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私がすごいわけではない


先日、とある方のお誕生日会に参加させてもらいました。(詳細はツイートやブログを追っていただければわかっていただけるはず、あえてここでは伏せます)

Twitterでずっと見ていて、憧れていた人。面白いことをし続けている面白い人。都内にいなければ出会えなかったような人がごろごろと集まっていて、やっぱり東京ってすごい、と上京したての大学生みたいな感想を心に抱いておりました。

それと同時に、勘違いする自分も確かにいたんですよね。

すごい人たちと一緒にいる自分、ここにいられる自分も、もしかしたらすごいんじゃないかって。

すごい人と一緒にいられる自分が、すごいわけではないんですよね。あくまですごいのは、すごい人たち本人であって、悲しくも寂しくも私は私でしかない。しつこく発信を続けているおかげでこんな私にも「すごいね」「会いたい」と言ってくれる人は数人いますが(ほんとありがたいことに!)、ありがたく受け止めつつも秒で会いに行って親近感出しまくるように気をつけています。

きっと、勝手に距離を感じられてしまう方が、「会いたい」と思われている側は寂しいはずだから。

なので、憧れている人だけれど、尊敬している人だけれど、過度にリスペクト感をアピールしないようには気をつけています。最低限のリスペクトはもちつつ、「自分はこう思います」「自分はこういう人間です」というスタンスを崩さずに接すること。

きっと、すごいねすごいねと崇め奉られるだけではつまらないし、迎合するだけのイエスマンではそもそも生きている意味がない。対個人としてしっかりと向き合い、話をし、それでもしも息が合って一緒に面白いことができるようになったりしたら、それはそれでラッキーだ、くらいに思っていたほうがお互いに精神衛生が保たれるのかなと思います。

すごいのは、私ではない。

今後どんな縁に恵まれたとしても、それだけは忘れないようにしたいと思います。


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