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映画『JOKER』を観て~「映画」への想いをそえて~

映画『JOKER』を観て

2年くらい前でしょうか。まだ緊急事態宣言が出されるよりも前に、この作品を観に行きました。米国アカデミー賞で主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックスが気になったのもあったので。

結論から書きます。私は誰にもこの作品をおすすめすることはできない、本編の内容についてはこれにつきます。「おもしろかった」「つまらなかった」「教訓になった」「感動した」あまりに語彙が乏しいかもしれませんが、ここにあげたどの感情にも当てはまりませんでした。

内容についての解釈はそれぞれあると思います。ラストシーンを取り上げますが、主人公はカウンセリング室でヒアリングを受けています。彼にはもともと「突然笑い出してしまう」傾向があるのですが、ここでもヒアリングを受けながら笑っています。カウンセラーから『どうして笑っているの?』と聞かれた時、彼は答えます。

『おもしろいことを思いついたんだ』

「JOKER」本編では、主人公のバックグラウンドにより受けてしまう差別や、彼が起こしてしまう数々の暴力的なシーンが描かれています。でも同時に、彼の夢であったコメディアンへの憧れや初舞台を踏む姿、恋人とのエピソードも描かれています。でも、最後のシーンでのこのセリフからはそれらが全て彼の想像に過ぎなかったのではないか…実際に私と一緒に観に行った人はそうとらえていました。

では、彼の「想像上のできごと」ととらえた場合

大前提として本編で描かれていた内容の大部分が、現実では絶対に起こってほしくない、起きてはいけないことでした。でもそう考えると、どうしてもある種の悲しさ、虚しさにたどり着いてしまいました。それが

『彼の人生ってなんだったんだろう』

あくまでも、上記の大前提はある上でですが彼がコメディアンの夢を追いかけている姿や、恋人と過ごしていた姿、それさえも現実に起こったことではなかったんだと思うとあまりにも虚しくなってしまいました。

「映画」への私の想い

では、なぜ今回取り上げたのか。絶対におすすめすることはできないと言いきっておきながら、それでも書こうと思ったのは、この作品が「映画」と言うエンターテイメントについて改めて考えるきっかけになったからです。

それが、『映画はあくまでも「娯楽」の一つであって欲しい』と言うこと。

ドキュメンタリー映画は少し毛色が違うので横に置きますが

実話を元にした映画は、たくさんあると思います。なかなかハッピーな気持ちになれないものも当然あります。それがいけない、と言っているのではなく「映画」と言う手法をとり一つの作品として昇華させた以上、それはもうフィクションになります。であるならば、その作品の中にどんなに細やかでもかまわないので「光」を見たいのです。一寸でも一筋でもかまいません、本編の中に「希望の光」を見たいのです。私の力では「JOKER」の中に光を見出だすことはできませんでした。ハッピーエンドの作品ばかりではないかもしれないけれど、せめてこれだけは叶えて欲しい、そう思わざるを得ませんでした。

誰にもおすすめすることはできないけれど、「映画」に対する自分の想いについて改めて考えることができた作品、それが「JOKER」でした。

これはあくまでも私個人の感想であり想いです。みなさまは、どのように感じられますでしょうか?

長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

ではでは、kitty でした。

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