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ドライブインなみま|小説 ナポリタン編


言葉が螺旋を描きながら私のてのひらへ舞い降りてきた。温かい。触れた瞬間にそう思った。 

私と愛子ちゃんとの出会いはドライブインなみまだった。そのお店は食事処として有名でいつも沢山の人で賑わっている。私は入口の自動ドアから店内へ入ると、店主の由美子さんが

「あ!瞳ちゃん、いらっしゃい!」

と、柔らかい笑顔で迎えてくれた。由美子さんと私はいつもそこで立ち話をするのだけど、今日は挨拶をするだけで、先に到着している義彦さんとその娘の愛子ちゃんが座る奥の席を窺った。ふたりはガラス窓の外を眺めながら話をしていた。すると由美子さんは私の気配から何かを察したのか

「瞳ちゃん、肩の力を抜いてね。いってらっしゃい。」

そう言って優しく背中を摩ってくれた。私は由美子さんの目を見ながら、うん、と頷いてふたりが座る席へと向かうと、私に気が付いた義彦さんが笑顔で手を挙げて「こっち。」と私を呼んでいる。そうしたら、愛子ちゃんも義彦さんの目線を辿って私を見た。私は緊張しながらもふたりの前の席へ座ると

「愛子、こちらが先ほど話をした佐々木瞳さんだよ。そして、瞳さん、こちらが娘の愛子です。」

と、愛子ちゃんと私を交互に紹介してくれた。すると、愛子ちゃんは時々私から視線を外し恥ずかしそうにしながらも

「こんにちは。中納愛子です。」

と、頭をペコッと下げて自己紹介をしてくれた。私もそれに続くように

「こんにちは。佐々木瞳です。」

と、言うと、店員さんがお冷やとおしぼりを持って来てくれて「ご注文がお決まりになりましたらお知らせください。」と、笑顔で席を後にした。私はふたりに

「メニューは決まった?」

と、尋ねると義彦さんが

「僕たちはナポリタンって決まってるんだ。」

と、愛子ちゃんにそっと優しい眼差しを向けて呟いた後に

「瞳さんは好きなものを選んでね。」

と、こちらを向いて優しく呟いた。私は今までドライブインなみまのナポリタンを食べたことはなかったので

「私もナポリタンにする。」

と、言うと義彦さんは店員さんへ注文した。ナポリタンがやってくるまでの間、愛子ちゃんは一言も話さずに、おしぼりを細かく畳んだり窓の外を眺めたりしていた。私が質問をすると、「うん。」とか「そうです。」と返事はしてくれるから、私はなるだけ自分の話をした。ここで生まれ育ち、小さな頃は病弱でよく入院していたから看護師さんに憧れていたことや、病院での勤務のことを話した。愛子ちゃんはそれを聞いてどう反応すればいいのか判らない様子だったので、私は距離の詰め方が早かったかなと後悔した。それから私は猫が好きだという愛子ちゃんに子猫の刺繍が入ったハンカチをプレゼントした。すると緊張していた愛子ちゃんは笑顔になり、ふと左側の頬を見ると小さな笑窪ができてその表情はとても可愛かった。

「ありがとうございます。」

愛子ちゃんは頭を下げる仕草をして私へお礼を言った。そうしたら店員さんが「お待たせしました。」と、テーブルへナポリタンを配膳した。黒く艶がある鉄板の上でジュージューと音を立てているナポリタンは甘酸っぱいトマトソースの香りがした。

「うわー、美味しそうやね。」

と、思わず口から零れ落ちると義彦さんは

「ここのナポリタンは絶品だよ。」

と、自慢するように言いながら粉チーズを手に取ってナポリタンに振りかけた。熱々のナポリタンにはピーマンと玉ねぎが入っていて、赤いソースが鉄板の上でぶくぶくと舞っている。私はフォークを手に取りいただいた。もっちりとした弾力のある麺に甘酸っぱいソースがもったりと絡み合い、咀嚼するほどに旨味を感じる。その後に粉チーズを振りかけて食べるとまた味変して違った旨味を感じた。ふと、愛子ちゃんを見ると、フォークへナポリタンを巻き付けてフーフーした後に大口を開けて食べている。私の視線に気が付いた愛子ちゃんは少し恥ずかしそうにしながら咀嚼しているから

「美味しいね。」

と、呟くと愛子ちゃんは口に手を当てながら

「はい。おいひーです。」

と、恥ずかしそうに言った。それから私たちがナポリタンを味わい尽くしたあとにそれぞれが飲み物を注文して、それがテーブルへ配膳された。すると、義彦さんが神妙な空気を身体から放ちながら

「愛子、お父さんは瞳さんと結婚──」

と、言いかけた。愛子ちゃんは

「知ってるから、それ以上言わなくてもいい。」

と、言った口でミックスジュースを飲んだ。義彦さんは私に困惑した表情を向けたけれど、私は愛子ちゃんの反応は当たり前だと思った。父親に紹介したい人がいると誘われて行った先には自分の知らない人がやってきて、大人が一方的に話をした後、結婚を前提にお付き合いをしていると言うのだから。11歳という多感な年頃に、父親が再婚するとなれば私だって同じ態度を取っただろう。愛子ちゃんはミックスジュースをズズズと音を鳴らせて飲み終わると、ストローが入っていた紙の皺を丁寧に伸ばしてきれいに結んでいる。

「愛子ちゃん、また一緒に食事へ行こうね?」

と、私はその顔を覗き込むように尋ねると

「はい。」

と、言った瞬間に愛子ちゃんの茶色く透き通る瞳が私を捕らえた。そして、濁りのない純粋な視線はこの状況を俯瞰していることが見て取れた。それはまるでスーッと凪いでいる海を見ているような錯覚に陥る。何者も恐れない強い眼差しが私の外側を透過して内側を捕らえているような気がした。私は何故かそれに気圧されて、しっかりと結ばれた視線を離すとその行為を誤魔化すように手元のミックスジュースを慌てて口にした。それから視線をふと愛子ちゃんへ戻すと彼女は私から視線を解いてお冷やを飲んでいた。心が揺れると身体が反応してしまう。その瞬間に改めて心と身体は綿密に繋がっていると思い知らされた。私は先程の愛子ちゃんの目を、視線を、心の中で反芻するだけでも体温が上昇する。ハンカチで首筋の汗を拭いテーブルへ置いた。すると義彦さんが

「また三人でここへ来ようね。」

と、言うと愛子ちゃんは「うん。」と頷いて窓の外を見た。その横顔は少女の気配が滲んでいて、とても尊く気高く儚かった。

そして私たちは会計を終えると、由美子さんの姿を探したけど、忙しそうにしていたので店員さんに「ごちそうさま。」と、挨拶をして駐車場へ出て、そこで別れた。

私は車へ乗り込むとルームミラーで自分の目を見た。それは愛子ちゃんと比較すると純粋さに欠けた目だった。愛子ちゃんのあの目はしっかりと私の内側を見抜いたのだ。あのどこまでも凪いだ海のような目で。そう思うと居た堪れない気分になり、車を下りて駐車場から海を見た。すると淡い潮騒に誘惑されて本音が溢れ出る。

だって、ずっと好きやったんよ。

私は義彦さんが田山総合病院へやってきた時から好きだった。整った顔に付属される表情はどこまでも柔らかくて、そして、いつも患者さんに寄り添う温かい心に強く惹かれた。義彦さんは離婚して、ひとりでお子さんを育てていると知ってはいた。それでもいい──、私はそう思いながら義彦さんに対して上昇し続ける熱い想いを隠し仕事を熟していた。ある日の終業後に義彦さんと鉢合わせて駐車場まで一緒に歩いた。その時に義彦さんはよくお子さんとドライブインなみまへ食事に行くことを話した。

「今度、私も連れて行ってください。」

ふいに出た言葉に自分で動揺してしまったけど、義彦さんはなんてことない雰囲気で

「いいですね、行きましょう。僕の次の休みは──」

と、鞄から手帳を出しながら確認してくれて、私も慌てて鞄から手帳を出して休日が重なる日にランチへ行くことになった。そしてその日からよくふたりで色々な所へ食事に出かけるようになり、その時間はほんの少しだけど、それでもじんわりと温かい幸せを感じた。それから少し経った頃に、食事をしていたら義彦さんから結婚を前提にお付き合いしたいと申し出があり、今日、初めて愛子ちゃんに会うことになったのだ。私はもう一度今日の出来事を反芻しようとしたら、背後から

「瞳ちゃん、これ忘れてるで。」

と、由美子さんの声が聞こえるから振り返った。由美子さんは私のハンカチを持って側へ来てくれた。私はお礼を言ってからまた海を見た。

「由美子さん、人生ってうまくいきませんね。」

と、言った後にため息をひとつ零すと由美子さんは

「瞳ちゃん、だから人生はおもろいねんで。誰かに決められたレールの上を走るよりもよっぽどおもろいよ。その代わり、苦労も多いけれど、それはな、いつか大切な思い出になるよ。思い出って完璧なもんより、多少間が抜けた方が愛おしいから。だから、あんまり完璧を目指そうとせんと、自分の気持ちに素直にぼちぼち生きれたら百点よ。」

由美子さんをそっと窺うと海の先にある地平線を眺めていた。その横顔はとても尊く気高く儚かった。先程の愛子ちゃんの横顔に感じた佇まいと似ていた。しっかりと自分という芯のある人の横顔。私には持ち得ない横顔。いつもそうだった。私は周囲の人の顔色を窺いながら生きてきた。幼い頃は父と母の顔色を、そのうちに学校でも職場でも恋人の前でも顔色を窺いながら生きてきた。それが当たり前だと思っていたけど、義彦さんへの想いは私の意思だと感じている。それは初めてこの人と共に生きたいと思えたから。

「由美子さん、私、生まれて初めて自分の意思で生きようと思います。応援してくれますか?」

私はそう言うと、由美子さんはこちらを向いて

「うん、私はいつも瞳ちゃんを応援してるよ。また話したくなったらいつでもおいで。」

そう言うと、にこりと笑ってくれた。私は小さく「ありがとうございます。」と言うと、背後から店員さんが「由美子さーん、電話でーす!」と大きな声で呼ぶので、由美子さんは「はいはーい!じゃあ瞳ちゃん、またね!」と、手を振ってから小走りで店内へ戻った。私は海を眺めていると色々な想いが大きな波のようにリフレインする。この気持ちを愛子ちゃんにも伝えなければいけないと感じ、それはいつしか意思となり私の生きるべき道へと誘ってくれた。そして幾分軽くなった心でドライブインなみまを後にした。

それから二週間後にドライブインなみまで食事をすることになった。私はなるだけリラックスできるようにお気に入りの音楽をかけて車を運転した。待ち合わせの10分前に到着して空を見上げると曇り空だった。すると、義彦さんの車が駐車してあったので、私は小さく「よっしゃ。」と自分に喝を入れてから入店した。由美子さんは相変わらず忙しそうにしていたので、遠くから手を振って義彦さんと愛子ちゃんの姿を探した。

「瞳さん、こっちこっち。」

背後から義彦さんの声が聞こえたので振り返るとすぐ近くの席へふたりで着席していた。私が「こんにちは。」と言いながら椅子へ腰かけると、愛子ちゃんも「こんにちは。」と頭をペコッと下げた。その後に店員さんがおしぼりとお冷やを持って来たので、私は義彦さんと愛子ちゃんに

「注文はナポリタンでいい?」

と、尋ねるとふたりとも「うん。」と頷いたので、それを3つ注文した。一瞬の静寂を切るように私は深呼吸をして愛子ちゃんと義彦さんを交互に見つめたあと、あの──、と口火を切った。

「あの──、ふたりに伝えたいことがあんねんけど、私は今まで自分の意思で生きたことなんてなくて、いつも周囲の顔色を窺って生きてきて。だから、自分の意思でこうして話をするなんて緊張するけど、私はこれからふたりと家族になりたいと思ってます。ふたりと一緒にご飯を食べて話をして仕事して家事をして、ありふれた日常を共に生きていきたいの。だから──だから、義彦さん、愛子ちゃん、私と家族になってくれませんか?」

そう言った後に思い切ってふたりの顔色を窺う私がいた。義彦さんは頷き、愛子ちゃんは私の目を見ていた。それはあのときの濁りのない純粋な視線で、どこまでも凪いだ海のような目は私の内面の輪郭をはっきりと縁取る。

「わたしは家族ってイマイチわかんないけど──」

愛子ちゃんの濃ゆいピンク色のくちびるからそう零れ落ちた。そして

「わたしは瞳さんと一緒に住んでみてもいいかなって思っています。」

と、言うとペコリと頭を下げた。その瞬間に言葉が螺旋を描きながら私のてのひらへ舞い降りてきた。温かい。触れた瞬間にそう思った。それは愛子ちゃんから私への精一杯の答えだと分かった。スーッと誘われるように愛子ちゃんを見ると左頬の小さな笑窪はとても可愛くて私も釣られて自然と笑顔になり、胸が小さく鳴った。初めて愛子ちゃんと心と心が繋がったような気がした。ふと窓の外を見ると曇り空から光が射した。

「あ、天使の梯子。」

と、私が言うと、義彦さんと愛子ちゃんも私の目線を辿って窓の外を見た。その神秘的な光景は透明な水に絵具を落としたように、じんわりと形を変化させて動いている。

「きれい──」

愛子ちゃんはそう呟いて目の前に広がる光景を目に焼き付けているようだった。雲間から覗く強い光は、所々、海面を照らしている。これから三人の未来は曖昧で確かなものなどないけど、この記憶だけは地に生える植物の根のように私を支えてくれると思えた。それぞれが窓の外に広がる美しい光景を焼き付けて顔を向き合うと、誰からともなく笑顔になった。









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