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高校デビュー、大学デビュー、全部失敗したけど、婚活デビュー

── 高校デビュー、大学デビュー。

人生の節目節目で、人はこれまでの自分を捨て、新たな自分に生まれ変わろうとする。デビューをしようとした者の何割かは成功して新たな人生を歩み始め、残りの何割かはデビューに失敗し、後悔と悲惨の念とともに元の人生に戻っていく。

── 高校デビュー、大学デビュー。

かつて私はそれらを渇望し、それらに失敗した。

しかし、そんな私が、最後の望みとばかりに人生を捧げ、成功させた物語がある。「婚活デビュー」だ。

私は婚活を通して新たな自分に生まれ変わり、新たな人生を歩み始めた。成功までの道のりは険しかった。努力し、成長し、時に過去の自分を捨て、時に未来の自分を夢見て行動した。

これは、未だデビューを飾ることのできていないすべての人へ送る、「婚活デビューのススメ」である。かつての私はデビューどころか、「婚活なんてするような人間はダメだ」「婚活をしたって私なんて上手くいかない」と、社会を皮肉り、自分を卑下した。そんな私が一体なぜ婚活デビューを目指したのか。そしてどのようにして婚活デビューに成功したのか、その一部始終を明らかにしよう。

彼女との関係の変遷。(上)連絡先を交換した瞬間(下)彼女の誕生日後

学生時代に時を遡ると、私はこれまで二度デビューに失敗している。

初めての失敗は高校生。「高校生になったし服装に気を遣おう」と私が選んだのは、たまたま本屋で見つけた雑誌に載っていた「サーフ系」だった。GOTCHAやBEACH SOUNDといったアパレルブランドの服を買いあさり、それを着てイカツさを演じて見せた。確かにデザインはかっこよかった。しかし私には似合わなかった。

さらに私は高校生ごろから目が悪くなり、眼鏡をし始めた。親に選んで買ってもらった地味なフレームの眼鏡は、サーフ系の服とは当然のように相性が悪かった。私の高校デビューは失敗した。

次の失敗は大学生。「私にイカツさは似合わない、ならば知識人になろう」と、私はブログを始め、個人的な主張をエッセイとして世に送り出した。それを友達に見せると、ゼミの壁に貼られてイジられた。私の大学デビューは失敗した。

大学時代に書いていたブログ。タイトルが痛い…

社会人になってしばらくの間、私は平凡な日常を送っていた。何も変わろうとしない、デビューを目指さない生活を送っていた。そうしているうちに私は29歳になった。アラサーならぬホボサー(ほぼ30歳)の誕生だ。「30歳」という、新たな人生の節目が近づいてきた。

この年になると、かつての私が渇望したような、新たな自分に生まれ変わろうという気持ちは中々起こらなくなる。とはいえ周りの友人の結婚や子どもの話を聞く機会が増えたり、たまに実家に帰ると「そろそろ結婚は?」と言われたりする。

それらをきっかけに周りに合わせるように街コンやマッチングアプリを始めてみるが、中々上手くいかない。さらに、ツイッターなどでたまたま目に入った恋愛コラムを読むと、「初回のデートは必ず男性が奢るべき」「モテる男が使うテクニック」などが書いてあり、「これは自分のキャラじゃないな」と、斜に構えてしまう。

かつて行った街コン後のLINE。永遠の未読スルー

そんなある日、友人と恋愛の話をしていてこんなことを言われた。

「まだ若いし、今は彼女がいなくても大丈夫だよ。」

彼は優しさからこの言葉をかけてくれた。しかし、このときの私は、どこか心の奥でこの言葉が引っ掛かっていた。

私は学生時代、試験勉強を遅くとも2週間前には始めていた。私は努力しないと良い点数が取れない人間だと知っていたからだ。私は世間的にはまだ若いのかもしれない。まだ焦る年齢ではないのかもしれない。しかし、私は恋愛が得意ではない。私はこのままで本当によいのだろうか?恋愛が苦手な私は試験勉強と同じように、他の人よりも早く努力を始めないといけないのではないだろうか?

このことをきっかけに、私の気持ちは変わり始めた。

「キャラではない」からと行動を始めなければ、何も変わらない。今のままの自分では上手くいかないのだから、キャラかどうかに関係なく、変わらなければ上手くいかないままだ。

もっと言えば、「キャラではない」から行動しないのではなく、単に自分が変わりたくないだけだ。行動して、努力して、その結果失敗することを恐れているだけだ。現状維持なら傷つかない。現状維持なら失敗しない。

変わることが恐いから、「自分のキャラではない」ことにしている。さらには「婚活なんてするような人間はダメだ」などと現実を歪めたりしている。それらはすべて、「変わるのが恐いから変わりたくない」という結果が先にあって、その理由を探して列挙しているだけだ。くだらないディベート番組を見ているようで嫌気が差してきた。

変わろう。私は30歳というこの節目を、最後のデビューの機会にしようと思った。気持ちは完全に変わった。

当時のメモ。とてつもない熱量を感じる

しかしここで、一つだけ懸念が生まれた。私は恋愛が苦手なのだ。学生時代、私は努力の方向性を間違えたことでデビューに失敗した。恋愛もきっと、方向性を間違えてしまうだろう。雑誌の「モテる男特集」を読んでしまうかもしれない。店員に勧められるがままに着たことのないハイブランドに身を包んでしまうかもしれない。一体どうすれば正しい努力ができるのだろうか?その方法を私は模索した。

そこで私は「ヒトオシ」を使うことにした。ヒトオシは、マッチングプランナーと呼ばれる婚活のプロの指南を受けながら、出会いの機会を提供してくれる婚活サービスだ。ヒトオシに入会するにあたり、私が決めたことがある。それは、プランナーのアドバイスを100%信じること。そしてそれを100%実践することだ。

早速ヒトオシに入会してプランナーと面談し、いくつかのアドバイスをもらった。

「なるべく笑顔を絶やさない」「もっと相槌を打つ」「感情表現を豊かにする」

当たり前すぎることのようだが、これらは今まで私が「キャラではない」とやってこなかったことだ。私はそれらを練習し、常に意識した。女性との顔合わせの回数を重ねるにつれて、少しずつ、しかし着実にその頻度と質は向上した。

さらに、「これらのアドバイスは付箋に書いて貼って常に意識できるように」というアドバイスを受けた。私はそのアドバイスと、加えてお相手のプロフィールの抜粋も付箋に書いた。そして顔合わせの際、それを見ていることをお相手に気がつかれないよう、PCのカメラの真横に貼った。こうした主体的な工夫が、努力のモチベーションを向上させた。

プランナーからもらったアドバイス。やる気が湧いてきた

こうした努力が功を奏してか、ある女性とデートの約束をすることができた。彼女に対してはオンラインで顔合わせしたときからとても優しくていい人という印象を持っていた。むしろあまりにいい人過ぎて、怖いとすら感じた。

「こんなにいい人が自分と会ってくれるなんておかしい」「きっと話しても自分とは合わないだろう」と捻くれた考えが頭をよぎったが、しかしプランナーのお墨付き。安心しよう、できることを頑張ろう。先の不安を考えている暇があったら、当日どんな話をするか、お相手がどうしたら楽しいと思ってくれるかを考えようと、襟を正した。お相手のプロフィールを何度も読み直し、パフェの美味しい店を調べ、デートに臨んだ。

いい人過ぎて何かを疑う当時のLINE

当日もできる限りの努力をした。その結果、その女性とは2回目のデートの約束をすることができた。そしてデートの数日前、プランナーからこんなことを言われた。

「きういさんはもう少し自己開示が必要です。特に、恋愛や結婚観に関してほとんどお相手に話していないと思いますが、お相手はそのことを不安に思っています。ぜひ素直に思っていることを話してみてください。」

私は恋愛が苦手なだけでなく、恋愛の話をするのも苦手だ。だから意識的にも無意識的にも、その話題にはほとんど触れてこなかった。しかしここは婚活の場だ。婚活で恋愛の話をしないことは、会社の面接で仕事の話をしないようなものだ。それを話さずして先に進むことはない。だから私は勇気を出して、恋愛の話をした。

勇気や努力ももちろん必要だった。しかし私が恋愛の話をすることができたのは、何よりプランナーの存在のおかげだった。恋愛の話をするのは恥ずかしいし苦手だ。しかし、デート後にプランナーに「今日は恋愛の話をできましたか?」と聞かれて、「できませんでした」と答える方がよっぽど恥ずかしい。自身の恥ずかしさは、その場で行動することよりもむしろ、「言われたこともできない」ことで強く感じる気がした。だから恥ずかしい思いをしないために勇気を振り絞って話した。

勇気を振り絞って恋愛の話をした。結果がついてきて嬉しかった

3回目の約束を取り付けることができると、私はいよいよだと思った。「3回ご飯食べて告白しなかったら、ただの友達になってしまう」という説を信じ、私は告白をしようとしていた。そのことを後押ししてほしくてプランナーに相談した。するとプランナーから衝撃のアドバイスを受けた。

「次回は告白のタイミングではありません!もう少し関係を深めてからでないと上手くいかないと思います。」

確かに会った回数で単純に判断するのはよくないし、もう少し関係を深めた方がいいというアドバイスに思い当たる節もある。しかしお相手はとても魅力的な人だ。他の男性に先を越されてしまうかもしれない。取られてしまうかもしれない。だから私はそのことを焦り、プランナーと深夜まで話し合った。

最終的にプロであるプランナーを信じ、私は告白を思い留まった。不安はもちろんある。ただ、告白しないと一度決めたら、他にできることはそれ以外のできる限りの努力をすることだけだ。3回目のデートのプランを練り、話題をたくさん考え、そして、当日はその日その場を目一杯楽しんでもらおうと努力し、自分も同じテンションで目一杯楽しんだ。

* * *

「今回のデートできういさんのことをより深く知れて、とても楽しかった」と、デート後にLINEをもらった。そのことをプランナーにも伝え、「もう大丈夫!」と太鼓判を押してもらい、その次のデートで告白をし、無事にお相手と付き合うことができた。私は婚活デビューに、成功した。

彼女と同時にプランナーに送った交際報告。嬉しさを隠しきれない「!」の3連符

── 婚活デビュー。

私が渇望したそれを、私は果たすことができた。それはひとえに努力の結果であり、ヒトオシ無しでは果たせなかったことでもある。加えて、きっかけを与えてくれたのは友人の何気ない一言だった。彼がこれを見越して発言したとは思えないが、何がきっかけになるかはわからないものだ。

いや、むしろ、どんなきっかけだって、自分が努力を始める理由にできるということなのかもしれない。自分の中に少しでも変わりたいという気持ちがあって、同時にそれを阻む塞き止めのような何かがあって、そしてそれを本心では壊したいと思っていれば、後はほんの少しのきっかけで行動を起こせるはずだ。

斜に構えたままでもいい。けれど、行動や努力はした方がいい。「自分のキャラではない」と思いながら、けれど「今日は自分らしくない自分を上手く演じることができた」という心持ちで行動を継続できれば、それはいつの間にか自分のキャラの一つとして定着していくだろう。

もし今、本心では変わりたいけれど、変わるきっかけが無くて行動できていない人がいるのなら、そのきっかけを婚活に求めてみてはどうだろうか。婚活の”せい”にして、変わってみてはどうだろうか。人は誰でも変わることができる。デビューすることができる。

その最大のチャンスが「婚活」だ。

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