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アートはみんなのもの‼︎(キース・ヘリング展)

キース・ヘリングに関しての知識は、「ピクトグラムのような絵」「ストリートアート、ポップアートの先駆者」「たまにユニクロとかのTシャツのデザインで見る」程度のものでした。アートに関心のない友人でも、彼の絵は知っていたりするくらい大衆に根付いた作品を残しています。
展覧会に行く前に一応下調べをしていくと、彼が多くの社会問題、特にHIV・エイズの問題に対するメッセージを持って活動していたことを知りました。
恥ずかしながら、日常の中で作品を目にする機会は少なくないのにそこに込められた想いを意識したことがなかったので、良い機会だと思い六本木に向かいます。


展覧会概要

名称:キース・ヘリング展 アートをストリートへ
開催場所:森アーツセンターギャラリー(東京・六本木)
開催期間:2023/12/9(土)~ 2024/2/25(日)
展覧会公式サイト:

作品リスト:


感想

仕事が長引いてしまい閉館までの30分で廻り切らなければいけない状況に…。年末の平日ということもあってか会場は空いておりスイスイ進むことができました。人より鑑賞に時間がかかるタイプなので、ケツの時間を意識しながらというのはストレスでしたがそれは仕方ない…。

第1章:公共のアート

キース・ヘリング 《無題(サブウェイ・ドローイング)》 1981-1983

最初のセクションでは彼の初期の作品を観ることができます。
ヘリングは活動初期、ニューヨークの地下鉄の広告版に黒いシートを貼り、その上にチョークで絵を描きました(サブウェイ・ドローイング)。
言ってしまえば単なる落書きなわけで、そんな作品が残っているのがすごい。自分で回収して取っておいたのかな?ありがたい。

作品発表の場所として、人種・性別・階級など関係なく様々な人が利用する場所を選んだこと、単純な線で構築されたわかりやすい画風。この時からヘリングのアート観は一貫しているように感じます。
アートは限られた層のためのものではなく、大衆のものであると考えた彼の活動はここからスタートしました。
これが評判を呼び、ヘリングは世間に認知されるようになります。

この展示スペースの壁がタイル張りになっているのは地下鉄の雰囲気を模しているのかしら?

第2章:生と迷路

キース・ヘリング 《スリー・リトグラフス》 1985

1980年代、初のHIV感染者が発見され、それは速度を増して世界に暗雲として広まっていきました。感染者に同性愛者が多くいたため、彼らには社会からの偏見の目が向けられたそうです。

ヘリングは同性愛者であり、HIV感染者でした。そしてこれらをテーマとした作品を多く残しています。死の恐怖に向き合いつつ生の喜びを感じ、自らの作品で社会に訴えかけました。

ポップなデザイン、記号のような彼の絵は、メッセージをダイレクトに伝えてくれます。ある問題に対して、世間の興味関心を惹くには小難しい作品より優位で、ゲートウェイとしての大きな役割を担ったのではないでしょうか。

第3章:ポップアートとカルチャー


キース・ヘリング 《ウィズアウト・ユー》 1983 (左上)
キース・ヘリング 《サムワン・ライク・ユー》 1986 (左下)
キース・ヘリング 《人生は何か特別なもの》 1983 (右上)
キース・ヘリング 《スクラッチン》 1984 (右下)

ヘリングの活動はアート界に留まらず、音楽・舞台芸術・広告など多岐に渡り、このセクションでは彼が描いたレコードのジャケットや、舞台のセットなどを観ることができます。

当時のアメリカではクラブシーンが大変盛り上がっていて、ヘリング自身もそこに通い音楽に酔いしれたそうです。クラブで踊るヘリングの写真も展示されていました。

カルチャーは大衆に愛されて発展していくものですから、キャッチーな彼の作品は相性が良かったのだろうと思います。

キース・ヘリング 《アンディ・マウス》 1986

アンディ・ウォーホルとも仲が良かったみたいです。

キース・ヘリング 《ラッキー・ストライク》 1987

僕は普段マルボロを吸っていますが、デザインはラッキー・ストライクが一番好きです。

第4章:アート・アクティビズム

キース・ヘリング 《ヒロシマ 平和がいいに決まってる!!》 1988

ヘリングはポスター作品も多く残しています。先のセクションでも挙げたエイズや性差別の問題だけでなく、人種差別、核放棄などなど世界には多くの問題・課題があり、ヘリングはそのメッセージを強く訴えかけるためにこのような手法を取りました。

特定の場所に展示される作品ではなく、何百枚と刷られて街のあらゆる場所に貼られるポスター。多くの人がそれを目にして、そのキャッチーな絵に足を留める。こうして世間を巻き込んでいくことで世界が平和になる。
そう信じて彼は作品を制作していたんですね。

そういった意味でも、ヘリングの絵は商業的なデザインとしても素晴らしいと思います。

第5章:アートはみんなのために

キース・ヘリング 《赤と青の物語》 1989

ヘリングには、アートを富裕層にだけではなく大衆にも届けたいという想いがありました。

このセクションでは《赤と青の物語》というシリーズ作品がずらりと20枚ほど並べられています。これらは子供に向けて制作された作品ということです。ヘリングは子供たちへの慈善活動にも熱心でした。数多くの絵本も出版され、彼の作品は大人から子供まで多くの人に愛されたのです。

ストーリー性を感じる連作は想像を掻き立て、子供たちやアートの知識のない大人でも楽しめる、まさに大衆のアートだと思います。

写真の右の絵は、日本画を想起させます。左下に書かれているのはヘリングから見た日本語文字のイメージでしょうか?

キース・ヘリング 《無題(Sマン)》 1987

立体作品もいくつか展示されていました。『Sマン』というのがそのまんまで可愛い。

第6章:現在から未来へ

キース・ヘリング 《ブループリント・ドローイング》 1990

このセクションでは漫画のように、なにやらお話が描かれている作品が17点並べられています。『現在から未来へ』というセクションタイトルも相まって古代の壁画のように感じられました。古代の人たちの生活や思想を、現代の私たちが壁画を見て読み解くように、ヘリングの作品も未来へと繋がっていくのでしょうか。

キース・ヘリング 《無題》 1988

展覧会の締め括りに現れた大きな作品。他の多くの作品とは違い、形や色使いなどを事前にしっかりと構成したうえで描かれたそうです。
ぽわっとしたライトに照らされ、ぽつんと展示されていて、トライバルで神秘的な印象を受けました。

スペシャルトピック:キース・ヘリングと日本

最後に、日本にまつわるヘリングの作品等の展示があります。このセクションのみ撮影禁止でした(公式サイトで一部観ることができます)。
先のセクションでも日本画風の絵があったし、ヘリングは日本が好きだったのかな?

ヘリングが担当した雑誌の表紙絵、達磨や扇子を指示体にした作品などがあり、まさにヘリングと日本のコラボ。習字の半紙に描かれた絵もあったのですが、左下に「キースヘリング」とカタカナでサインが書かれていて可愛かったです。

彼が日本に来た際、表参道の道路にチョークで絵を描くというパフォーマンスをしている写真も展示されていました。多くのギャラリーに囲まれ、子供たちもキャッキャと楽しげでした。スタジャンにキャップ姿のヘリング。気のいい兄ちゃんみたいな感じで、なんか良かったです。


まとめ

単純な線で描かれたポップでキャッチーで可愛いヘリングの作品は、込められた意図をダイレクトに理解しやすかったです。その分、キース・ヘリングという人自体の魅力、親しみやすさも強く感じました。作品にも彼の人柄が表れているのだと思います。
アートの入り口として、社会問題への関心の入り口として、どんな人間に対してもヘリングは平等に受け入れてくれます。

鑑賞日:2023/12/28(木)18:30〜19:00
個人的評価:★★★★☆

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