初めて「続けることができた」と思えるのではないだろうか。その後に止めてしまってもいいのだ。まずは一ヶ月続けることができた自分を褒めるべきだ。

アプリ開発なんかでも、いきなり一年規模のアプリ開発を始めようと思うのは無謀だ。自分が一ヶ月しか物事が続かないとわかっているなら一ヶ月規模のアプリをまずは作るべきだ。その後、余力があればそのアプリを拡張していく方が良いだろう。まずは「完成させた」という事実を作ることが大切だ。

「毎日」は無理

目標を掲げる時に「毎日〜をする」としがちだが、毎日何かをやるにはかなりの気力が必要だ。風邪を引いた時はどうする? 旅行にいった時は? もしその日にできなかったら、その瞬間、目標は「失敗」となる。一度「失敗した」と思うと、一気にやる気がなくなり、続けるのが億劫になってくるものだ。なので、「毎日〜をする」という目標はかなり危険なのだ。

掲げるなら「週3回〜をする」や「月何回〜をする」の方が良いと思う。それならば、ある程度調整は効くので、無理なく続けられる可能性が高い。

ただし、「週3回」と決めたら必ず週3回やること。ちょっとでも、「今週は疲れてるし週2回でもいいや」となると、そこから一気に瓦解し始め、そのうち「週1回」となり、そしてやらなくなる。最初に決めたことは鉄則として必ず守る方が継続する可能性は高まる。

今後もやっていく

これらを踏まえて、また何か挑戦しようと思う。もし無理だったら、また、なんで無理だったのかを考えて次に挑戦するつもりだ。

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