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NO.13『母の入院』

病院の先生に言われた一言。母との関りを通して心が色々動く。
こんなことがありました。
ちょっと、聞いて~

へっぽこ娘


母は自然がいっぱいの農村で幼少期を過ごしたこともあって元々足腰が丈夫だった。どちらかというと家でじっとしているより外に出るのが好きで、少し前までは暇さえあればよく近所を散歩していた。仲良くしていた友達が施設に入ったり亡くなったりして「私には行くところがないからつまらない」と嘆いては一人で外出していたのだが、さすがに最近はその足腰も年齢と共に衰えてきて、散歩も買い物も転倒などの危険があるということで、私が付き添わないと無理な段階まできていた。
昨年の暮れに家の中で転倒して恥骨骨折をしたことは前に書いたが、この夏には家の前で熱中症のような症状で倒れてしまい、救急車で運ばれて4日間入院した。9月には一人で散歩中に転倒し、肋骨を4本骨折して11日間入院した。そこから1ヶ月も経たないうちに今度は近所でバランスを崩して転倒し、頭を打って救急車で運ばれた。幸い意識もしっかりしていて頭の中は異常がなかったため入院せずに帰されたが、これほど転倒するようになってしまったことは、年齢を考えても仕方のないこととはいえ、私もショックを受けた。

9月に母が転倒して肋骨が4本折れているのが判明した時の話だ。座っていても寝ていても何をしても痛がる母を、仕事を続けながら介護するのが無理だと判断した私は、診察してもらった医師に入院させてもらうようお願いした。するとその医師から「世話できないから入院させて欲しいって、病院はホテルじゃないんだから」という言葉が返ってきたのだ。その言葉で私は心がものすごく揺れ動くのを感じた。
それでもとお願いして結果的には入院できることになったのだが、その手続きをしている間中、私は自分が楽をしようと思って入院させたのではないか、私は冷たいんじゃないかという考えがずっと頭の中でグルグルと回っていた。家に帰っても母にとってこれで本当に良かったのかということが頭を離れず、しまいに母が夢にまで出てくる始末だった。
考えすぎて心が病んでいるような気がして、次の日職場の同僚にそれをポツリと話したら、忙しいのに話を聞いてくれて「病んでるんじゃないかって思ったんですね…」とやさしくオウム返しのように言ってくれたひと言に「あれ?私は病んでるわけではないのかなぁ…?」と疑問が湧いた次の瞬間、数日前にある方に教えてもらった言葉がふと心に浮かんできたのだ。「人をケアするってどういうことですか?」という私の質問に対して「ケアとはその人を気にすること、関心を持つことよ」とその方は教えてくれた。自分の都合ばかりを優先している冷たい人間なのではないかと自分を責めていたけれど、私の心の中が母でいっぱいなことにそのとき気がついたのだ。可愛い孫のことよりも主人や子どものことよりも、心の中が母のことで埋め尽くされていることに気づき、これでいいのかもしれないと思えた。するとあんなに重かった気持ちがスーッと軽くなるのを感じ、何故か涙が出てきた。自分のことを自分で認められた瞬間だった。また母と一生懸命向き合えそうな気がした。

聞いてくれてありがとう。


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