やられたらやりかえすって、悪いことなのかな

新卒で入社した会社でも、その次に事務員をやった会社でも、書店員としてバイトしていた先でも、PC講師として教室にいた時も、わたしはよく「やられたらやりかえして」いた。

理不尽だとおもったら意見したし、横暴だとおもったら物申した。そのせいで、どこへ行っても鼻つまみものというか、なんとなく距離を置かれているのを感じていたし、その自覚は間違ってはいなかったとおもう。

それでも、わたしは後悔していない。

時にはわたしが悪い場合もあったかもしれないけれど、言葉を扱える者同士、言葉を尽くして納得のいくまで対話しなければ、各々のゴールにはたどり着けないと思っていたから。宙ぶらりんがいちばんストレスフルだ。

やられたらやりかえす。

誰のためでもない、わたしは、わたし自身のために。

小学生の頃、いじめられていた。

当時からこんな性分だったし、背も高くて悪目立ちしたから、一気に目をつけられた。成績はすこぶる良かった分、余計だったのかもしれない。先生からも事ある毎に呼び出されていたし、優等生なのか劣等生なのか自分でもわからない状況だった。

言われたら言い返していたし、受けた行為には同じ量かそれ以上をかえすようにしていた。エネルギーは消耗したけれど、悪いことだとは決しておもっていなかった。

声を、上げろ。

最近読んだ本か記事かツイートに、「悪事を働かれて黙って耐えているのはもはや罪だ」という旨の文章があった。

嫌だとおもうことには嫌だと声をあげる。そんなことをしたって、目の前の相手や会社や世界は変わらないかもしれない。それでも、「あなたが」声を上げないことには始まらない。そこを基点にして、是正されていく場合も大いにありえる。

だからわたしは声を上げるし、言われたら言いかえす。やられたらやりかえす。それがわたしにとって善く生きることだから。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。サポートいただけた分は、おうちで飲むココアかピルクルを買うのに使います。