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ニューヨークで理想のパートタイムに出会うまで

働かぬもの食うべからず。食っていけないだけでなく、私のような移民の場合、国からつまみ出されてしまう。

大学院を卒業した私はニューヨークで職を探した。
最初はカッコつけて、脚本作詞家だから何かニューヨークの舞台の仕事に〜、なんて偉そうなこと言っていたけれど、ニューヨークの街はそんな甘くなかった。

劇場へレジュメを出せども書類審査すら通らず、友人が働いていた日系広告代理店の仕事を「イベントとかやってるからギリギリ舞台関連」と言い聞かせ働き出したものの、パワハラあり、残業代なし、の有様なので数ヶ月でやめ、自分の制作活動が忙しくなったもあり、半年で私が行き着いた理想の職業の正体は、「週3でなるべく体力使わない仕事」であった。もし、キャリアコーチングなどつけていたら、そのコーチのやりがいを潰しているところだった。

友達に相談したところ、ピアノバー(日本で言うキャバクラ?)がシフト自由で稼げるとのことだったので、早速連絡して条件を聞いてみた。すると、時給$20ドル、チップなし、交通費なし、という夜の仕事の割になんともシケタ条件が返ってきた。(学生時代に町田でもらったティッシュに挟まれたキャバクラの求人の方がまだ思いやりのある条件だ。)仕事終わり、ニューヨークの街を深夜3時にウーバー使わずに帰るなんて、渋谷から山手線乗るのとはワケが違う。殺されるかレイプされても「そりゃその時間なら仕方ないよね」と言われてしまう。すると、ウーバーを使い2時間分の時給が交通費に消えてしまう。速攻でピアノバーの候補を消した。

しかし、こうなると残るは日本料理店のウェイター、しかし30を超えた私は体力勝負の仕事に足がすくむ。それでも、まかないが美味しければ続けられるかも、と食い意地を張って、たこ焼き屋、ラーメン屋、うどん屋のメニューを身比べていた時、私のスマホに奇跡の電話が鳴った。

電話の元は、派遣社員紹介会社から。今まで一度もそこの紹介で仕事をしたことはなかったけれど、人生の悩み相談をしてくれていたお姉さん社員からだった。

お姉さん「1週間だけの短期ですが、書類のスキャンするだけで時給22ドルの日系企業の求人が出ましたよ!」
私「やります、やらせてください!」

快適なオフィスでスキャンするだけで、1ヶ月分の家賃をくれる会社があるなんて、ニューヨークも捨てたもんじゃない。

8年日本での社会人経験がある私は、日系企業に対しての履歴書は強い。履歴書を送った途端面接の日程が決まり、面接で聞かれたことは一つだけ。
面接官「本当にスキャンするだけなんですけど、抵抗ないですか?」
私「喜んでやらせていただきます!」

その会社は、ミッドタウンの中心にある新しくできたビルに入っており、オフィスビルというより城のようだった。なんと、無料でコーヒーや紅茶ももらえる。美しい絵画が飾られている社員憩いの休憩室まで完備されている。
私は、8年間日本でプロデューサーとして働いてきた集大成として、過去10年分の膨大な資料をすごい速さでスキャンしていった。

私のアメリカ人の友達にこの話をすると、「時給でお金もらってるんだから、早くやって仕事なくなるより、ゆっくり仕事進めてなるべく多く給料もらったほうが得じゃない?」と言われた。

これが、アメリカで育った人と、日本の町工場で生まれた私の違いである。
お金をもらえるだけでありがたいのに、こんな素敵な環境を用意してくれている、この会社の方たちの期待を超えなければ。気づくと、1週間でその会社の社員の人たちと、勤務終了後も世間話でもりあがるくらい仲良くなった。

契約終了の日、自分へのご褒美にクリスピークリームドーナッツでも買って帰ろうかと考えていた私のところへ、隣の部署の女性がやってくる。
女性「あなたの噂聞いたわよ。私のアシスタント探してるんだけど、よかったらこない?」
私「本業がありまして、週3しか働けないんですけど。。。」
女性「もちろん大丈夫。データをダウンロードするだけの仕事なんだけど、抵抗ない?」

こうして私は、新しい部署で今度はデータを打ち込むだけの週3の仕事を、長期で手に入れた。しかも、なぜか時給$25に上げてもらい、ようやく家賃の心配なくニューヨークで暮らせる日々を手に入れたのであった。

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