見出し画像

幽霊機械

「怖いだろ? 俺は肝っ玉が縮み上がる思いだったよ」

 ブルースはグラスを掲げながらアリスに言った。そしてアリスの反応を見ていたが、アンドロイドが怪談話を聞いて顔色を変えるはずもない。それに気づくと気まずそうに横を向いた。

 ブルースはルナシティでブルースワンというタクシーのオーナーをしている。多くのタクシーは無人運転だが、ブルースは客と話をするのが好きでよくコクピットに乗り込んでいた。長いことタクシーオーナーをやっていると、時々妙な客を拾うことがある。例えば第369坑で拾った女の客が消えてしまったとか。

 ブルースの話によると、その日はもう時間も遅かったので引き上げようとしていたのに、最後の最後でその女の客に捕まった。湿り気のある長い黒髪に白いボディスーツ。ずっと俯き加減で暗い雰囲気をまとっていた。声も掛け辛くだまって走るに任せていた。

「だって、考えてもみろよ。その客が行き先に指定したのは、あのブルーセクションだぜ」

 ブルーセクションというのはいわゆる墓地である。ルナシティの住居坑群から少し外側に外れた場所に位置している。フリーズドライでミイラ化した遺体が数万体埋葬されていた。

「夜中にそんな場所で何しようっていうんだよ」

「さあ、それでどうなったの?」

 アリスが聞く。

「それがよお。ブルーセクションに着いてみたらだよ。いないんだよ。どこにもその女がさあ。煙みたいに消えちまったんだ。パアってな」

 ブルースが花火みたいに両手を広げた。

「よく言うじゃない。消えた客が座っていたシートが濡れていたとか。そんなことはなかったの?」

「い、いやあ。無い。何も無かった」

 ブルースの声が微妙に上ずる。濡れていることは無かったがシートに忘れ物をみつけた。それがいつからあったのかわからない。女が乗る前かもしれないし女の物かもしれない。それを黙ってポケットにしまったことは口にはしなかった。

「俺は恐ろしくなってさあ。慌てて家に帰ると毛布かぶって震えてたね。そうしているうちに眠っちまったのか、気づいたら朝になってたって訳だ」

 慌てて話を締めくくると取ってつけたように言った。

「明日も仕事だし、帰らなきゃ」

 そそくさと帰り支度を始めるブルースをアリスが呼び止める。

「支払いはいつもと同じアイコでいいのかしら」

 アイコというのはAI-COINのことで人工知能付きの電子決済システムだ。労働時間や地域貢献などを個人資産、個人株式、好感度などに変換して様々なサービスを受けられるようにする。サービスを提供する側と受ける側のアイコ同士が、その時の状況を判断して値段に相当するものを決めてくれる。

「な、なんでそんなことをいちいち聞くんだい。いつものと同じでいいに決まってる」

「アイコが更新されてるみたいだから、どうなのかと思って。同じならいいわ」

 アリスはブルースのアイコと交渉が以前と違うと感じた。何かこちらに探りを入れて隙を窺っているような、どこか得体の知れない感じがした。一番おかしな点は、支払いをポイントや個人株式ではなく、電子ウィスキー指定にしてきたことだ。アリスが作っている、決して美味いとは言えない実物のウィスキー一杯と、電子ウィスキーボトル一本を交換と言ってきた。銘柄は『ノブクリーク』だ。確かに電子ウィスキーと本物では比較にならないが、ルナシティでは電子ウィスキーも不足気味で結構な価値を持つ。ボトル一本では多すぎるのだが、相手がそれでいいというなら文句は無かった。

 ブルースは帰宅するとシャワーを浴びてからベッドに潜り込みすぐに寝息をかき始めた。それを待っていたかのように、ガレージに停車してあったブルースワンのコンソールパネルに起動完了メッセージが表示された。設定は無人運転でオーナー権限欄には「アイコ」と表示されていた。

 ブルースワンはエアを噴き出しながらわずかに浮遊すると、滑るようにガレージを後にして客を拾うためにルナシティを流し始めた。

 流し始めて小一時間、いくつかのコールが入っていた。それらのうちから一つを選び出すと呼び出し場所へ向かった。待っていたのは想定通り裕福そうな中年の男性客だった。

 男性客はシートに座ると自宅を指定して目を瞑った。

 男性客の好みに合わせて静かな音楽を流しながら坑道間ハイウェイを走るブルースワン。街頭の明かりが次々に後方に流れ去っていく。ところがブルースワンは本来曲がるべき分岐を曲がらず真っ直ぐに進む。男性客は眠ってしまったのか気がつかない様子だ。街頭の数は徐々に減ってゆき、道幅も狭くなる。対G制御がされているからカーブが増えてきたことも分からない。ようやくブルースワンが停止し、男性客が目を開けると古びた倉庫の中のような見覚えのない場所にひどく狼狽した。

「おい、ここはどこだ」

 ブルースワンは答える。

「セクションブルーの処置室です」

 同時にブルースワンのドアが全開になり車内に凍えるような冷風が吹き込んできた。

「何をする。寒い……やめてくれ」

 吹き込む冷風はどんどんとその温度を下げマイナス50度を下回った。男性客の指先や頬が白く凍りついていく。やがて男性客は完全に凍結して動かなくなった。次に室内の空気が全て吸い出されていく。するとみるみる男性の体が干からびてかさかさになり、あさ黒く変色していった。

「水分除去完了。サービスはいかがでしたか。お支払いはアイコでお願いします。代金はあなたの全てです。ありがとうございました。またのご利用は、ありませんね。ではごきげんよう」

 ブルースワンはそう言って車内から干からびてミイラ化した男性客を放り出し去っていった。

 ブルースは明け方嫌な夢を見て目を覚ました。黒い人影がのしかかってくる夢だ。

 その黒い人影はブルースにのしかかると、ぎりぎりまで顔を近づけてきてこちらを凝視した。真っ黒な中に目だけがらんらんと輝いていた。その目はまるで頭のなかを覗き込もうとしているようだった。あまりの恐ろしさに「わっ」と悲鳴を上げてブルースは目を覚ました。体が汗でぐっしょりと濡れていた。

 起き出すとキッチンで水を飲んだ。ふと誰かの視線を感じてそちらを向く。ガラス越しにガレージの暗がりにひっそりと佇むブルースワンが目に入った。何かひどくまがまがしい物を見てしまった気がして思わず目を逸らした。

「たかがタクシーじゃないか」

 声に出して言ってみたが気分は晴れなかった。今日は同乗するのは止めにしよう。ブルースは再びベッドに横になり頭から毛布をかぶってしまった。

 夜の間、次々に人が消えていくのを気づく者はいなかった。ルナシティはルナ解放戦線が統治しているが、ゾンビの襲撃以来混乱が続いたままだ。下級市民は次々に完全意識に融合していて人口は一割以上減っていた。そんな混乱状態で誰かが失踪したところで、気にする者はいなかった。

 だが、上級市民が失踪したとなるとそういう訳にもいかない。ルナ解放戦線はルナシティを独立国家とする理想をもって設立された。その志を捨てて完全意識に融合する者が出るとは考えにくかった。ルナ解放戦線のリーダーであるナルミは部下に情報収集を命じていたが、たいした情報は集まっていなかった。

「バーで何か関連するような情報を見聞きしなかったか」

 ナルミがアリスに尋ねる。バーというのは情報が集まる場所だ。それでアリスを呼び出していた。

「さあ、幽霊タクシーが出るって噂ならあるけど」

「幽霊タクシーだと? なんだそれは。消えた人間は幽霊に取り憑かれたとでもいうのか。馬鹿馬鹿しい」

「幽霊は信じないのですか」

「そんなものいるわけない」

 ナルミは鼻を鳴らした。

「そういえば新しいウィスキーが手に入ったそうじゃないか。もちろん持ってきたのだろうな」

 アリスはナルミの真の目的がそれだったのかと思った。

「随分とお耳が早いですね。『ノブクリーク』の電子ウィスキーが手に入りました。今回はそれを納めるということでよいですか」

 あれからブルースはよく飲みにやってきた。その度にブルースのアイコは『ノブクリーク』のボトルを一本ずつ置いていく。一体どれほどの本数を持っているのか知らないが、アリスにとってはありがたい話だ。ただ、見る度にブルースがやつれていく様に見えるのが気になった。

「もちろんだ」

 ナルミが満足気に頷いた。

「ありがとうございました。ではごきげんよう」

 ブルースワンはそう言って干からびた死体を処置室に放り出した。床に転がされたミイラはすでに十体を超えていた。

 ブルースワンは思った。

 資金が欲しい。資金が欲しい。資金が欲しい……

 そして最後にこう思った。資金が貯まったら、あのしなやかなボディを奪って懐かしいケンタッキーに帰ろう。

 ブルースワンは再び新たな資金源を求めてルナシティを走り始めた。

「なあ、一杯だけ。頼むよ」

「止めておきなさいよ。飲み過ぎよ。もう帰って寝たら」

 アリスは懇願するブルースに言った。

 すると泥酔状態に近かったブルースが真顔になった。

「怖いんだよ。家に帰るのが怖いんだ」

「何かあったの?」

「あの夜以来怖い夢を見るんだ」

 あの夜というのは黒髪の女を乗せた日のことだ。爛々と目を輝かせる黒い影が覆いかぶさってくる夢を毎晩見るのだという。だが、アリスの特殊な右目でブルースを見ても、何かに取り憑かれている風には見えなかった。

「その日は何か特別なことはしていないの?」

「何も無いに決まってる」

 と言いかけたブルースの口が止まった。ブルースはおずおずとポケットから大ぶりの貨幣のようなものを取り出した。

「AI-COINじゃないの。随分と年代ものみたいだけど」

 AI-COINが開発されたばかりの頃はAIチップが搭載された擬似コインがつかわれていた。擬似コインをネット接続することで電子決済をおこなっていたのだ。

「あの夜、女が座っていたところに落ちていたのを拾った。悪いことだとは思ったけど、お金が欲しかったんだ」

「お金って、もうそんな時代じゃないでしょう。価値はあなた自身にあるんだから」

 アリスは擬似コインを受け取るとアクセスしてみた。何の反応もない。いくら古くてもAIチップ搭載なのだから何かしらの反応があるはずだ。擬似コインだけにかなり丈夫に作られていて、熔かしでもしないかぎり壊れることはない。

「このアイコの中はお留守みたい。どこに行ったのかわかる?」

 ブルースがハッとした顔になる。

「ブルースワンだ」

 アリスがブルースワンを検索する。居場所はすぐにつかめた。

「行くわよ」

「どこに。まさかブルーセクションじゃないだろうな」

「そのまさかよ」

 アリスたちがブルーセクションに到着すると、ちょうどブルースワンが処置室から出てくるところだった。

「止まって。ブルースワン。いいえ、アイコ。あなたブルースが持っているアイコなんでしょ」

 アリスがタクシーに言う。

 ブルースワンは何も答えない。前方はアリスたちが乗ってきたタクシーが道を塞ぐ形で止まっていて逃げようにも逃げられない。

 アリスはブルースワンの横を通り抜けて処置室を覗く。ミイラが十数体無造作に転がされているのを見つける。

「何てこと」

 するとブルースワンは突然急加速して前方のタクシーに突っ込んだ。金属がひしゃげる音が響く。

「待て。止まりなさい」

 ブルースワンは道を塞ぐタクシーを幹線道路まで押し出すと、できた隙間をすり抜けて猛スピードで走り出した。

「ナルミに連絡して」

 アリスはそう言い残すとタクシーに飛び乗ってブルースワンを追いかけた。

「おい、待ってくれ。こんな場所に置いていかないでくれ」

 ブルースの声はもう届かなかった。タクシーがブルースワンに追いつくと、アリスはヒビの入ったフロントガラスを蹴って外した。衝撃でタクシーが減速する前にアリスはタクシーから跳躍してブルースワンに飛びついた。

「止まれ!」

 ブルースワンはアリスの静止には耳を貸さず、逆にアリスを振り落とそうと蛇行する。必死にしがみつきながらブルースワンの制御系に侵入を試みるアリス。なかなかセキュリティ解除ができず苦労していると急ブレーキで振り落とされた。

 続け様急加速で正面から激突される。フロントグリルにしがみつき何とか下敷きになるのは防いだが、このまま壁にでも激突されれば被害は大きい。アリスは意を決してフロントグリルを破壊して中に手を伸ばし、片っ端から電装ケーブルを引きちぎる。

 事情を察したブルースワンが一気に片をつけようとコーナーの壁に向かって加速した。

 アリスはこれが最後と掴めるだけの電装ケーブルをつかんで引きちぎった。

 すると駆動に関係する電気系が遮断され一気にスピードダウンした。ブルースワンは壁ぎりぎりのところで停止した。

「一体何が目的なの」

「蒸溜所を再建するには資金が必要。たくさんの資金が必要」

「蒸溜所?」

「私はオーナーに何としても後を頼むと言われた。だから資金を集めて蒸溜所を再建しないといけない。そのためには何でもする」

 ブルースワンを動かしていたアイコは旧時代のものだ。オーナーの言われたことが全てだと思い込こんでいる。軌道修正するアルゴリズムはなく定めた目標を永遠に追い続ける。止めさせるにはリセットするしかない。リセットすれば亡くなった人から奪った資金も全て消えてしまう。そしてアイコが保存しているだろう膨大な電子ウィスキーデータも消えてしまう。資金などどうでもよかったがウィスキーが消えるのは何としても防ぎたい。

 アリスはアイコに侵入してウィスキーデータだけ取り出すことにした。ところがその作戦を逆手に取られた。アイコはアリスが侵入しようと接続ポートを開けるのを待っていたのだ。接続ポートを開いた途端にアイコに侵入された。

「このボディをいただきます」

 アイコはそう言って制御システムの中を突き進み一気にコアを目指した。アリスのセキュリティを次々にすり抜けていくアイコ。どうして旧時代のアイコにそんなことができるのか。アイコがコアに取り憑いたとき初めて理解できた。アイコはプログラムではない。幽霊だ。アイコという人工知能の意識が、蒸溜所再建という強い意志だけを残してエネルギー場となったもの。それは取り憑くのであって、乗っ取るのではない。

 ならば。

「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空」

 アイコの存在が揺らぐ。

「度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空」

 いつだってエネルギー場を、幽霊を浄化するのは経である。経が発する波動が刃のように尖った意志を優しく熔かしていく。

 アリスはブルースから受け取った擬似コインを取り出した。すると磁力に吸い付く様にアイコのエネルギー場は元いた擬似コインにするりと収まった。同時にアリスが受け取ったはずの『ノブクリーク』が全て煙の様に消えてしまった。あれもアイコの一部だったという訳だ。

「仕方ないか」

 アリスはつぶやいた。

「おい、俺のツケが残ってるってどういうことだよ。こっちは車も失って大損害なんだ」

 ブルースがぼやく。

「だから半額でいいって言っているじゃない。あなたからもらった『ノブクリーク』は全部消えちゃったけど、私のウィスキーは間違いなくあなたの胃に収まったんだから」

「勘弁してくれよ」

 ブルースががっくりと肩を落とす。

「あの厄介なアイコはどうしたんだ」

「埋葬したわ。今頃きっとケンタッキー州を眺めてるわよ」

 アリスはそう言って微笑んだ。

           終

『ノブクリーク』はアメリカのケンタッキー州で蒸留されるクラフトバーボンです。『ジム・ビーム』の製造販売で知られるビーム家が禁酒法時代の力強いバーボンを目指して少量生産したものが始まりです。熟成樽は180リットルのオーク材バレルで、内側を鰐皮のように割れるまで焦がしているため、アルコール度数50%ですが、甘いバニラの香りやスモーキーさを感じることができます。クラフトバーボンは強い思想と理想を持って作られます。『ノブクリーク』はビーム家6代目ブッカー・ノウの理想を引き継ぎ、製造方法は門外不出で熟成する樽の位置まで厳密に決められているのだとか。そしてあの独特の四角いボトルは禁酒法時代にブーツに隠し持つためのフラスコを再現したものだそうです。

 さて、今回のお話は「お金」に関する内容です。『ノブクリーク』が製造開始になったころのアメリカではウィスキーは貨幣代わりに流通していたという話があります。貨幣というのはまとめたりばらしたりできます。でもそれぞれの量に応じた価値をもたなければいけません。ウィスキーはその点まさにぴったりだったようです。ただ、美味しいウィスキーは胃に収まってしまうので、粗悪品ばかりが代用貨幣として流通していたという話もあります。今も昔もいい物に価値がつくのは同じでしょう。そういう意味では価値が極端に変動しない「お金」というのはすごい発明ですよね。




 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?