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お風呂が好き

「休日は何してるの?」

という質問を上司からされたので「お洋服など買いに行きますね」と答えた。

「『お洋服』て、えらい丁寧やなぁ」

文字にすると皮肉っぽく見えるが、私の上司がこういうことを言うとき、皮肉っぽさは全くない。関西弁で、思ったことを本当に思ったまま言うタイプの関西人なのだ。「えらい丁寧だなぁ」と言った時は本当に「この人はなんて丁寧な言葉を使うんだろう」と、思っている。

お洋服やお風呂。なんとなく、自分の生活に関するものに「お」をつけているような気がする。文章にすると省きがちなのだが、人と話すときには、妙に丁寧な言葉が部分的に顔を出す。上司と話すときにも恋人と話すときにも、砕けた口調の中で突如現れる丁寧な言葉はある程度の違和感を会話の中に生じさせる。それを突っ込む上司がいることもあるし、慣れてしまってほとんど触れてこない恋人がいる場合もある。それだけの違いである。

「お」をつける言葉は、小学校高学年くらいから、なんとなく恥ずかしくなってきて「服」とか「風呂」とか、あえて「お」を外してぶっきらぼうな言い方になるものだ。私にもそんな時期があったような気がするのだが、気がつけば「お洋服」と平気で言い放つ男に育っている。

母や祖父母は、お洋服やお風呂を使っていた。

「お洋服ちゃんと着て」とか「お風呂に入りなさい」とか。いわゆる、私の丁寧な言葉は、丁寧な祖父母が「オメェいい加減にちゃんとしろ」と我慢の限界を突破して私に文句をぶつけてきた言葉たちである。そして、そのほとんどが治らないまま22歳を迎えた。

祖父母の言ったとおり、ちゃんとやらないと本当にずさんな生活になってしまう。一人暮らしをして、そんなことを思った私は、お洋服やお風呂やお洗濯などに挑戦している。今更ながら、自分のしつけなおしである。

私はシャワーよりもお風呂派なので、お湯を張ってお風呂に入る。追い焚きができないタイプなので、風呂を沸かすというよりもお湯を張るという表現のほうがぴったりだ。少し熱めのお湯に浸かって、ボーッとする。スマートフォンを手放すいい機会だ。シャワーよりも、湯に浸かるほうが自分の中に溜まったものが抜けていくような気がする。

しかし、お湯から上がったあとが大変だ。床に散らばるお洋服は洗濯しなくてはいけないし、今入ったお風呂も掃除をしなくてはいけない。私はパンツを履くと、風呂掃除に使うスプレーをまだお湯を張ったままの浴槽に吹きかけた。ラベルには20から30秒待てと書いてあるので、1から30まで風呂の前で数える。ここで、Youtubeなど見ようものなら、もう二度と掃除は始まらない。それどころか、次、お風呂に入ろうとしたときに掃除途中でスプレーの吹きかけられた湯船を見ることになる。

30数え終わるとお湯を抜き、スプレーの泡が残る浴槽をスポンジで掃除した。今度は脱ぎ散らかした服を1箇所にまとめておく。明日の予報を見てため息をついた。春なのか梅雨なのかわからない微妙な気候の5月は、本当にやる気が無くなる。やろうとする気持ちはあるのだが、間が悪いのが5月である。

休日、床に散らばっているものを全て棚に押し込み、トイレ掃除に風呂掃除。日々の生活で貯まった負債を一気に片付けている気分だ。

息継ぎをするような休日は、あっという間に過ぎていく。遊ぶ日か、貯め込む日か、片付ける日か、眠る日か。前日くらいに決めておけると理想なのだが、考える前に寝てしまう。


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テーマ「お風呂」


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