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観劇記録|『BOND!!!』

演劇に触れる機会が少ない方でも楽しめる、そんな富山の演劇を最前線で引っ張っている、演人全開 血が滾ってきたぜ!(通称 血が滾)さんの3年ぶりの公演。劇団を取り巻く環境や状況、劇団員も変化する中で簡単だったことも難しくなってきたかもしれません。それでも、富山演劇の中心になってくれている血が滾さんが公演を打ってくれるというのは明るいことだなと思います。久しぶりの人も、初めての人も、演劇を楽しんでほしいです。

演人全開 血が滾ってきたぜ!第23回公演
『BOND!!!』
作・演出 | 宇野津達也
出  演 | 宇野津達也 朝日望
       天神祐耶(演劇ムーブメントえみてん)
       阿閉三興(演劇集団 富山舞台)
at ほとり座 ライブホール
2023年7月1日(土)19:00開演
上手後方より観劇


あらすじ

人気脚本家の代打として、プロデューサー江崎(阿閉三興)から主婦層向けのテレビドラマ脚本を依頼された脚本家、川端(宇野津達也)。締め切り当日に江崎からかかってきた電話で朝を迎えてしまう。
一文字も脚本は書けておらず、ここから書き上げる自信もない川端は、書置きを残して失踪しようとする。そこへ現れたのは友人の湯川(朝日望 ※男性役)。こちらも何やら大きな荷物を抱え、逃げるように川端の家へとやってきていた。

事情を聴くと、湯川は借金の返済日で、返すお金もないため逃げてきたとのことだった。お金が無いのは川端も同様で、売れていない落ち目の脚本家と彼女に貢いで無一文の湯川は途方に暮れるところだった。

その時、玄関のチャイムが鳴り、江崎がやってきたのかと戦々恐々とする川端。ところが、やってきたのは強面の取り立て屋、佐藤(天神祐耶)だった。湯川の借金を取り立てに来た佐藤。佐藤もまた、電話で兄貴分から取り立ての叱咤激励を受け、取り立てが上手くできなければ指を詰めなければならない状況に陥っていた。

結局お金がないことにはどうしようもできない3人。その時、脚本の締め切りを思い出し、3人で力をあわせて脚本を作り上げ、原稿料を借金の一部返済にあてようと思いつく。
自分の作品に自信がない川端を励まし、湯川、佐藤、川端の3人は、協力して脚本をアレンジして書き直し始めるのだった。

湯川の発想、佐藤の面白いという言葉に背中を押され、現代劇昼ドラマを江戸時代のドラマに置き換えていく川端。女が彼氏と元彼氏の間で揺れ動く愛憎のドラマが、女が黒幕に連れ去られ、それを彼氏と元彼氏が助けに行く何でもありの時代劇に書き換えられていく。それはもはや元の脚本の影も形も無くなっていくストーリーだったが、先が読めない面白い展開に、3人とも心が湧きたっていく。

脚本作りが盛り上がっていく中、湯川の元に彼女から別れたいという電話が入り、気落ちする湯川。好きならガツンと言ってやれという佐藤の言葉に前を向く湯川だったが、自分の気持ちを押し切れず身を引いてしまう。自分の弱さに悔しさをにじませる湯川。それでも借金の返済日も、脚本の締め切りも待ってはくれない。何とか最後まで脚本を作り上げようと目の前のことに向かう3人だったが、ついに江崎が川端の家にやってきてしまう。

江崎に言われ、川端が提出したのは、3人で書き直す前のありきたりな昼ドラマの脚本だった。江崎も短時間での仕事に納得し帰ろうとするが、それでいいのかと湯川は川端に声を荒げる。自分の作品に自信がない川端だったが、3人で作り上げ、面白いと思って書いていた江戸時代の脚本も江崎に読んでもらえないかと告げる。最後のシーンは書きあがってはいないが、破天荒な脚本に、江崎も面白い、と言葉を漏らす。しかし、ドラマの枠は、主婦層向け、14時からの90分。そこにマッチする脚本でなければ今回は採用できない。昼ドラの台本を採用し帰ろうとする江崎だったが、最後まで書きあげるから読んでほしいと自ら声を掛ける川端。ノープランで広げたこの江戸時代の脚本の風呂敷をどう畳むことができるのかと問う江崎に、方法がないわけではないと返す川端。そして、江崎を巻き込んだ江戸時代の脚本のクライマックスが描かれるのだった。

最後まで書ききったことに賞賛を送る江崎。昼ドラの脚本は採用になったが、脚本のお金が振り込まれるのは来月になることを知らされた3人は、結局借金を今日どうすることもできないことに気づき、落胆する。けれども、佐藤はふたりが全力で立ち向かったことで、自分もできることを全てやると立ち向かうために、兄貴の待つ事務所へと向かうのだった。
3人が事務所に向かった後、川端の留守電に1件の伝言が入る。それは、江崎からおススメされたという川端の江戸時代の脚本を読ませてほしいという、旧知のプロデューサーからの連絡なのであった。


整然と並べられたタイルのように

その時のキャストさんなどにあわせて、再演に再演を重ね、ブラッシュアップしてきた作品というのがとても感じられる舞台でした。
宇野津さんの脚本は台詞が長い印象があるのですが、長い台詞でも、ブラッシュアップされてきて、シンプルで無駄が無いなと思いました。
その分、テンポもあり、隙間が無いまるで整然と敷き詰められたタイルのような感じがしました。シンプルになった分、遊びがあるようでない脚本だなと思いつつ、その中でもキャラクターの面白さを役者さんの持ち味で作ってきたのはとても好印象でした。

構成や伏線も、最後は気持ちよく回収されていき、ストレスが無く純粋に面白いなと思える作品でした。それくらい丁寧に積み上げられてきた部分が気持ち良かったゆえに、時代に若干合わないというか、ちょっと違和感だなと思ったのが家の固定電話。
最後の留守電のためにそこにあるということは最終的にわかるのですが、最初に家電話があるのが珍しいなと思ってしまいました。FAXが来るためにFAX付きの固定電話を置いている作家さんなどもいると思いますが、電話単体のもの。何かのためにこれにしているというのは思っていましたが、何となくこの部屋にあっているようなあっていないような印象を受けました。良い悪いというよりは、やっぱり時代によって少しずつ違和感が出てくるものってあるんだな、ということを感じたし、それをどうブラッシュアップしていくのか、というのも作品を扱う上で考えていかなければならないんだなとあらためて思いました。


それは止まった絵画のような

お客さんの反応を見ていても、気持ちよく笑ってくれているし、血が滾さんの公演、作品を待っていたんだなというのが伝わってきて嬉しかったです。
若い方も観に来ていたし、初めて見る演劇にしても、血が滾さんの作品はとてもいいなと思っています。

その反面、なかなか乗り切れないシーンもありました。乗っていきたいのに、声の音色であったり、お芝居であったりが突き抜けていないので、抑制されているような感じがして、どうしても乗れないという所がありました。

2017年に観劇した血が滾さんの『Dotch?!』でも、似たようなことを書いています。

気持ちが出来ているのにわざわざ堪えて違うタイミングで出す

というのが、非常に今回目について、見ていてあぁ、これは
ここまで目につくとあんまりすっきりしないもんだなぁと思いました。

コミカルな芝居の演出なんだろうけれど、気持ちが引いてしまって
いるので、コミカルにちょっと見え辛い...。
気持ちをつくって引く、内に入れる人って結構いるんだな、
と最近気が付きました。コミカルなところは、一回引いたとしても、
意識的に前に気持ちを出していかないと、暗くなったり、
落ちたりする印象があるので、前に出した方が、お客さんも
もっと笑えたんじゃないかなって思います。
前に飛ばせば受け身で見ているお客さんにも届く。
けれども、引いていたら、前のめりで見てくれているお客さんにしか
届かない。そんな感じなのかなぁと思いました。

【舞台】 「Dotch?!」 http://yellowrabbit.jugem.jp/?eid=1682
のとえみ個人ブログ「芝居を手にした黄兎の日々」より

この時よりも言葉のやりとりはしっかりできているし、そこまでお芝居を引いているようにも見えなかったです。似ているようなことを書いているということは、血が滾さんの演出なんだろうなと思っています。今回は、1つ1つのお芝居がその役者で完結しているようなところがあるなと思いました。
もちろんこの演出でお客さんがとても満足していたところで充分だと思っているし、これを観に来ている!というお客さんのもいるので、こういう演出として血が滾さんのブランドを大事にしてほしいなと思います。

ただ、私は川端と湯川のシーンで自分の気持ちが乗り切れなかったシーンが多かったな、と思ったのと、抜きの芝居で表現できるところ、動きで緊張感を緩和できる演出がもっとあってくれたら、動きのない会話のシーンも観やすかったなと思いました。

動きのあるシーンは、表現も面白くて、3人のキャラクターがいいなと思いました。それ以外の、会話中心で部屋の中、というシーンが止まっている絵のような感じがしました。もちろん舞台で、平面的な見え方になりがちなんだけれど、特に3人が立っているシーンが多く、緊張感がある絵になりがちだったのも、乗り切れなかった理由かもしれないと思いました。
舞台を下から見上げる形だったので、役者が座って見えなくなることを避けたのかもしれないけれど、このシーン、本当にこの位置がこのキャラクターの適切な居場所なのか?と思ってしまうことが何回かありました。
座ったり、腰かけたりすることで緊張感が和らぐし、絵に変化をつけることもできる。細かいけれど、キャラクターがその空間に生きている過ごし方がもう少し見えたら世界観に入りやすかった気がしました。
3人が立っている絵が多くて、この部屋の舞台セットに対して、立っている3人が浮いているという感じがしたのも、それが理由かもしれません。舞台セットも細かく建て込んでいたけれど、もっと簡単でも、極端に言えば素舞台でも、今の立ち位置や立ち方だったら違和感があまりなかったのかもしれないと後から思ったりもしました。

また、台詞で会話がどんどん進んで行っているけれど、空気が動いていない感じもところどころのシーンでしました。動きが無くて立って会話をしている、というのは別に変ではないのですが、緊張感があるせいなのか、空気が動いていないなという感じもありました。
抜きの芝居で、ちょっとした会話のやりとりは空気もキャラクター同士で、部屋全体で共有しているな、という感じがありました。どうしても力が入る、入れる芝居をした時に空気が止まってしまって、部屋全体に抜けていかない感じがでるんだなと思いました。作り込んだ感じのお芝居で表現するところも、その作り込んだ感じを生かしたまま、抜け感のあるお芝居にできていたら観やすかったのかなと思いました。

劇中劇は、私も3月のえみてんの公演で演じて、「もっとここはこうできたよね」という感想をいただいていたので、「あぁ、きっとこんな風になっていたのかもしれないな~」という学びがありました。そういう点では、この作品は照明無しで劇中劇をこれだけ表現できていて素晴らしいなと思いました。照明がなかったのは、環境の問題なり、人員の問題などもあったかもしれないので、その中で役者と小道具、舞台セットで上手く表現していたなと思いました。


あともう一つ深いところへ

ストーリーが回収されて、とてつもなくきれいに終わったな~という気持ちがあると同時に、なんだか何となく終わってしまったなという気持ちもありました。物語って、登場人物の成長がひとつの中心になることが多いと思うし、台本を読むときは、最初と最後で自分の演じるキャラがどう変化したか、というのにも注目しています。そんな、「何かが変わった」という印象が弱かったなと思いました。

台詞自体で変わった、っていう表現は本当に少なくて、
・川端は自信がなかった自分の作品を最後には自分で読んでくださいと言えるまでになった
・湯川は彼女に対する気持ちを劇中劇のお由美を通して言葉にして言い切ることができた
というところなんだと思います。それが「この台詞でこのキャラクターは変わるんだ」という意識が薄かったのかなと思いました。そう演じよう、という意識は感じたのですが、何となく話の流れに埋もれてしまった感じがしました。

川端と湯川の掘り下げがもうひとつあれば落とすところに落とせた気がすると個人的には思いました。この脚本は、言葉の裏を取らなきゃいけない台詞が凄く少ないか、ほぼ無いんじゃないかと思います。だけど、この変わるタイミングの台詞は裏を取った表現にしなきゃいけないのではと思いました。その裏を乗せた表現にできるように掘り下げられていたら、しっかりと成長、変化が伝わったのかなと思いました。
どうするかは、
脚本的に台詞を増やしてフォローするか、
役者が今ある台詞の中で表現するか
の2択なのかなと思いました。脚本的に表現できる台詞を増やしていなかったから、この台詞でも役者が表現できるということでこのまま行ったのかなと思いました。それだったら、やっぱりもう少し気持ちなり、表現なりが欲しかったなと思いました。


間違いない役者が揃う

この役者陣を揃えられたのは本当に血が滾さんやるな…という感じです!河野君が抜けても、朝日さんがしっかり埋められるというのも血が滾さんだったからだろうなと思います。

男性の配役・湯川のまま朝日さんが続投されておられましたが、性別は気にならなかったので、そこは朝日さんが立ち方や手や顔の上げ方など細かく意識していたからだろうなと思いました。その面では本当に心配は無くて、キャストや劇団員からも信頼があっただろうなと思います。
その分、湯川の彼女に対する接し方や感情、キャラクターの方がすこしぐらっとしていたなと思いました。賢くないけれど、大らかで、一途なんだけど肝心なところで身を引いてしまう、という色々な要素があったせいか、彼女に対する気持ちの部分が弱く感じてしまったなと思いました。
お由美への台詞で自分を重ねるところは気にならなかったのですが、由美から電話がかかってきて二股をかけられていたのを知るシーンあたりがちょっと埋もれた感じがしました。どれを湯川というキャラクターの中心にするかわは分かりませんが、一途な想いがあるのにぶつかれない(=自分に自信がない)というところを中心にするとしたら、川端とも実はそこが共通しているし、最後に佐藤が事務所に行って説得するというシーンにも、ふたりを見て自分もぶつかってみようとか、自信だけでぶつかっていくか、みたいな乗っかり方も成立したのかなと思いました。そういう風に演じて、演出されていたとしたら、ちょっとそれが見えにくかったなと私は思いました。

川端はストーリーからも、最後は自分の作品を信じられるようになるんだろうな、と思いながら観られたので、そうなっていく信頼を預けて、安心してみて行けたなと思いました。欲を言えば、江崎に対しての脚本うんぬんのやりとりのシーンは、等身大で、デフォルメ少な目で(多分見た感じ少な目だったと思うのですが)魅せてくれたら良かったなと思いました。3人で劇中劇をやるシーンくらいの感情の抜け方が良かったので、日常パートも、そこまでデフォルメしきらずにやっても良かったのかなと思いました。(逆に、日常をもう少し劇中劇のお芝居みたいな感じにして、劇中劇をデフォルメにしても良かったかもしれない)
湯川について、川端と佐藤が話すシーンが、ちょっとお芝居を抜きすぎて、「宇野津さんかな?」と思う瞬間があったので、その辺りは落としすぎずに気持ちキープできたら良かった気がしました。しんみりするシーンはどうしても抜いたお芝居になってしまうので、その辺りの演出のバランスが難しいなと思いました。宇野津さんのデフォルメ芝居=血が滾さんというイメージもあると思うので、血が滾らしい演出として生きるものになったらいいなと思っています。

天神さんは役者に専念できると本当にいい役者さんだと思います。きちんと役割ややるべきことができた上で、面白い表現ができるのがいいですよね。ごくまれに「あ、これ普通の天神祐耶やん」っていう所があったけど、多分わざとだと思うので、それも含めて天神ファンは楽しめたと思います。

阿閉くん(以下、ペレ)は、仕事人、という感じで、きっちりここからここまで与えられたことをやります、という感じでした。最後の変形合体のシーンは、ペレじゃないとあの遊び方はできなかったので、ペレだよね~~~~、さすが~~~~と思いました。もっと遊びたかったと思うけど、キャラクター上できなくて辛かったかもしれない…。
最後のドアからはけるところで、止まって振り向いて話す、みたいなのが2回くらいあったと思うけど、なんかそこが一瞬ぎくしゃくした感じがしたかな~と思いました。
劇中劇に入っていくシーンで、江崎が座りながら合いの手みたいな台詞を入れてるところがあったけど、最初の台詞がちょっと他の人の台詞と同じくらいのバランスになって埋もれてしまっていて、「ん?今江崎が言った?」みたいに聴き取れないというか、流れてしまった感じになったのがちょっと勿体ないと思ったけど、演出かな…。

一緒に行った人も、富山でこのチケット代でこのレベルの作品が観られるというのは素晴らしいと話していたので、やはり公演期間が空いていたとしても、血が滾さんは富山の最前線を走る劇団なんだなと思いました。
なかなか頻繁に公演するのは難しいかもしれないですが、定期的に公演を打っていってほしいなと思いました。

演劇をはじめてやってみたいな、と思う人は血が滾さんの公演をまず観に行ってほしいし、役者だけでなくスタッフとして関わりたいときも、まず始めてに見学に行ってみてはどうかなと思います。えみてんも丁寧に教えたりしますが、結構ガチだからね!!(笑)



追伸
前説の音量が小さかったので客席に居たらほぼ聞こえていなかったことをお伝えいたします。

宇野津さんが前説で出て来てくれてよかったです

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