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『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を観てきました。

横浜シネマリンさんで、映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を観てきました。
今日が初日で、金子由里奈監督の舞台挨拶付きだったので、予約開始してすぐに席をとりました。ほぼ満席!急いで正解でした。

横浜シネマリン

普段好んで観る映画とは、少しジャンルが違うと自分では思います。興味を持ったのは、twitterで流れてくる「大阪アジアン映画祭」のレポートを読んだからです。(それと、王様のブランチでLiLiCoさんも紹介してらしたので!絶対的な信頼!)

シネマリン入口

あちこちから聞こえてきた感想の通り、やさしいお話でした。
「やさしい人たちのお話」、かな。
監督さんがおっしゃっていましたが、なかなかメインにくることのないタイプの人たちがメインのお話です。
強くない人たちが安心していられる場所。必要だな、と思いましたし、欲しいって思いました。
それぞれが自分にとっての安心できる場所があったらいいなって。この登場人物たちにはぬいぐるみだったけど、きっと他にもあると思うんですよね。ペットって人もいるかもしれない。


ここからはネタバレありの感想と、わたしの呟きです。



白城ちゃんが好きです。まず声と笑顔に一目惚れ状態ではあったのですが。
最初はちょっと疑心暗鬼に見てしまっていました。やさしくてよわい人の側には、それを潰そうとする人がつきまとうものだから。
でも、周りに掛ける言葉の一つ一つが、すごく胸をきゅっと(キュン?)させてくれて、ぬいサーの他の人たちはハラハラとしてしまうのに、彼女はなんだか安心して観られました。
最後のひとこと(モノローグ)。もう、わたしは色々なことを考えていて、すごく興奮状態というか、うわーうわーってどきどきしたし、落ち着きもしたんだけど、脳内が忙しかったんです。
シネマリンさんで原作本も購入させていただいたのでそこだけさっき読んで、目がじわっと熱くなりました。これは脳内が忙しく動いていなければボロボロに泣いていた。
実際泣いている方もいらしたし、上映後にパンフにサインをいただけたときに監督さんに震える声で思いを伝えてる方もいたんです、あの方々は真っ正面から受け止められたのだと思うと今になって羨ましいです。なので、二回目が観たい。

上映後の監督舞台挨拶

わたしが泣けないくらいに考えていたことは、上映後の監督の舞台挨拶冒頭で言語化されていました。
監督さんは原作を読んで、自分の加害性について考えたそうです。そう、それだ、って思いました。
やさしいひとでいたい、彼女たちにとってのぬいサーが自分を傷付けない、自分が傷付けない場所であったように、誰かの安全な場所になりたい。でも、誰も傷付けない人っているのだろうか、自分だって自分が認識している以上に、優しくしていたつもりで傷付けていたことがたくさんあるんじゃないか、そんなことを考えていました。

エナジーバンパイアって、いるじゃないですか。
ただ話しているだけで疲れてしまう相手。
何を言っても否定で返す人、上から目線で自分の考えを覆い被せてくる人。わたしはそういう人と話すととても疲弊します。
そういう人になりたくない。でもなっているのかもしれない。
観ながら不安になりました。

白城ちゃんはあの歳らしい諦観と、あの年齢でどうしてそんなにと思うほどの悟りや強さを持っていて、その上でやさしくて、監督さんもおっしゃっていましたが、わたしも尊敬しています。
白城ちゃんの「やさしさから自由にしたい」も「人の優しさを守りたい」も「人をやさしさから守りたい」も、根っこは同じなのではないでしょうか。

大学という、限られた空間にある、安心して居られる場所。ずっとそこに居たら脆くなってしまうのかもしれない。
大学だから、これから社会人になる手前のすでにつらいことを経験している人たちだから、これからもっとつらいところへ出ていく人だから、必要だなって思いました。
つらいことって、人によって本当に違って。どっちがよりつらいかなんて、本人の中にしか物差しのないことです。
この映画の中に出てくるつらさって、派手な展開のある映画などに比べたら、些細なことに感じる人もいると思う。
でも、つらいものはつらいんです。それを受け止めてくれるお話だなって思います。

誰かにつらいことを聞かせて傷付けたくないからぬいぐるみに聞いてもらってるサークル。
監督さんは「じゃあ受け止めるぬいぐるみを癒やすのは?」と原作にはないケアする(洗濯する)シーンを入れたとおっしゃっていました。監督さんもやっぱりやさしいです。今回の舞台挨拶やサイン会で、監督さんのことも好きになりました。

これはわたしの話ですが、誰かに聞いてもらうことが怖いから、特定の人ではないtwitterに投稿しています。でもそれも、見てる人はいるわけで。不快に思う人だってきっといる。考えないといけないんだけど、でも吐き出したいんですよね……淀んでいくような気がしてしまうんです、黙っていると。
この映画に出てくる人や監督さん、それから舞台挨拶の進行をされていたプロデューサーさん(質問やお話の回し方にとてもやさしさを感じました)のように、やさしくなりたいです。

他にも、麦戸ちゃんと白城ちゃんの対話のシーン、それからラビちゃんを洗うシーンが原作にはないそうです。(そもそも着ぐるみを白城ちゃんが別のサークルで作成している部分も、原作にはないそうです。白城ちゃんはぬいサーの外にも居て、客観的に見ているという立ち位置の強調だとか)
わたしはあのシーン大好きです。本当に、嫌な言葉をぶつけない人たちだなって思いました。
「うん」「そうなんだ」「あなたは?」
この言葉って、簡単なようで対話の中に自然と出すことが難しいって、わたしはよく感じます。
それから、先輩方も一緒になって洗うところも好き。
屋上でお互いを気遣うところとか、天気がいいから乾きそうっていう言葉がぬいぐるみに向けられたやさしさであることとか。
展開を知った後だから、じっくりあの優しい世界に改めて浸りたいです。

パンフレット(サインいただきました)と原作の小説

サインしていただいてるとき、監督に伝えたくて、でもやめたこと。
わたしは社員(わたしは契約社員でしたのでつまりは上司)の嫌がらせで仕事を辞めて、現在就活中です。
わたしは優しい人間ではないので、正々堂々としたやり方でやり返すことも、目の前で喧嘩を買うことも考えました。証拠集めも、先輩は狡猾でしたができないことはなかったと思います。
今までならそうしていました。
今回は、周りがそんな人とでも上手くやっていること、わたしがもう会社に未練がなかったことで、退職を選びました。悔しくないわけではないし、仕事の妨害までされていたので、しんどいとも思いました。いま現在も、宙ぶらりんなのでしんどいです。ハローワークでいつも担当してくださる方がやさしいからなんとか気持ちを保っているけれど、書類を送っても何の音沙汰もなく、一ヶ月近く経ってからハローワークのシステム上だけ「不採用」とされているときとか、早く連絡すること、せめて不採用を伝えること、それすら無駄に思えるくらいの存在なんだなって落ち込みます。この年齢になって、自分に何も価値がないことがつらいです。
わたしにぬいサーのような、いつでも行ける安心な場所はない。でも、この映画は確かに救いで癒やしでした。だから、ありがとうございます。

素敵な映画を観ることができて、素敵な小説に出逢うことができて、幸せな一日でした。

毎度ながら、まとまりのない文章です。
でもこれはただわたしの思考を書いたもの、と思っているので、このまま投稿します。
読んでくださった方がいたら、ありがとうございます。

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