シンガポールは「独裁国家」ですか?

作者:李宇暉 カリフォルニア大学政治学博士 

初発表:2015年 東網

翻訳:北見響

 翻訳者コメント:この記事は李宇暉先生が2015年で書いたものです、当時中国のネットでは、シンガポールモデル、いわゆる「開明独裁」を賞賛、それを用いて「独裁も全て悪いでもない」というような観点が流行った(今でも流行っているかもしれない)、進んで中共の独裁を容認するような結論を目論む場面でした、それに対して、反論する記事です。

 シンガポールだけではなく、よく独裁と言われる国民党時代の台湾に対する評価も似たような状況にある、そして日本の政治家にでも、こういう観点を持っていることは珍しいではない、例えばTwitterで独裁賞賛する元東京都知事の舛添要一など、これはよく考える、議論すべき話題だと思います、「あの独裁」と「この独裁」本当に一緒ですか?民主主義の価値が軽視されていませんか?民主主義の価値がますます重視されないこの時代に、独裁社会の生活経験者の我々がそれの重要性を訴えて行きます。

 シンガポールや李光耀(リー・クアンユー、シンガポール元首相)について話すと、いつも「民主主義なくても法の支配はある」、「開明な独裁」、「権威主義下の近代化」などを感服する人がいる。シンガポールモデルに異議を唱える人(ノーベル賞受賞者のアマルティアセンを含む)もほとんどは交絡変数の分析に焦点を当てており、その経済的成功は権威主義によるものではなく、地理、歴史的経路、ビジネスモデル、そして小さな国であることなど、他の要因があることを示している。私もそれに非常に賛同しますが、もっと重要な、そして多くの人々が見落としているポイントがあると思います:シンガポールは本当にそんなに非民主的ですか?

 勿論、シンガポールは今日の世界のほとんどの国と比較して民主化の程度が比較的低いことは間違いない。しかし、それは李光耀を賞賛する中国人の自分の国と比べてみたらどうですか?基準系が変更されると、シンガポールはまるで正真正銘な模範的な民主国家になる。もしあなたはシンガポールの政​​治システムにおける民主主義の要素を気付いていない、また近代化プロセスにおける民主主義の役割が気付いていないなら、あなたはこの国を全く理解していないと言わざるを得ない。

 シンガポールには多党制の選挙がありますか?もちろんある、しかも建国以来中断されたなく行われてきた、すべての国会議員は定期的な直接選挙を受ける必要があり、且つ議会は行政府の長をリコールする権力がある。もちろん、与党は野党の議席数を極力少なくするために様々な対策を講じてきたが、少なくとも選挙のプロセスは本物だ。中国本土で野党を公開設立して、たとえ区レベルの人民代表大会の似非選挙に参加することさえ想像できるか?全国人民代表大会は言うまでもない。

 2011年、中国の主要都市に数十人の「独立参選人」が散在し、共産党所属しない個人として区、県レベルの人大代表の競争を望んでいた(実際の権力は殆どない、象徴的な意味が多い)。結果はこれら殆どの人はいきなり立候補が拒否されて、運良く候補者リストに載ってもらった者もまた、様々なブラックボックス操作により排除された。それと対照的に、シンガポールの野党は自由に政党として登録できるし、その気になれば自分の名前を投票用紙に載せることもできる。これは政府に大きな圧力を与えるのに十分である。

 政党は民主政治の不可欠な一環である。彼らの役割は、党の名前と公約で候補者の政策方向を効率的に普及させること、組織化された活動で共同利益団体の力を集めること、そして複数政治家の影響力を使ってスケールメリットを形成することなど。野党に匹敵する政治問責効果は無所属政治家だけでは形成することは不可能である。想像してみてください、もし中国本土に野党がいて、野党が立候補の資格がある場合、たとえ1議席も獲得できなくても、当局の無法の行為はどれだけ弱まるになるでしょうか。民家の強制取り壊しと計画生育を敢えてしますか?大量に死刑を実行し、臓器を売ることは可能ですか?中共は勿論馬鹿ではないので、ネットで組織化行動についてちょっと議論するだけでもすぐに刑務所に入れられる。

 政治言論の抑圧に関しては、シンガポールはもちろん非常に深刻な状況にはあるが、それも「誰と比較するか」によって変わる。私はあるシンガポールでの言論規制に関する論文を見つかった、野党の未許可の集会や抗議に対する政府の典型的な抑圧がいくつか挙げている、いざ判決文を見ると、笑いました:「800米ドルの罰金」、「1400米ドルの罰金」、「12日間の刑務所」、「5年間選挙権停止と4,000米ドルの罰金」とは...最も厳しいのは「 罰金を拒否したので、5週間の禁錮を処す」これは冗談では?懲役11年の劉暁波、3年懲役2回もされた高智晟、3年半の胡佳、4年3か月の陳光城(まして様々な自宅軟禁や法外の暴力は言うまでもない)。彼らはシンガポールの判決を見るとどんな感じをするんだろう、さらに、シンガポールで抑圧されたのはれきっとした野党の指導者であり、中国で刑を処されたのは、何本の記事を書いた、或いは何回行政訴訟の協力をした一般人に過ぎないのだ。

 さらに、国内の言論をいくら抑制しても、シンガポールには少なくともグレードファイアウォールと外国のメディアに対する制限がないことに注意してください。これだけで、政府に目に見えない大きな圧力を与えられた、少なくとも国際メディアの注目を集めるような過酷な政策を策定する肝っ玉はない。対照的に、中国のグレートファイアウォールが1週間でもダウンすることを想像できますか?各種高層の政治醜聞やネタ話だけで、彼らをトイレで気絶させるのに十分だ。これらの例は何を示していますか? 李光耀の「権威主義」は良いことだと本当に思っていても、中共に運用する方法はない。2つにはまったく同質性がない政権からだ。シンガポールモデルを使用して中共を弁護する人は、シンガポールの政​​治システムを真似るよう中共に要求した時点、刑務所行くことは遠くないを忘れないでください。 「自由の家」の最新の政治的自由の分類によると、典型的な西側の民主主義はレベル1、シンガポールはレベル4、中国は最低のレベル7だ。シンガポールモデルの穏健専制を鼓吹するなら、政治的自由をレベル4に上げるように貴党の指導者を説得した後でも遅くない。