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北岡園 園主の事(その1 お店を継ぐまで)  


こんにちは!京都宇治の北岡園広報部です。


今日、お話しするのは、当園の主、北岡弘樹についてです。


別に、北岡の趣味などをお話しするというのではなく、この北岡園の歴史や良さを知ってもらうためには、園主の人生を知ってもらうことも大切かな、と思って、広報部で園主へのインタビューを敢行したのです。


園主北岡弘樹です(ちょっと若い頃 今はちょっと茶髪です)

そこで語っていただいた内容は、とても面白い話ばかりでした。ただ、その中で第3者(当アカウント広報部中の人は、一族ではない)としては、これから先のお茶業界の存続を考えるうえで、大切な問題もいろいろあるな、ということを感じ、園主の紹介と、今後の宇治のお茶を引き継いでいくであろう企業がどのように後継者を作っていけるか、というところまで踏み込んで記事にした次第です。


長くなるので記事は3回に分けて公開いたします。読んでいただき、感想など聞かせていただけると幸いです。



〇なぜ北岡園を継いだか


さて、現在の園主北岡弘樹が産まれたのは昭和48年。当時の社長である祖父と、その長男(弘樹の父)の長男として生まれました。つまりは直系。


そこで生まれる「継いで当然のプレッシャー」


プレッシャー感じている人のイメージ

祖父の方の期待はひとしおだったようで、井戸の神様のお世話、町のお祭りのお手伝い(店番させられるので、遊びに行けなかったそうです)、その他いろいろ、、、まさに「このお店を継いでいくため」のさまざまなことを教え込まれた幼少期だったそうです。


他の業界もそうですが、『アトツギ』の人ってこういう『人生の選択権がないまま過ごしていく』経験が多いように感じます。


さて、そんな幼少期を過ごし、父(先代)の御兄弟と一緒に生活し、一緒に作業(とはいえ、お茶ギフト用の箱を折ったり、袋を準備するなどの産業)をする毎日だったといいます。(※23年前に家の建て替えを行う前までは、今の家の場所に母屋があり祖父母と父の兄弟、従兄弟が住み込みで働いていたそうです。一族でお茶を作っていたのですねー)


そこまで仕事をしていたのであれば、よほど小さいころからお茶に詳しくなった、、、のかと思いきや、園主は「お茶のことなど全く教えてもらうことはなかった」といいます。これは、今後の人生においても園主のスキルなどに大きな影響を与えます。



そんなこんなで高校卒業も迫ったころ、高校卒業とともに働こうと思っていた園主は、大学へ行く事を勧められます。とはいえ受験勉強なんて全くしていない。


そんなバタバタをのりこえ、大阪国際大学へ入学。卒業後は、いつか実家に帰って事業承継をすることを念頭に置きつつ、どこかほかのところで働いた方がいいだろうということで、就職先を探します。


ところが、その当時の日本は第就職氷河期。バブル時代の栄華はどこへやら。日本中で若い人が職を求めて血眼になっている時代でした。


さて園主はどこを目指したかというと、工業系の会社を探すことになります。それは幼少期からの好きなことでもあった「工具で遊ぶ」ことが心の中にあったからです。製茶業は専門性の高い機械と一体となって働きます。その経験からか、「大工になりたい」という想いもあったそうです。


結果、ダクトなどの建設に関わる部品を売る大阪の会社に就職。就活の際、『いつか家業を継ぐのじゃないの?』という質問も会社からあったそうですが、そこは何とか切り抜けました。サラリーマン人生がスタートします。

先ずはしっかり頑張ろうと、研修などを乗り越えた矢先、まさかの配属先は「四国」となります。当時のその会社の四国支社は「課長1名 以上」という体制。なかなかの人生ハードモード突入です。まだ右も左も分からないまま、2トントラックで業者回りからスタートします。


2年目、その上司である課長が退職します。

なかなかの無理ゲーです。

それでも2トントラックは走るのをやめません。コツコツ四国をぐるぐるしていたそうです。お遍路さんみたい、、、と心の中で思ったのは内緒です。

さて、そういう人生ハードモードの中、園主は今のおくさまと結婚することを考えます。(すみません、なれそめとか聞いてません)

実家に帰った際に先代に伝えたところ、『家業を継がない限り結婚は許さない!』といわれてしまいます。

なかなかの昭和の世界観です。


あくまでイメージです

四国の部署は相変わらず人員が増えるような感じでもないし、このままいても、、、

園主はそこで、2年半勤めた会社を退職することを決断します。会社人事涙目(だったと思います)。

しかしここで園主は奇跡的な運を発揮します。なんと退職した会社は、その1週間後、倒産してしまったということです。


あくまでイメージです

運よく?ややこしいところを逃れた園主は、おくさまと新婚生活をスタートさせ、子どもにも恵まれます。

当時の北岡園は、先代社長、その弟さん二人と先代社長の従兄弟二人が中心に運営しておりました。社長が茶葉の仕入れ担当、弟さんと先代社長の従兄弟二人が各店舗の運営担当、もう一人が製茶作業の中心。

その中に帰ってきた社長の息子。


ここからどういう仕事をしていくことになるか、、、ドキドキしていた社長を待っていたのは、想像もしなかった毎日でした


つづく





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