厚底サンダルとルーズソックスがトラウマになった話

 北国の田舎町でごく普通の公立小学校に通っていた。クラスの耳目をいろんな意味で独り占めするA子(ジャイアン的存在)とその腰巾着B美(スネ夫的存在)と私(のび太的存在)の3人でいつもつるんでいた。
 つるんでいた、と書くといかにも悪友同士仲良しこよしなイメージになってしまうが、私は人気者2人の後ろに金魚の糞よろしく引っ付いてまわっていただけのことである。

 A子とB美はとても目立つ存在だった。服装もオシャレでハキハキものを言う。授業がだるいと思ったら衝動のまま教室を出ていく何物も省みない勇気があり、給食がまずいと思ったら放置してさっさと空き教室に赴き、味付きのシャボン玉を膨らませてはそれを食う遊びに興じる潔ぎの良さがあり、教師に「帰れ!」と怒鳴られたら大人しくランドセルを引っ掴んでマジで帰ってしまうような素直な一面も持っていた。

 成績だけはトップクラスだった私は、”悪い友達の言いなりになっているのではないか”と先生方に度々心配され、職員室に呼び出されては「苛められているなら言いなさいよ」「友達は選びなさいよ」と散々諭されていたが、断固として首を振っていた。
 気が小さく引っ込み思案で消極的な私は、少しでもスクールカーストの上位に食い込みたい一心で2人の後を追っていたのだ。矮小な向上心は一丁前にあった。

 家の方向が同じ私たちは必然的に同じ通学路を辿って帰宅することになる。
その日も我々3人は下校時刻になるやいなや正面玄関を飛び出した。
 いくらも行かないうちに、右手にある民家の軒先で談笑する女子2人を発見した。
 ランドセルは背負っていなかったが、何度か校内で顔を見かけたことのある上級生だとわかった。ジャンル分けするならA子とB美のような、クラス内のヒエラルキー上位に君臨するイケイケな女子だ。

 そのうちの1人が、厚底サンダルにルーズソックスを履いていた。

 当時、ものすごく流行っていたのだ。都会の女子高生はこれ以外の靴下は存在しないと言わんばかりに確固たる意志でもってそれを身に着けていた。
 初めて生で見る厚底サンダルというものと、ルーズソックスというものに、私は流石だなあと感心しきりだった。
 爽やかな水色が何とも愛らしいサンダル。絶妙なたるみ具合を誇るソックス。どちらもその上級生の女の子にぴったりの組み合わせに見えた。たとえ田舎でも、オシャレな子はオシャレなのだと思った。

 つんつるてんのジーパンやトレーナーを装着し、背が高すぎるゆえに小学生であるにも関わらずランドセルが破滅的に似合わないという悲劇が舞い降りている自分自身を改めて哀れだと思わざるを得なかった。

 私が悲しみに打ちひしがれている間、静かに戦争の火蓋は切って落とされていたのだ。

 こともあろうにうちのA子が、厚底サンダル+ルーズソックスの組み合わせはおかしい、変だとくすくす笑い者にしていたのである。それに追従するようにB美もくすくす忍び笑いしていた。訳が分からなかった。
 え? 厚底サンダルにルーズソックスを合わせていたら変なの? そうなの? オシャレなものとオシャレなものを合わせているのだから、それはもうオシャレなのでは?
 三足千円の白靴下を愛用している私などには考えも及ばない境地だった。理解不能である。これ以上は無理。思考停止です。

「あれはないよね、サンダルにルーズソックス……ぷっ」
「ね~。ふふっ」

 絵に描いたような嘲笑である。我々と上級生組との距離はそこまで離れてはいないように見える。そんなにあからさまに視線を投げながら笑ったら、感付かれてしまうのでは……と持ち前の危機感センサーが早くも警鐘を鳴らし始める。

 恐る恐る上級生組の様子を窺ってみると、案の定、彼女たちは何やら不穏な気配を発し始めている。
 小学生女子というものは早くも思春期の門戸を叩き始めているものだ。自意識過剰の塊なのだ。通りすがりの人間が笑っているだけで「自分が笑われているのでは?」と疑心暗鬼に陥るスピードは世界一である。あの笑いの対象は私たちなんじゃ、と疑うのも無理はない。

 まずい、と思った。やばいよやばいよ~! と私の中の出川が叫ぶ。上級生組の目はだんだん剣呑さを増している。ヒエラルキー上位の者たちは総じて血気も盛んだ。いつ抗争がおっぱじめられてもおかしくない。巻き込まれるのだけはごめんだ。
 
 そんな矢先、とうとう向こうが行動を開始した。
 こちらに向かって猛然と大手振り振り歩いてくる。

「逃げるよ」

 A子の呟きが聞こえる前に私は逃げていたと思う。珍しく私が先頭に立ち、A子とB美が後を追う形となった。
 避難所となり得る自宅はまだまだ先だ、徒歩で20分はかかる。なんとか捕まることなくこの場を切り抜けたい。あんなイケイケの上級生に〆られるのだけは勘弁願いたい。単純に怖い。恐ろしすぎる。
 私たちは必死で逃げた。逃げまくった。脇目も振らず逃げた。お互いに自分が助かることしか考えていなかったと思う。捕まったらどうなってしまうのか想像することさえ怖かった。

 ちょうど学校と自宅の中間地点にある草しかない茫洋とした公園に辿り着いた時、後ろを振り返ってみた。追手の姿は見えない。それだけで圧倒的な安堵感が胸中に広がっていく。
 やった! 逃げ切れたのかもしれない。
 同じことを考えていたのか、脊髄反射でものを喋るA子が口を開く。

「なんだいないじゃん」
「諦めたのかな」
「大したことないね。まあ捕まったって別にいいけど。逆に言い返してやるし」
「そだね」

 頼もしい2人の言い分に、私はまた別の安心感で満たされる思いだった。やはりこの2人についていけば間違いない。私の安全は保障されたも同然だ。ヒエラルキー上位と認められる日も近い。

「みつけた」

 のんきに休憩していたら割と簡単に見つかってしまった。
 血の気が引くとはこのことだな、と思った。途端に冷や汗がおでこから首筋から脇から背中からドバドバ溢れ出てくる。
私は多汗症ぎみだった。
気づけば我々3名は包囲されていた。
向こうは2名なので数の優位性ではこちらに軍配が上がるが、何せ上級生である。どんな武器を隠し持っているかわからない。下手にうごくことは許されない。

 だが大丈夫だ。
 さっきA子は言ってくれた。たとえ捕まっても言い返してやるって。
 さあ、言ってくれ! 今だA子! 今言わなかったらいつ言うんだ!
 今だろ!
 さあ!
 
 しかし、A子は何も言わない。
 B美も同じくだった。
 固く口を閉ざしたまま、顔を俯け、沈黙を決め込んでいる。
 あれ?

「さっき私のこと笑ったよね、あんたら」

 しっかり私も頭数に入っている。やるせない。なまじ背が高いので下手したら私がリーダーもしくは黒幕と思われている可能性も拭いきれない。やめてほしい。即刻逃げ出したい。しかし私は足が遅い。隙をついて逃げ出せたとしても再び囲まれることは必至である。

「ねえ。笑ったよねってきいてんだよ!」

 小学生とは思えないドスの利き方だった。きっと彼女は私には想像もつかないような波乱万丈の人生を送ってきたに違いない。でなけりゃ若干12歳でこんな極道の妻みたいな舌の巻き方は出来ないと思う。

「笑ってないです」
「笑った」
「笑ってません」
「笑っただろうが」

 押し問答である。先陣切って口を開いてくれたA子には感謝しかないが、すかさず敬語になってしまっているのが何とも言えない。私はといえば、少しでも彼女らとの距離を空けたくてじりじりじりじり後退し、あわよくば透明人間になれますようにと現実逃避に専念していた。

「笑ってないって言うんならちゃんとここで誓えよ」

 誓う? ん? いったい何をさせられるんだ。根性焼きの一つでもかませられるんだろうか。血判状でも書かせられるんだろうか。びくびくと慄いているしか能がなかった私はただただ続きを待つしかなかった。
 おそらくA子とB美も同じ心境だったろう。
 つーか何か言い返せよお前らさっきの啖呵はどこいったんだよ。

「まずあんた。笑ってないって私の目みて言ってみな」

 そう言って彼女はA子の前に立った。緊張の空気があたりを満たす。
 専ら喋っているのは厚底サンダル+ルーズソックスの彼女で、もう1名は最初からずっとだんまりを決め込んでいた。それがいかにも影のフィクサーっぽくてまた恐怖を煽る。
どちらも可愛いのに、もっと言葉づかいを丁寧にすればさらに可愛いのに、何が彼女らをこうさせてしまったのか。

「笑ってません」

 A子は涙目になっていた。真っ赤に充血させた目をひん剥き、厚底ルーズの彼女を睨みつけるようにしている。A子もA子なりに悔しいのかもしれない。
 アラサーになった今なら彼女の胸の内も慮ってやれるが、何せ当時は私も自分のことで精一杯だった。その時のA子に対しては「全然いつものでかい態度と違うじゃん」としか考えてなかった記憶がある。

「次、あんた」
「笑ってません」

 B美はこういう時強い。実に飄々としている。豪胆というか、肝が据わっている。この状況下で間髪入れずに応答できるとは恐れ入った。さすが「帰れ!」と言われてその通りにさっさと帰ってしまうだけのことはある。真のリーダーはB美かもしれない。
 ふと見ると、B美は能面のような顔で厚底ルーズの彼女をじっと見つめていた。心なしか厚底ルーズも少々怖気づいているように見えなくもない。

「いいね。あんたはちゃんと私の目見てる。ほんとに笑ってないんだね」

 いよいよ次は私の番か。胃がひりひりする。心臓が拍動しすぎて胸骨を圧迫している。痛い。なんか熱い。もういいだろ。もう勘弁してくれ。早く私に訊いてくれ。笑ってないってちゃんと言う。それでもう終わりだ。

「次、そこの」
「笑ってません」

 気が急いて若干被り気味になってしまった。
 B美へのお褒めの言葉を肝に銘じ、私も最大限まぶたをかっ開いて厚底ルーズの彼女の目を見つめるよう努力した。私は元々、通常時の会話でさえ人の目なんか見られないタイプの人間だ。こんな緊張下、ただでさえ初対面の上級生を目の前にしてどぎまぎしているのにこんな仕打ち、あんまりだ。私が何をしたって言うんだ。

「まー、いいか。次笑ったらもう許さないからね」

 そもそも私は何もしてなくないか? A子やB美が不用意に他人のことを嘲笑った結果こうなったのでは? とんだとばっちりだ、もう金輪際背伸びするのはやめて他の子のグループに入れてもらおう、私にふさわしい居場所はもっと他にあるはずだ、少なくともここではない……。
 と今後の身の振り方について黙考していたらいつの間にか解放されていた。

 ふと目を上げると歩き去っていく厚底ルーズとその無口な友人の背中が見えた。

終わったのか?
そう思ったら唐突に力が抜けた。
腰が抜けた、という感覚を初めて味わった瞬間であった。

 十分に彼女たちの姿が見えなくなったところで、呆然と立ち尽くしていた我々はようやく我に返った。途端にいつもの元気と不遜さを取り戻したA子が懲りずにのたまう。

「ぜーんぜん大したことなかったね。逆にもっと早く捕まってさっさと済ませちゃえば良かった! 見た? 私ちゃんと言ってやったっしょ」

 その変わり身の早さはもはや中国歌劇団もびっくりの速度であった。

 その一件以来、私は「付き合う友達は選べ」という教師の忠告をようやく聞き入れ、所属する女子グループを鞍替えした。授業もきちんと受けて給食もしっかり食べるようになった。憑いていた悪魔がやっと祓われたような心地だった。見た目の派手さだけで容易に人に憧れてはいけないと学んだ貴重な経験だった。

 そして、厚底サンダルとルーズソックスの組み合わせがトラウマの第一位に君臨することになった。安いトラウマだが幼心には強烈だった。あんな恐怖をもう二度と味わいたくない、とこの年齢になっても度々思い出す始末である。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。サポートいただけた分は、おうちで飲むココアかピルクルを買うのに使います。