ゆめうつつ。
立秋を過ぎたとて、暑い。まだ夏の名残がゴリゴリだけれど。暦の上では秋で、私はまだ感じることのできぬ秋を想って、毎日を過ごしている。
氷が溶けていく様子がとてもすきなのだけれど、それは、眠る際に訪れるやさしい「ひとり」に似ているからかもしれない。
人はどんなに寂しがりやでも「ひとり」じゃないと眠れないから。
日中に「ひとり」になれる時は結構少ないけれど、眠る時は必ず「ひとり」になれて、その時は今日あったことを頭の中でリピートしたり、夢見がちなことをなぞったりして、わちゃっとした日常にピリオドを打つみたいに「今日が終わった。」と深呼吸をすると表から裏へ、くるりんぱ、するように心身が安堵される。
私は「ひとり」がすきだから、この時間をとても大切にしている。
目を瞑り深呼吸を繰り返すと、スーッと、ほんとうに、スーッと全く音のしないレクサスに乗ったみたいに眠りに就く。その浮世と夢の境目を越すと意識は闇へ溶けて堕ちていく。
堕ちた先で私は巫女になっていたり、武士になったり、マントを背負って空を飛んだり、魔法を使ったり、魚になったり、ドラキュラになったり、世界征服したりして、その時の私を生きている。ただ呼吸だけが浮世と夢を繋いでいるような。
夢に堕ちた時は海へ潜るような感覚に似ている。聴覚が鈍感になり、視覚と触覚だけの世界を漂っているような気分だ。それは、ダリの絵画のように時計が溶けたシュルレアリスムの世界で、こんな場所へ来たこともないのに、懐かしく感じたり、恋しくなったりするし、逢ったこともない人なのに親しかったりする。とても不思議。
たぶんだけれど、私の中にいる、昔の人が遺伝子という乗り物へ乗って夢の世界へやってきているのかもしれない。
脈々と続く幾重にも枝分かれした水脈を辿り遡っているとしたら、とても浪漫があるではないか。私はそういうの、すき。
そして、夢から醒めると氷が溶けるように、また浮世へ戻り日常を巡る。
今日も目醒めてしまったから、私は仕方なく浮世を生きる。空も飛ばないし、魔法も使えないし、非常につまらん。あゝ、夢へ戻りたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?