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2008年の手帳がひょっこり出てきた

万一何の準備もなしに此の世を去ることになったとして現世に残していて恥ずかしいものがあるとしたら、何としてでも生きている間に処分したい。

今日ガサゴソしていたらそんな類の一冊の手帳が出てきた。
それも2008年の。

実は歴代の手帳を捨てきれずにいて20年分くらい隠し持っている。
「20年分くらい」というのはだいたい20冊くらいあるなぁと紙袋に雑多に詰め込んでいるだけできちんと整理しているわけではない。だから2008年が抜けていたなんて知る由もなくこんなところにあったんだ…ということになる。

手帳にはその日の予定はもちろん、余白にちょっとした感情の起伏をメモしたりしていた。2008年は子育て真っ最中の頃だったので子どもたちと共にあちこち奔走していた様子が書かれていたほか、夫の仕事がとても忙しくほぼ母子家庭みたいな毎日が記録に残っていた。
もちろんそれなりに楽しかったこと嬉しかったこともあったのだが、今思えば赤っ恥モノだったり、悲しい悔しい場面や理不尽なシチュエーションが蘇ってくるようなことも散見され、思いのほかパニック障害が生じてしまい精神衛生上よろしくなかった。
また、母としてでなく妻としてでもなくみたいな執着もチラチラと書かれていたりしたがそこは一笑に付してほしい。

たまたま見つかった2008年の備忘録をパラパラとめくっただけでこんな思いをするのだから、歴代の手帳をあらためて読むなどというのはまちがいなく自傷行為である。
総じてこの自己チューでいい加減な行動の筆録にいたたまれなくなったのは明白で、自分本位の、子どもに良かれ、夫に良かれ、ひいては家族に良かれとしてきたことが果たしてどうだったのだろうかという後悔にも近い胡散臭い思いが胸をえぐるように突きあがってきたのだ。
noteを始めたばかりで家族の渦などを綴る勇気はないので今回は深い話はしないけど(笑)

私が此の世からいなくなって、おそらく手帳の束を見つけ出すのは家族だろうし、カッコ悪いとこ見せたくないじゃない、子どもたちのママ像が音を立てて崩れるにきまってる。

待てよ?生きた証として残すことも有りなのだろうか、否、やばいやばいやばい、私の手帳はあまりに生々しい。
とにかくこの取扱注意の手帳たちの処遇を考えなければ。
人生終いの身支度を履行するときが来たのかもしれない。




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