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削ぐも探すもどちらもありで

ものすごーく久しぶりにマ○ド○ルドのポテトを買った。多分5年は食べてない。
ちょっと前何かの拍子に「食べてみようかな」モードになったのだけど、買う機会がなかった。ファストフードのポテトの中では一番好きで、以前は時々食べてた。一番小さなサイズ。おぉ味は変わってないのね。
・・うん、やっぱりダメだよね。胃が一気に重くなる。分かってたけどさー。食べたかったのさ。

ついでに気になってた団子屋さんにもトライする。創業○○年とかでやたら重鎮。
・・そっか、このお値段は包装代か。久しぶりにこんな過剰包装見たよ。うーん、私の口には近くの団子屋の方が合ってるな。安いし、余計なもん入ってないから固くなるのが早いので「3時間以内がお勧めです」とか言われる。家着いたら速攻食べるパターン。包装もシンプル。でも美味しい。

なんか今、自分の中の今年最後のお掃除やってる気がする。物とか考え方のお掃除もそうなんだけど、今回の食べ物とかの趣味趣向や格好品の変化とかも。

例えば今回のポテトのように、以前は食べれたけど今は受け付けないものがかなりある。
ほとんどが化学調味料使ってるやつとか、○○剤入ってるとか、まあ油っこいものもそうだけど。
なのだけど。
「まだ食べれるんじゃない?」ってのが自分のどこかに残ってる。
ケンタッキーも以前は好きでよく食べてたけど、これも数年前トライして撃沈した。
なのにたまーに「もしかしていけるんじゃ?」とか思ってる時がある。なんだろねー。食べたあと必ず「無理や~」ってなるのわかってるのに。
あと、ちょっと気になってる店とかで寄ってないとかトライしてないとか。
そんなのも、いま差し支えなければ片っ端からトライして撃沈してる。もちろん食べ物は最小限の量でだけど。
気になってたけどなかなかタイミング合わなかったっていうのは、飲食してみてもほぼ自分に合わない。
つまりタイミング合わなかったって事は、その時の自分に必要ないってことなんよね。
それわかってるのだけど、いったん湧いた「思い」は消化されないから、「ほらやっぱりね。」って納得させるために、まだ自分の中で未消化案件を片っ端から片付けてる感じ。
ご近所さんでも行ってなかった所に立ち寄ってみるとか、気になる駅で降りてみるとか。

「得るため」や「自分にとって良いこと」のためにトライするのももちろん良いのだけど、不完全燃焼してる気持ちやらを消去するために、分かっちゃいるけどあえてやってみるってのもいいんじゃないのかなと思う。もちろん無理のない範囲で。だって別にやらなくてもいいことだから。
誰かや何かの情報で「そうなのか、じゃあ合いそうもないな」ってのもアリなんだけど、それだと「でももしかしたら」ってのが残る。
だから実際体験しちゃって「ね、駄目だったでしょ」となれば微かな希望も残らずスッキリする。すると、他にも目が向くようになるので、別の扉が開いたりする。

以前はこんなことしてなかったけど、最近はこういった消去法もありだなーと感じてる。
自分の中からどんどん不要な思いを消す。可能性を消す。で、残ったのはその時の自分が好きだったり楽しかったり合ってたりするやつなんだから、それやればいい。
種類が沢山あると迷って選べないように、自分のなかにワサワサ色んなものがあると、何が自分の好みだったかとか分からなくなる。自分が何が楽しいのかわからないとか。
分からないんだったら、取りあえず思い浮かんだの片っ端からやってみればいい。で、「これは違った」と気が付いて出しちゃえば、少しずつでも「違う」が減っていく。

自分の中にスペース出来てくると、面白いことに違うことを思い出したり目がいったりする。それがすっごく楽しかったりしたなら、これまたラッキー。新しい発見だ。

気になる新しいことにトライして「好き」を得るのもアリ。
過去はOKだったけどまだなんとなく残しちゃっているものにトライして「好きじゃない」を削ぎ落とすのもアリ。
もうね、自分を知る方法って幾つでもある。

とにかく今はデトックス。年末大掃除。
冬至までにある程度は。
要らんもん減らせば減らすほどちゃんと必要なものは勝手に現れてくるから
これまた愉しい。

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