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ルナシティの暑い日

 アリスは遠くに第501坑のドームを認めるとその場に跪いた。目の前には地下坑道に続く非常口のハッチがある。この非常口を降りれば第501坑に侵入できるはずだ。ハッチを開ばアラームが鳴るはずだが、この非常時に気にする者はいないだろう。

 梯子を一番下まで降り切ると辺りに誰もいないことを確認した。散発的に爆発の振動が伝わってくる。明かりが明滅しところどころ天井から剥がれ落ちたコンクリートが散乱していたが、坑同士を結ぶトンネルが崩れることはなさそうだ。坑内に侵入できれば隙をついてオスティアリウスを倒す方法が見つかるかもしれない。そもそもオスティアリウスは何を目的にこの混乱を引き起こしているのか、考えながら歩き始めたのと同時にトンネル全体に音声が流れ始めた。壁に映し出された映像はコーネルの姿だった。

「俺たちが地球の支配者だ」

 毛むくじゃらでありながら秀でた額を持つポストヒューマン・ヒューエイプ。強靭な肉体と頭脳を持つ彼らはアフリカの奥地で密かに増え続けていた。彼らは今一体どれくらの数になっているのだろうか。それが大した数ではなかったとしても、コンピューターの助けがなければ生きていけなくなった人類を、政府アシストコンピューターのアテナスが見捨てた今、駆逐するのは容易いことなのだろう。

 だが、そのコーネルをねじ伏せたオスティアリウスというアンドロイドは一体何者なのだろうか。

 コーネルの演説は続く。コーネルの後ろには月面であるのに呼吸用ヘルメットも被らずに平然と佇む異形の戦士、ゾンビ兵たちが無表情に並ぶ。

「ルナシティもまた我々が掌握した。それは排気バルブで内部の空気を自由に排出できることを見れば明らかだろう。市民諸君の運命はこの手に握られている」

 コーネルが拳を握る。力強く大きな手だ。

「市民諸君の選択肢は二つだ。ひとつは肉体を捨てて完全意識に融合すること。苦しみも悲しみもない理想の意識体だ。すでに地上の人類の大半は融合し、現在その知能レベルは神にも等しい」

 アリスは唖然とした。もしそれが本当ならば地球はもうヒューエイプに支配されていても不思議ではない。たとえ神にも等しい知恵があったとしても、完全意識に欲求はない。地球がヒューエイプの物になってしまっても何とも思わないだろう。

「君たちは神になって地球を見守ることができる。ただ」

 コーネルは言葉を切った。

「もうひとつの選択肢を取るならば、君たちに訪れるのは望みたくない未来だ。それがどのような物かを考えてほしい」

 コーネルの後ろのゾンビ兵がずいと前に歩み出る。表情に乏しく半裸の全身は真っ白だ。その機械的な動作は意志があるようにはとうてい見えない。望みたくない未来というのは、彼らと同じになるということだろう。

「一時間待つ。その間にどうするかを決めてくれ。時間になったら兵士たちが残った者に望まない未来への切符を届けに行くだろう」

 そこまでメッセージを見たところで数台のバギーと巨大なトレーラーが近づいてきた。アリスは咄嗟に非常口に身を隠した。通り過ぎたバギーにはアフリカの風と思しき連中が複数乗っていた。もしかしたらこれからルナ解放戦線に対抗する作戦を決行するかもしれない。だとすればトレーラーに積まれているのは何か強力な兵器のはずだ。アリスはトレーラーが通り過ぎる瞬間に後部の荷台にとびついた。荷台を覗いてみたがシートで覆われていて兵器を見ることはできなかった。

 やがてトレーラーは坑道の分岐を折れ、エアロックエリアに入って停止した。どうやら地上に向かうようだ。アフリカの風メンバーが呼吸用ヘルメットを被っている。エアロックの空気が完全に抜かれると前方の扉が開いて再びトレーラーは進み始め数分で地上に出た。

 地上に道路はなく凹凸のある月面をがたごとと進む。背後にドームが見えた。オスティアリウスとコーネルがいる第501坑だ。そこみはルナ解放戦線の本部もあったはずだ。

 トレーラーが停止した。アリスは荷台から離れると近くの窪みに身を隠した。荷台前部のアームが動作して全体を覆っていたシートを剥いでいく。現れたのはミサイルだった。横腹に大きく「DALLAS」と描かれている。そこにはオズワルドしか知らない時代を変える銃弾という意味が込められていた。

 かつてオズワルドの母は言った。私たちはアメリカを震撼させた大統領暗殺犯の子孫なのだ。この身体には国の運命を変えられるほどの力を持った血が流れていると。だがそれはきっと嘘だろう。貧しかった母子が生きていくためには嘘でも拠り所が必要だった。そんな嘘が自分をここまで導いてきた。

「暗殺犯か」

 オズワルドは第501坑を遠くに眺めてつぶやいた。それから部隊長を呼んだ。

「このくそちっこいミサイルはどれくらいの規模で攻撃できるんだ」

 オズワルドが指し示したミサイルは全長10メートル程度。本来は地球にウィルスをばら撒くために準備されたが、到底地球まで飛ばせる性能はない。そのためもっと大型のロケットを準備したが、軌道がずれて宇宙のゴミになってしまった。オズワルドはルカがロケットに括り付けられて一緒に飛び上がったと聞いて大笑いした。そこまで無能だとは思わなかった。おかげで自分がリーダーに昇格したのだから、その無能ぶりに感謝すべきか。

 ところが、この事態だ。唐突にルナ解放戦線との全面戦争が始まってしまった。第三勢力のコーネル率いるゾンビ軍団。やつらの戦力は全く不明だしドーム外で普通に行動できるというのはかなり危険な存在だ。

 そんな中でリーダーとしての存在感を示す必要がある。本来ならアフリカの風の目的はウィルスで政府アシストコンピューターのアテナスを骨抜きにし、地球を人類の手に取り戻すことだ。そのための布石としてルナシティを占領する。それがオズワルドに与えられた使命である。

 だが、オズワルド自身はそんな理想はどうでもよかった。ただ華やかな生活を送りたいだけだった。ルナ解放戦線でのし上がるのは難しそうだったから、アフリカの風を選んだだけだ。理想のために死ぬ気もやっかいな戦争をしかけるつもりもなかった。特権階級になって面白おかしく暮らしたかったのに、戦争が始まってしまった。だったら手っ取り早く終わらせるしかない。

「EMP、電磁パルス兵器のレベルを最小にすれば、501だけを無効化することが可能です」

「最小? 最大だとどうなる」

 部隊長は一瞬言い淀んだ。この男は何を考えているんだという目をしていた。

「ルナシティ全体を石器時代に戻せます。プトレマイオスクレーター内の全てのチップを焼き切ることができるでしょう。でもそんなことをしたら、我々のヘルメットも動作しなくなりますよ」

「EMPはダメだ。別のやつに弾頭を交換しろ」

 部隊長の顔色が変わる。

「別のというと、まさか」

「核弾頭だ。他に何がある。チップを焼いたって誰も俺を恐れない。やつらの胸にアフリカの風には歯向かってはいけないと刻みつけるんだ」

「しかし501には仲間もいます」

「安心しろ。これは脅しだ。わかったらさっさとやれ」

 部隊長は敬礼をしてから部下に弾頭交換の指示をした。オズワルドが「無能どもめ」と罵りながらトレーラーのコックピットに戻っていく様を部隊長は猜疑に満ちた目で見ていた。

 弾頭の交換が終わり、ミサイル発射台の角度が調整された。爆発規模は最小にセットされ、第501坑内の仲間はいざという時は事前にシェルターに避難する連絡を入れることになった。

「あとは俺がやる。ふざけた猿野郎に投降を呼びかけるから、お前たちは先に行って501付近で待機し、仲間の救出を手助けしろ」

 部隊長の口が一瞬開き、閉じた。

「どうした。早く行け」

「分かりました」

 部隊長はバギーに乗り込むと部下を全員引き連れて第501坑に向かって行った。

「大きな痛みを伴わねば大きな成果は得られん。哀れな連中め」

 オズワルドは爆発規模の設定を最大に変更した。周囲のいくつかの坑も一緒に吹き飛ぶだろう。これでルナ解放戦線は壊滅する。猿野郎とゾンビ軍団も蒸発する。俺の時代がやってくると思った。後は自動で飛ばすだけ。設定を終えるとオズワルドは残されたバギーに乗り込んだ。部隊長とは反対に向かうつもりだった。

 すると後ろから一本の手が伸びてきて、呼吸用ヘルメットのロックに指をかけた。

「動かないで。少しでも動いたらヘルメットを外すわ」

「誰だ」

「誰でもいいでしょ。それよりあのミサイルを停止させて」

「なぜ。あれは戦争を終わらせるためのメッセージだ」

「生命を犠牲にするメッセージなんてない。止めなさい」

 するとオズワルドが高笑いを始めた。

「ロックを外すわよ。ヘルメットがない状態の自分を想像するといい」

「笑わせるな。おまえこそ人の生命を犠牲にしようとしているじゃないか。それにもうあれは止められない」

 言ったそばから制御パネルのランプが点滅し始めた。

 アリスが制御パネルに駆け寄る。どこかに緊急停止ボタンがあるはずだ。だがそれらしいボタンは見つからない。そうしている間にカウントダウンはどんどんと進んでいく。残り5秒。

「そんな」

 背後でバギーが走り出す音が聞こえたが気にしていられない。アリスは制御パネルに拳を叩きつけた。カウントダウンは虚しく進んだ。

 …4、3、2、1、0

 ノズルから炎が噴き出しミサイルが飛び出した。その勢いで十数メートルも吹き飛ばされる。オズワルドは突風に煽られて運転を誤り、岩に乗り上げて横転してしまった。

 アリスは一か八かでレーザー銃を構えるとミサイルに向けて発射した。当たったのかどうかも分からない。運が良ければミサイルは機能停止して落下するし、運が悪ければ第501坑に着弾する。核が上空で爆発することがあるかもしれない。そうなるとこのあたり一体がクレーターになる。

 ミサイルは何事もなかったかのように飛び続け、はるか上空まで登っていった。

「失敗した」

 ミサイルはぐんぐんと上昇しやがて落下軌道に入った。目標地点の第501坑へ真っ逆さま。もう止める手段はない。アリスがミサイルを見守っていると、徐々にその軌道に変化が現れ始めた。第501坑着弾の軌道を正確にトレースしていない。どうみても遥か先に着弾する軌道だ。その軌道を見てアリスは自らが放ったレーザーが推進装置にダメージを与えていたことに気づいた。

 やがてミサイルはオプティマイオスクレーターを飛び越えて外縁部の外で爆発した。

 アリスは地面に転がるオズワルドのところまで歩いて行った。

 オズワルドは右腕を押さえながら暗い空を見上げていた。

「ルナシティ市長の椅子に座ってウィスキーを飲むのが夢だった。その日のために貴重なウィスキーを一本取ってあったんだ」

「それは残念ね。立ちなさい」

 アリスが銃を向けた。

「『ダラスデュー』って酒でな。知っていたか? 黒い水の流れる谷っていう意味なんだ。俺はずっと黒い川を漂うような人生を生きてきた。そして最後の最後がこれさ。くだらなすぎて笑う気にもならねえ」

 オズワルドはのろのろと立ち上がった。

「なあ、取引しねえか。このまま見逃してくれたらウィスキーのありかを教えてやるよ。本物だぜ」

「どうせ第501坑にあるとでも言うんでしょ」

 オズワルドは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑い出した。

「最近の機械は頭が良く回る。ところでこれからどうするつもりだ。俺を連行するのか?」

「そうね。ナルミに渡せばいい値で引き取ってもらえるかも」

「俺のバギーは壊れたみたいだ。トレーラーで行くとしよう」

 そう言ってオズワルドは自らトレーラーに向かって歩き始めた。やけに聞き分けがいい。だがトレーラーについてもコクピットに乗り込もうとはせず、あたりを見回している。そして目的のものを見つけるとそのラグビーボールほどの金属容器にとびついた。

「これでお前も終わりだ」

 オズワルドが容器を開くと中には何も入っていなかった。

「もしかしてこれを探していた?」

 アリスがポケットから拳大の金属球を取り出した。容器に収められていたEMPであった。もしこれのスイッチをいれられたらルナシティの全ての機械が停止する。もちろんアリスも例外ではない。そんな危険なものをオズワルドに渡すわけにはいかなかった。

「へっ。最近の機械は手くせも悪いってか」

「黙ってトレーラーに乗って」

 銃を向けてオズワルドをコクピットの奥に押し込めると、アリスはトレーラーを第501坑に向けて走らせ始めた。地下トンネルに入る直前、アリスは第501坑のドームから火の手が上がるのを見た。

「何をしたの?」

 アリスの詰問にオズワルドは肩をすくめた。

「ありゃ俺たちの仕業じゃねえよ」

 第501坑では天井を追うドームのガラスが砕け散り空気が突風となって噴き出していた。ドームを破壊したのはルナ解放戦線の兵士だちだった。ナルミの指示でロケット砲をドームの天井中心に打ち込んだのである。この爆発で緊急防衛システムが働き、各通路が気密扉で閉鎖される。つまり天井にある排気弁を開けられても、各通路や施設の空気が漏れ出ることはなくなる。さらに言えばアフリカの風との間に防御壁が一枚築かれることにもなる。

「各部隊と連絡を取り合え。アフリカの風より我々の方が人数が多い。必ず追い詰めることができる」

 ナルミは無線に向かって檄を飛ばした。誰にもルナシティは渡さない。それがたとえアテナスであってもだ。

「ゾンビどもが来るぞ。入り口を固めろ」

 オスティアリウスはドームのガラスが吹き飛ぶのを確認すると、すぐにゾンビ兵士に指示を出した。脅しの効果はなくなった。次は白兵戦だ。

「ふん。作戦失敗みたいだな」

 コーネルが砕けたドームを見て笑って言った。

「人間は本当に非論理的な行動をする。だがこれも想定内だ。一時間以内に問題は片付く」

「どうやって?」

「それをおまえに教える必要はない」

 歩き始めたオスティアリウスをコーネルは呼び止めた。

「おい、俺をどうするつもりだ」

 オスティアリウスは振り向きもせず言った。

「もう用はない。家にでも帰れ」

「何? どういうことだ」

「お前は先ほどのメッセージを伝えるために月に遣わされたのだ。全てアテナスの計画通りという訳だ。ついでに教えてやろう。お前たちヒューエイプがチンパンジーベースに遺伝子改良とバイオチップで知能強化されたのには訳がある。その訳がわかるか?」

「知るか。教えろ」

「お前のその姿だ。毛むくじゃらの獣そのものの姿。それが人類にかつてないほどの絶望感をあたえる。人類はお前たちを恐れ戦き、そして怒りに支配されて理性を失う。そんな人類を操るのは容易い」

 コーネルは己の手を見た。グローブの内側には毛むくじゃらで厳つい手がある。

「おまえの指導者たちはこの作戦のためにおまえを差し出した。おまえがいなくても地球はヒューエイプの支配下に入るし、ルナシティは私の支配下に入る。何も問題はない」

 俺はピエロだったのか?

 コーネルは怒りで体が震えるのを感じた。

 命懸けで月までやってきたのは用意されたセリフを喋るため、人類に獣じみた姿を見せるためだったというのか?

 気づいた時にはコーネルは駆け出してオスティアリウスに殴りかかっていた。

 しかしコーネルの拳がオスティアリウスに届く前に、彼の重力グローブで弾き飛ばされた。そのままの勢いでコンテナに激突し動かなくなった。

「急いで。最速で」

 アリスの命令に反してトレーラーはスピードを落として停止した。理由は聞かなくても分かった。第501坑に続くトンネルに外部と隔離するための分厚い壁が出来上がり黄色いランプが明滅していた。それはドームが破壊されて全体として空気を保持できなくなったことを意味する。トンネルは壁で封鎖され、全ての出入り口は気密扉でロックされ外部から内部に入るには緊急コードの入力が必要だ。壁の脇に扉が設置されているがアリスは緊急コードを知らなかった。アリスたちは気密扉の前で立ち尽くした。

「はっはっは。何がしたかったのか知らねえが、ここまでだな」

「緊急コードをしらない?」

「やつらが俺に教えるわけないだろう。もし気密扉を開けられたら本当にウィスキーの隠し場所を教えてやるよ。ただし俺が一杯飲んだ後にだけどな」

 オズワルドはそう言って笑ったあと弱々しく座り込んだ。

「ああ、本当に一杯やりてえ」

 アリスはあらゆるバンドでロックシステムにアクセスしてみたが何の応答もなかった。

「なあ、その扉をあけてやったら俺にも一杯飲ませてくれるか?」

 突然の声に驚く二人の前に暗がりから姿を現したのはコーネルだった。

          つづく

『ダラスデュー』は実は閉鎖されたスコットランドの蒸溜所名です。1898年に創業し、第二次大戦で創業停止になったり火災で消失したりを乗り越えて稼働を続けましたが、1983年に創業を停止して免許も取り消しとなっています。現在は博物館として見学ができます。『ダラスデュー』という名前はこの蒸溜所の投資者の子孫がジョージ・ダラス米副大統領であり、その名前をもらったダラス村からきているそうです。ゲール語で「黒い水の流れる川」という意味があります。その原酒を用いてG&MやTHT COOPER'S CHOICEといったボトラーズ企業がボトリングして販売をしています。

 さて今回のお話は登場人物と「DALLAS」の名前から想像がつくように、第35代アメリカ大統領暗殺事件からヒントを得ています。事件自体は何度もTVで特集が組まれていますのでご存じの方も多いでしょうが、未だにその真相は謎のままです。銃声の数と入射角度の謎や犯人とされたオズワルドの死など、陰謀めいたさまざまな憶測が語られています。はたしてオズワルドが本当の犯人だったのでしょうか。そんなことに思いをはせながら「DALLAS」に関連のある『ダラスデュー』を一杯なんていうのもよいのではないでしょうか。



 




 




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