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時間という概念



『時間』というものを大事にできない人が苦手です。時間を軽く見てしまう価値観そのものが好きではない。なるべく自分から遠ざけたいと思ってしまいます。

少し前に、「きっとこの私の価値観は、葬儀屋という環境で数年働いていた経験があるからだと思う」という話を書いたんですが、今でもその考えは変わってません。

偉い人もそうじゃない人も、お金がある人もそうじゃない人も、優しい人もこわい人も慕われた人も嫌われた人もみんな平等に最後はしんでしまって、時間というものを手放します。

まるで、自分だけはそうはならないと信じ切っているような人は苦手。上手く言えないけどいろんなものを吸い取られそうな気がする。

1秒1秒の積み重ねが過去であり今であり未来になっていくのに、ある意味刹那的に生きている人は自分だけじゃなく周りの人さえも軽んじている気がして、距離を置きたいなって思ってしまう。

例えば電話。例えばオンライン会議。例えば対面でのお喋り。
すべて目的が定まってないと不安です。なんなら終わりの時間が1分1秒まで明確に前もってわかっていないと一層不安

話している時間自体が無駄とか、相手のことが嫌いとか下に見ているとかではなくて、「私の時間をあとどれくらいこの人に捧げないといけないんだろう」と思う。

私自身も充分楽しめている場合がほとんどなんですが、リミットが決まっていないと気になって気になって楽しむどころではない。

なので、最近は自分から〇分! って切るようにしています。直後に作業の予定とかわざと入れてしまう。時間を有効に使いたい。

そんな感じなので、ちゃんと相手の時間をもらっているという意識のある人と会話をするのは心地いいです。形だけでもいいから「お時間大丈夫ですか?」とか訊いてほしい。

まるで時間を割くのが当たり前と思っているような人とは話したくない。
もちろん私自身も、その意識を強くもって大切な人と交流したいと思っています。



時間という概念をもっと具体化させたい。手で触れるくらいの物体にして大切に慈しみたい。

最期はどんな人も平等にしんでしまって、持っている時間というものも手放してしまうのだから、その瞬間まで大事にしたい。


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