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BON

 彼は星間高速バスが本線を外れて地球ランプに向かったのに気がついた。アナウンスが到着まで一時間とつげている。窓から外を覗くと眩く光る太陽と、青く輝く小さな地球が遠くに見えた。
 もうすぐ孫に会える。そう思うと彼は喜びが全身をぼうっと暖かく包むのを感じた。隣では妻が目を瞑って休んでいる。その寝顔もまたどこか暖かさを感じさせた。
 バスターミナルに到着すると彼らはすぐに入星ゲートに向かった。ゲートの審査にはたくさんの人が並んでいた。故郷の地を踏むには先ずこのゲートを通らねばならないのだが、毎年やってくる彼らにしてみれば、手続きなぞお手のものであった。ただ、この順番待ちというのはいつも気疲れを感じさせる。このご時世にこういった手続きが一向に改善されないのが不思議でならない。
 やっと順番が回ってきた。文句のひとつも言ってやろうと思ったら、隣で妻がそっと袖を引っ張った。振り向けばいつもの笑顔があった。妻はこういうことに文句を言ったことがない。その顔を見ているうちにどうでもよくなった。
「入星の目的は?」
 美しくはあるが、切れ長の目がどこか冷たさを感じさせる、中性的な顔の係員が尋ねた。
「孫に会うためです」
「お孫さんに。息子さんもいらっしゃるようですが、お孫さんだけですか」
 彼は面倒臭そうに手を振った。
「息子夫婦にも会います。でも目的というなら孫に会うためにやってきた」
「そうですか」
 係員は関心がなさそうにうなづいた。
「お連れ様は奥様だけですか」
「そうです」
 妻を見やると、やはり黙って微笑んでいる。妻はほとんどしゃべらない。というよりもう随分前から喋れない。笑顔を絶やさないのはもう表せる感情がそれだけだからかもしれない。妻の方が早くからこちらにいるから仕方ないし、いづれ一緒になるのだろうから悲しくはない。
 彼は卓上カレンダーに目をやると係員に尋ねた。
「期間を延長してアメリカを回ることはできないですか。妻に国立公園を見せてやりたいんです。昔からの夢だったもので」
 係員は表情を全く変えずに答えた。
「それは難しいでしょう。あちらとは周波数が違うので行ってもお楽しみ頂くことはできないと思います。たいていの方は地殻からの周波数に大きな影響を受けます。へたをするとその場に縛り付けられてまったく身動きできなくなってしまいます」
 彼は落胆のため息を漏らした。毎年同じことを尋ねる。そして同じ答えをもらう。答えが同じなのはわかっているしどうしようもないこともわかっている。万に一つの可能性でもあればと考えてしまう。科学だって随分と進歩したのだからなんとかならないのか。たた、地球に対して人はあまりに小さい。
「他にご質問は?」
 彼はゆっくりと首を横に振った。
 審査が終了すると腕にスタンプを押された。一週間の入星期限と活動エリアが日本であることが記載されている。青白く光るスタンプは数回明滅するとすっと消えた。スタンプは執行力があるので逆らうことはできない。一週間を超えて滞在することもできないし、日本から出ることもできない。逆らったらどうなるのかなどと考えたことはないが、二度と孫に会えないことだけは確かだ。
 広大な待合エリアの指定番号ブースで入星開始を待つ。正面の巨大なディスプレイには美しい地球の姿が横いっぱいに広がっている。待合エリアには同じように入星を待つ人たちで埋め尽くされていた。そして誰もがディスプレイを目にした瞬間、この美しい星に感嘆のため息を吐くのだった。
 感嘆のため息が不安の鼻息に変わったのは夜も二十時を回ったころだった。
「インビテーションが必要だとあれほど言っておいたのに。あいつまさか忘れているんじゃないだろうな」
 彼は物忘れの多い息子に不満を漏らした。息子は子供の頃から忘れ物が誰より多かった。玄関にランドセルを忘れていくなんてしょっちゅうだ。遠足に行き忘れ、友人の結婚式に出忘れ、葬儀で遺骨を会場に忘れてきた男だ。インビテーションを忘れていることはありうる。というより絶対に忘れているに違いない。たとえ審査が通っていてもインビテーションで招待されなければ孫には会えないのだ。インビテーションは待合ブースと行き先を繋ぐドアの鍵なのだから。
 左右を見渡せばみなとっくに移動してしまい待合ブースに残る人は数えるほどになっていた。
「ええ、何をしている。このままでは日付が変わってしまうぞ。お前もなんか言ってやれ」
 だが妻は黙って微笑むだけだ。彼は振り上げても下ろす先のない拳を振り上げ続けた。
 二十時を二十五分も過ぎた頃、待合ブースにブルーのランプが灯った。目の前に人が通れる大きさの光のリングがいくつも現れ、地上まで数を増やしながら並んでいく。光のトンネルだ。
「インビテーションが来た。行くぞ」
 彼は妻の手を引くと勢い光のリングに飛び込んだ。ふわっとした浮遊感があり、すぐに引っ張られるようにリングの列を移動し始めた。はるか彼方にゆらゆらと揺れる光がある。インビテーションの光だ。移動のスピードは徐々に上がり、光のリングはつながったトンネルになった。そして彼ら自身が光となってその中を突き進んだ。
 やがて見慣れた町並みの上に飛び出した。一気にスピードが落ち街の上空を漂う。どこへ向かえばいいのかはすぐに分かった。ゆらゆらと揺れるちいさな光が、だが、決して見落とすことのない煌めきがこちらだと彼らを導いていた。
 彼らはその光に向かって進んだ。やがて知った家の屋根がゆっくりと近づいてきた。玄関の前に息子夫婦と小さな男の子が並んで立っていた。足元には彼らを導いた光がゆらゆらと揺れていた。彼らはゆっくりと孫たちの前に降り立った。
 だが、息子夫婦も孫もじっと空を見上げたままであった。その視線の先には星空があるだけだ。それでもいい。再びこうして会うことができた。
「ねえ。おじいちゃんたち来るかな」
「大丈夫だよ。ろうそくも灯したし」
「お馬さんに乗ってくるって本当?」
「どうかしらね。おじいちゃんSF好きだったから宇宙船に乗ってくるかもよ」
「ふーん。格好いいやつだといいね」
 男の子は星空からきゅうりの馬に視線を落とした。そして何かを感じて正面に目をやってあっという顔になった。次の瞬間男の子はうれしそうに微笑んだ。

          終

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