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自己紹介

はじめまして!
皆さん、こんにちは!
chabudaiシェフをやらせて頂いている
"きびちゃん"です!

今現在は、アスリートフードマイスターとしてロアッソ熊本の数名の選手達にchabudai🍱でアスリート飯&食トレとしてサポートさせて頂いています。

私がどういう人なのか。
初めての投稿ということで、今までの経験や想いを書いていきたいと思います。
少し長くなるかもしれないですが読んで頂けたら嬉しいです。

はじめに

私は、小さい頃から"The!!スポーツ少女"で、女の子たちと遊ぶというよりはお兄ちゃん達に混ざって色々なスポーツをして毎日外で走り回っていました。

ただ、その反面小さい頃から身体が弱く、関節も緩く、小児喘息や、小学低学年からは難治性便秘で23歳までは自力で排便することができませんでした。 

小学校から大学までは、授業中に何度もお腹が痛くなりトイレに行くの繰り返し。

その為テストはいつでもトイレにいけるよう保健室受験。

そんなこんなで薬と下剤に頼る日々でした。

身体を強くするために、小さい頃から沢山の習い事をやらせてもらってました。

水泳やそろばん、和太鼓の他に、幼稚園の頃に兄の影響で空手を始め、中学卒業までやっていました。

また、小学生4年生からミニバスを始め、高校までバスケ漬けの日々でした。

高校2年の3月の合宿中に"2箇所の腰椎分離症"。

ここから8ヶ月の離脱を余儀なくされましたが、
周りの仲間に支えられ3年生では、復帰はできていないにも関わらずキャプテンを任せてもらうことができました🏀

空手もバスケもどちらも素晴らしい仲間達と指導者に出逢えて濃い青春時代を送ることごできました。

大学は体育大でしたが、バスケは高校でやりきったので未練はなく、大学では色々な経験をしたかったので部活には入らず、再び地元の通っていた道場で空手を始めました。

悲劇

空手はブランクがあったので、『よし!また優勝目指してやるぞー!』とやる気に満ちて練習していました。

大学生になってからの体力は高校時代までとは明らかに違く、疲れやすくなっていました。

高校の練習に友人と参加した際も、私だけ練習についていけず、体力がなく息が上がるというよりは

息が吸えない、足が前に出ない、身体におもりがついているような感覚でした。

『こんなに体力なかったけ(笑)』

『衰えすぎ!笑 もっと鍛えないとだわ(笑)』

と友人とその時は笑いながら話してました。

しかし、大学3年生の春にある悲劇が私の身体を襲いました。

"急性腎盂炎"

学校の介護等体験の実習に向かう朝の電車の中、
いきなり吐き気や冷や汗が出て意識が朦朧としてきたので、急いで下車をし、駅員さんに助けを求めました。

そこから少し記憶がなく、目が覚めたら駅の事務室?のようなところのベットの上にいました。

実習があったので"いかなくては…!"と思って
身体を起こしたのですが今までに感じたことのないくらい身体が重く、熱がまさかの40.2度あり、実習場所に連絡をし状況を伝えて自宅に帰らせてもらうことにしました。

風邪でもこんな高熱は出たことがなかったので
なんだろう。。と思いながら帰りました。

寝れば治るだろうと思いながらの帰り途中で
トイレに行ったら、膀胱炎のような痛み。

ん?なんか痛い…。

ここまでは正直大したことないなと思っていたし
"疲れ溜まってたのかな〜"とか"バイ菌が入っちゃったのかな〜"程度にしか考えていませんでした。

しかし、家に着いて再びトイレに行き
排尿をした時にえげつない激痛!!!
"痛いっ!!!なになに??"と便器をみてみたら

真っ赤な血尿・・・。

何回も生理なんじゃないかと思って確かめてみたけど、尿も赤く膀胱からも血尿が出ていました。

"さすがにやばい気がする…"と思い
一応母親に連絡をし、家の近くの泌尿器科に
行くことにしました。

診断結果は、最初は"膀胱炎"で『女性は尿道が短く膀胱に細菌が入り込みやすいからバイ菌が入っちゃったのかもね』と言われ、薬だけを処方してもらう予定でした。

しかし、お会計待ちをして座っていた時に
また身体に異変が。。

背中から足までの左半身に動けない程の
激痛がはしったのです。


受付の人に、
『すみません、今急に左半身に激痛がきて動けないです…』と伝え、
急遽、再診察になり、検査をした結果

"急性腎盂炎"と言われました。

左半身の激痛の原因は、
左の腎臓がやられてたからみたいです。


薬を飲めばすぐ治るだろうと思っていたのですが
その後も同じようなことが1.2ヶ月に1回ほど続きました。

しかし、薬を飲みきり医者からOKがでてからは、身体を動かすのが好きだったので、中・高校の部活に行ったり、父と一緒にトレーニングをしたりしていました。

ただ、身体を動かしていたせいか、3回目の血尿が出たときには、実家の階段を登るだけで息切れし膝に手をつかないと立っていられないまでになっていました。

(この時、急性腎盂炎は薬飲んで治ったと思っていて、体力がない原因が腎臓だということが分かっていませんでした。今となってはただただ身体を酷使していたなと思います。)

この頃には、ひょんなことですぐ息切れし疲れやすく寝ても寝ても、疲れが全く抜けない日々が続いていました。

親友に相談をし、急遽大きい病院で診てもらうことになりました。

血液検査や色々な検査をしてもらった結果、

"慢性腎盂炎"

と言われました。

医師曰く、

『急性腎盂炎が続いて慢性腎盂炎になっちゃったね。急性腎盂炎の段階で殺さないといけない菌が殺せてなかったみたいだよ』

『あと、少しでも来るのが遅かったら仕事はできない身体になってたかもしれないし、透析をしていたかもしれないよ』

『今日来れてよかったけど、最初の段階で僕のところに来てたら治っていたよ』と。

仕事できない身体?透析?

この時には初めてことの重大さに気付きました。

・体力が無くなりすぐ息切れする
・足に錘がついた感覚
・寝ても寝ても疲れやすく疲れが抜けない
・顔や足が別人のようにパンパンに浮腫む

自分の中でずっとモヤモヤしていたことが
やっと分かった瞬間でした。

ただ、
・完治はすることはなく一生付き合っていかなけ 
 ればいけない身体になってしまったこと

・当面の間、身体を動かすことが禁止

・当面の間、食事制限がある

と知った時は、とてもショックでした。

"最初からこのドクターに出逢えてたら…"と
何度も何度も何度も何度も思いました。

今となってはこのタイミングで、このドクターに出逢っていなかった時のことを考えると、とても怖く恐ろしかったなと思います。

出逢わせてくれた親友と親友のお父さん、
そしてドクターには感謝をしてもしきれないですし、私の命の恩人です。

ありがとうございます。


その後も、ドクターのおかげで入院することなく投薬と月1度の検査で経過をみることができました。

大学卒業まで膀胱炎になりそうな時は何度かありましたが、血尿は出ることはありませんでした。

昔みたいではないけど、半年くらい経ってからは少しずつ身体を動かせるようになり、空手の練習も参加できるようになりました。

悲劇を乗り越えて社会人へ

そして、社会人1年目では組手で優勝することもできました。
(幼稚園の頃から、型より組手派でした。笑)

(幼稚園の頃からの師範と指導員の恩師達)

身体を少しずつ動かすことができるようになり、食事の制限も少しずつ緩和されてきました。

新卒でストレッチ会社に入社をしました。
この仕事に就きたいと思ったきっかけは母親です。

小さい頃から身体が弱く、怪我が多かった私は、しょっちゅう整骨院、整体、鍼灸に通っていました。

大学でアルバイトを始め、実際に自分でお金を稼ぐようになってから、稼ぐ大変さも理解し、両親のありがたみを改めて感じることができました。

中学から怪我をする回数が増え、部活が終わると母は仕事終わり疲れているはずなのに、疲れを一切出さずに迎えに来てくれ、ほぼ毎日整骨院まで連れていってくれていました。

母は元々腰痛持ちだった事もあり

『お母さんの方が絶対腰痛いからお母さんも診てもらったら』と言っても、

母は🧒(私)が良くなればお母さんはそれでいいよ〜』と、いつも笑顔で言っていました。

ただ、待合室で待っているときの母は
船を漕ぎながら寝ていて
中学生の私でも、

"お母さん、凄い疲れているな…"
ということはわかっていました。

そんな学生時代があり、就職の時には

"何か恩返しができないか"
"お母さんが楽になる方法はないか" 


と考えた時に、

"私が手に職をつければ、お母さんがわざわざ整骨院行かなくてもいいんだ!!"

と思い、ストレッチ会社に入社しました!

入社してからは、
上司や同期の気持ちのいい人たちに囲まれた環境で、仕事が楽しすぎて楽しすぎる日々でした。

最初は、医師や人事の方とも話し合い、ストレッチトレーナーとして、デビューするのではなく現場での座れる仕事の受付業務からのスタートになりました。

同期がどんどんデビューしていく中
自分は研修所すら通えていなく焦る一方で
今できることに専念をしようと思っていました。

そして、検査等を重ね医師から研修所に通う許可が出て通うことができました。

上司や店舗メンバー、研修所メンバー・トレーナーの沢山方々に支えられ、無事に同期から3ヶ月遅れて念願のデビューをすることができました!

店舗に出てからは技術だけでなく、
接客もとても大事にしていて

・どんなお客様にも同じ目線
   または下から目線で接する

・目の前の1人1人のお客様に寄り添う気持ち

・店舗に来てくれた背景やお客様の想いまで
 汲み取る

ことを常に意識していました。

だからこそ
『頭痛いのがなくなったよ』
『腰痛がなくなったよ』
『肩が上がるようになったよ』
『ゴルフのスコアが伸びたよ』
『🧒に会うと元気もらえるよ』
『いつもありがとうね』
『パフォーマンスがあがったよ』

などの日々のお客様の温かい言葉を頂けた時は
本当に嬉しくて仕方なかったです!

お客様の笑顔を見るのがなによりも嬉しく
やりがいになっていました。


そして、現在も主人にはストレッチをかけているのですが、

『これで試合頑張れるわ』
『身体めっちゃ動きやすくなったよ』


とか言ってもらえるとやっぱり嬉しいですし、
よかった〜って思います。笑

(実際にかけた続けたストレッチの変化)

両親に初めてストレッチをかけてあげられた時の
喜んでもらえた顔は本当に嬉しかったです!!

今では、帰省した時や遊びにきてくれた時にしかストレッチをかけてあげることができないですが、少しでも楽になってくれたらいいなと思ってます。
(まだまだ親孝行や恩返しには程遠いですが…笑)

仕事が楽しくて楽しくて仕方ないのも束の間。

1日の労働時間が約12時間でお昼ご飯は30分〜60分。

店舗を出るのが22時過ぎだったので、夜ご飯はコンビニや店舗の人たちとの外食がほとんどでした。

そんな生活を繰り返していたので…

疲れを溜めることがよくないこと自分の身体の状態を把握することは心掛けていたはずなのに。。。

夢中になりすぎていた結果
入社して1年で『慢性腎盂炎』の再発。

労働時間、バランスのとれていない食事が
積み重なった結果でした。

改めて食の大切さに気付かされました。

上司と何度も面談を重ねた結果、退社することとなりました。

そこから2ヶ月程自宅療養をしていました。

主人にも相談をして体調と労働時間を自分のペースでできるように、アルバイトで生活させてもらうことになりました。

食の大切さ

アルバイト先は、身体のことも理解した上で採用してくださり、とても働きやすく、ここで出逢えた社長をはじめとする仲間達には感謝しかありません。

そして、アルバイト生活になってからは、時間が取れるようになり大学の時に取得した

アスリートフードマイスターを再び勉強し始めました。

食事のバランスを考え、3食作るようになってから主人の身体はみるみる変わっていきました。

そして、アスリートフードマイスターを取得して6年。

栄養バランスのとれた食事をするようになって4年。

主人だけでなく、私自身の身体にも変化が出てきました!

・難治性便秘だった私が今では薬は一切使わず自力でほぼ毎日排便ができるようになる

・大学の時にあった左の卵巣嚢腫が無くなる

・長い距離のジョギングができるようになった

・生理痛の重さが軽減した

・ポジティブになった

・体温があがった

ただ、慢性腎盂炎が完治したわけではないので、疲れやすく疲れが抜けないことも完璧になくなったわけではありません。

今でもたまに1.2日起きれない時もあります。

ただ、食事を変えて4年経った今と4年前では、明らかに身体が別人のようになりました。

そして、ここ3年は血尿も出ることなく再発もしていないです。

もちろん食事が全てではないと思いますが、1番変えたのは食事なので、食の大切さを日々実感しています。

そして、よく耳にする

"食べたもので身体はつくられる"

という言葉は本当にその通りだなと
身をもって感じました。

さいごに

昨年からchabudai(アスリート食堂)を始め、ロアッソ熊本の選手達が食べにきてくれています。
(コロナの影響で一般の方への提供は、まだできていないです…)

育ってきた環境や今まで食べてきたもの、消化する時間など1人1人違う為、身体の変化を感じるのにも個人差はあります。

ただ、来る頻度にもよりますが継続してきてくれた選手達全員が身体の変化を感じてくれました!

選手達から
『身体めっちゃきれるようなりました』

『スタッフからも変なもの食ってないか!って言われるくらい身体変わりました!』

『足攣らなくなりました!』

『試合前は〇〇食べたら良いんですよね?!』


など嬉しい報告や伝えたことを実践してくれた時は嬉しいですし、その度にやり甲斐を感じます。

筋トレとかと一緒ですぐには身体の変化を感じくいですが、

"いつ変わるのかな"
"いつ変化を感じれるかな"と

思いながら通い続けてくれた先に待っている

"食べ続けてよかった"

それを伝えてくれる選手達のキラキラした笑顔は、本当に嬉しいですし感謝しかありません。

その度に
"信じて食べ続けてくれて、ありがとう"と心から思いますし、モチベーションにも繋がります!

また、SNSでも沢山の方々から相談をしてもらえることが増え、もっと今の自分にできることはないかと考えていました。

これまで、様々な病気を経験してきましたが、1人1人が違うからこそ、ネガティヴに捉えることなく"個性""必然"として捉えています。

喘息、関節ゆるゆる、腰椎分離症、難治性便秘、月経困難症、卵巣嚢腫、慢性腎盂炎、プロスポーツ選手の食事サポート、色々経験してきたからこそ伝えられることがあるのではないか。

同じ悩みを抱えている人の為に
なにかできないか。

と考え…

【きびちゃん相談会(仮)】をスタートさせたいと思います!

情報で溢れかえっているこの世の中で、こっちでは正しいって言ってるけど、あっちでは違うことを言っている。

なんてことは山ほどありますし
正直なにが正解かもわかりません。

1人1人の身体のつくりが違うからこそ、私が伝えることも全て正解とは限りません。

私自身まだまだ知らない事も沢山あります。

ですが、

もしこの知識や経験を使える機会があるならば。

誰かの為に少しでも役に立てるならば。


微力かもしれないですがお役に立てたらと思います。

とーっても長くなってしまったので…
【きびちゃん相談会】の詳細は
次の投稿に書いこうかなと思います!

とーっても長い長いストーリーを1日の大切な時間を割いてまで、最後まで読んでくださり本当にありがとうございました!!!!!

また次の投稿を楽しみにしていてください🎵

きびちゃん🌻

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