見出し画像

米澤穂信さん『栞と嘘の季節』〜何かにすがりたかったあの頃の自分と人生の伴走者としての役目を担った栞の物語〜

 米澤穂信,『栞と嘘の季節』,集英社,2021

 図書委員シリーズの2作目『栞と嘘の季節』読了。本屋さんの新刊コーナーに並んでいるのを見て気になっていたので、一気に読み切った形になった。

わたしたちには人を殺せる“切り札”が必要だった

『栞と嘘の季節』より

 ソフトカバーの帯に書かれていた言葉。私が米澤穂信さんの作品を読むきっかけになった「日常のミステリー」の枠は越えているであろう言葉の並びだった。それゆえに、前作「本と鍵の季節」を上回る苦い予感しかしなかった。
 そんな私の予感は、大きく外れた。“苦い予感”と言う点ではあってはいたが、そんな生易しいものではなかった。今回、堀川と松倉の2人が向き合うのは、返却本の中に挟んであった忘れ物の栞。この栞をめぐり、物語は予期せぬ方向へと進んでいく。一体何を、誰を信じれば良いのか全く分からなくなってしまうような展開が待っていた。
 ただ、ひとつだけ。この物語に出てくる栞のように、人は誰でも何かにすがりたい、お守りにしたい、切り札がほしい、と思うことはあるんじゃないか、とは思った。それゆえに、まるっきり他人事とは思えない、そんな物語だった。“切り札”として作られた栞の物語は、作り主の手によって終わらせなければいけない。物語のラストで、そんな十字架を背負わざるをえなくなってしまった(作り主の)背中を見ると、この栞の物語を最初から紡がずにすむ方法はなかったのかと思わずにはいられなかった。それでも、栞を作った当時は、それしか生き延びる方法がなかったなら。もっと言うと、栞を作ることで生き延びれたのであれば、もしかしたらそれだけで十分だったのかもしれない。
 
 誰かにとっては切り札だった栞は、その物語を終える。本来、読者と共に物語を伴走するそれは、おそらくいつもとは違う形でその役目を終える。物語の伴走者としてではなく、人生の伴走者として。それをお守りとして、切り札としていた者が、その先の人生を自分の力で歩めるように。

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

この記事が参加している募集

熟成下書き

読書感想文