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「食べる」に関する映画4本

「できるだけ家にいてください」と言われると「まあ、映画でも見て過ごすか」という気持ちになる人は結構多いんじゃないかと思う。私もここ1年はいつもより映画を観ることが多かった。
その中でもやっぱり「食」「料理」に関する映画が多くて、料理欲も掻き立てられたので、思い出せる限り(ネタバレは避けながら)感想を書きます。

食べる女

タイトルを見て、それって私の事じゃん、と思った何人目の女にあたるのかは分からない。「食べる女」を観た。

主人公のトン子は文筆業をしながら古書店を営む(すさまじく憧れる)。トン子含め、まわりの女性たちはそれぞれ色んな事情を抱えているけど、自分が何によって満たされるかを知っている、あるいは知ろうとしている。それっていちばんしなやかでたくましいことだと思う。

観てからだいぶ時間が経ってしまったので、やや違う部分があるかもしれないけど印象に残った言葉は、

自分で稼いだお金で自分でごはんを作って食べる。それだけのことなのにとっても幸せ。

この映画を真似して、今後家に友人を招くときには、思いっきりそそられる「本日の献立」を書くことにする。


食べて祈って恋をして

これは、もう何回観たか分からないくらいお気に入りの映画。

始めてこの映画を観たのはたしか学生の時だったから、何もかも捨てて旅にでる主人公のことをファンタジー的存在として捉えていた。でも、なにかにつけ「行き詰まり」を感じやすい年頃になって改めて観直すと、むくむくと壮大な旅への欲望が湧いてくる。

いろんなことへの「食欲」を忘れていた主人公が、イタリアで美味しいものを食べまくり、ひたすらエネルギーチャージされていく様子を見て、今の混乱が明けたあとには、どこへ行こうかと想像を膨らませるのが楽しい。


リトル・フォレスト

私が料理沼に腰までつかっているのを知った友人から、おすすめされて観た映画。

東北の村に暮らす主人公が、春夏秋冬、自分で育てた野菜、山からとってきた山菜、自ら絞めた鴨などを次から次に調理して美味しいごはんに変えていく。いわゆる自給自足の暮らし。
当然、過酷な面も多いはずで、実情を知らずに憧れを膨らませるのはあまりにナイーブで危険だと思う。

でも、リトル・フォレストは、自給自足いいぞ~大自然だぞ~という一方的なメッセージはなくて、主人公のイチ子が自分の食べものを確保するために、淡々と生活しているシーンがほとんど。

一度に大量に収穫できてしまう畑の食物を、長期保存できるように創意工夫して食べつないでいく。
干したり漬けたり、発酵させたり、調味料も自作したり。料理は合理的かつ創造的な営みだということが分かる。

ちなみに今、作品の中でウスターソースも自作してしまう母・福子を演じる桐島かれんさんの母、桐島洋子さんの本を読んでいる。
凛々しい文章で、次から次に献立や料理の喜びを語る洋子さんと、映画の中のかれんさんの姿が大いに重なる。


僕は猟師になった

図らずも女性が主人公の作品ばかりに偏ってしまったけれど、最後に紹介するのは「僕は猟師になった」という映画。
京都で猟師をしている千松さんという男性をとりあげた、ノンフィクション。

「自分の食べる肉を自分で調達したい」「動物の命を奪うところも、自分でやりたい」という千松さんの、考え方、発する声、暮らしがとても一貫しているように見えて、もっともっと知りたくなった。

誰かが「命を奪う」過程を代わりにしてくれているから、食卓にお肉(に限らず魚、米、野菜)が並んでいるんだと思うと、より一層美味しく食べたいし、無駄にできない。

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わずか2時間たらずの深い深い世界

映画を作る人は、伝えたいことはたくさんあるはず。それなのにたった2時間くらいの映像に落とし込んでいるのは、とんでもない偉業だと思う。

残念ながら私の感想文はなかなかコンパクトにまとまりきならかったけれど、最後まで読んでいただき嬉しく思います。もしいずれかの映画を観た人がいればぜひ語り合いたいです。

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