「私には仕事しかなくて」と言われると、寂しい
「推ししか勝たん」とか「感謝しかない」とか「ボクにはこの仕事しかないんで(照)」とかよく聞く。
これらの表現を聞くたび、「それ以外にもあるだろ」って思ってしまう。
多分この表現が、肌に合ってないのだと思う。
言葉の意味は分かる。言いたいことも分かる。
確かに「キタジマの推し決定戦サバイバル」が開催されたら、最終的に西野七瀬しか勝たんのは分かる。
なぜ大好きなものをあえて1つにしぼらないといけないのか?
「〇〇しかない」と言う表現は多分、他を全て否定してしまえるほど〇〇に想いがこもっていると言うニュアンスだろう。
数多ある可能性の中から、運命の人を1人選んでいる。天職を1つ選んでいるとは、美徳なのだと思う。
多分、根本的にこの考え方がしっくりこない。
なぜ大好きなものをあえて1つにしぼらないといけないのか?と思ってしまう。
複雑な感情から、1つの側面だけを抽出しないといけないのか?と思ってしまう。
なぜ音楽をやめないといけないのか?
こう考える源流は、ボクが高校生の時に遡る。
ボクは偶然早くから大学進学を選ばず、音楽の専門学校に行くことを決め込んだ。
選択授業も全て取らず下校が早く、学校が終わりしょっちゅうライブに出演した。
高三の夏くらいまでは順調だったが、メンバー内にやっぱ受験するからバンド出来ないと言われた事に苛立ったりもした。
付き合っていた彼女に、受験に集中したいから別れようとも言われた。
なんで受験があると、バンドが出来ないのか?別れなきゃいけないのか?
飲み込んだふりして、全然わからなかった。
ただ、これはボクが青臭かっただけだし、自分の都合だけしか考えられなかったからのなのは一目瞭然であり、すぐに大人になったのだが。
ただ、先輩バンドが就職や結婚を機にバンドを辞めていくのだけは、勝手に悔しかった。
ホントはバンドやりたいのに、大事なもの捨ててまで仕事や家庭を選ぶ美徳で加工して、自分に言い聞かせてるみたいじゃんか。
大人な顔して、自分の意思とか捨てて、境遇に選ばされたからしょうがない、被害者みたいな顔してるように思えた。
だから、自分はそうならなくていいよう、選択して生きようと決めたのだった。
やはり根本に、なぜ大好きなものをあえて1つにしぼらないといけないのか?という疑問が、フラストレーションがあるのだ。
falleavesというバンドは、どうやったら仕事も家庭も大事にしながら続けることを自分たちの方針として、強く明確に持っている。
こういうった価値観を共有できるメンバーと一緒にいられる事を本当に幸せに思う。
「仕事しかない自分」に絶対になれなくてごめんなさい
「音楽とか表現できることがあって良いですね。私には仕事しかなくて」とたまに言われることがある。
「仕事しかない」ことが寂しいことのように、何かかけているかのように。
その人はまあよく働く。脇目もふらさず、しかし楽しそうに働く。
ボクはそれをすごく尊敬している。
スタートアップにいると、労働基準法とかいう概念が後付けで、能動的にハードワークをしている人たちが多い。
それは強制ではないが、体現している人が美徳に思われる風土があるように思う。
そんな風を浴びるたび「仕事しかない自分」に絶対になれなくてごめんなさいと思う。そうなれないのが、少し寂しいことのように感じる。
ボクも仕事には自分なりに意義を持って能動的に取り組んでいる。
人生において自分で選択して、やりたくてやっている。そして楽しい。
組織やユーザーに貢献できることを本心で願って、考えて行動している。
ただ、どこまで行っても、あくまで「仕事"も"好き」であり、「音楽"も"好き」で。1つにしぼることができない。
「〇〇しかない」生き方は、ボクの肌には合ってないのだと思う。
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