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ギャンブル依存症の人生(途中)

2022年11月、自助グループにつながって9か月目のころに、自分の人生を振り返り、スピーチをさせていただきました。その際の内容を記します。不快に感じてしまう方もいらっしゃるかもしれませんが、ギャンブル依存症に陥った人間の考え方を知っていただき、何かの御参考になることを願います。

はじめに

 私は21歳のときに初めてギャンブル(競馬)をやり、それ以降17年間、私はギャンブルに依存をしていきました。ギャンブルを止めたいと何度も思いましたが、止めることができず、苦しみました。また家族(籍こそ入れていませんが7年一緒に暮らしている事実婚の彼女、のことを指します)も傷つけました。今年の2月にある出来事があって、初めてギャンブラーズ・アノニマスにつながり、そこから9か月ギャンブルを止めることができています。本日はギャンブルを始めてからGAに繋がるまであった出来事、その後の9か月間について、私のお話をさせていただきます。正直多くの皆様の前で、お話をするのは勇気がいりますが、依存症の人間がどのような考え/行動をするのか知って頂くことで、皆様が抱えている問題に対する対処方法の参考になれば良いと思いますし、なかなかギャンブルを止められなかった人間が9か月間止めているということで、本日のテーマにあるような「希望」を与えることができればなお嬉しいです。それでは私のこれまでの人生を聴いてください。

初めての一人暮らし、そしてギャンブルに出会う

 私は千葉県の海沿いの町で生まれ育ちました。実家は内装業を営む、平凡な家でした。ただ父親は気難しい性格の人で、ちょっとしたことで機嫌を損ね、すぐに怒鳴るような人でした。私に対して直接的に暴力をふるったことはありませんでしたが、母を怒鳴る父を見るのが嫌で、耳をふさいで布団にくるまっていた記憶があります。父はよく飲み歩いていて、家に帰ってこない日も多くありました。私は寂しいというよりは、今日は父がいなくて、ホッとする、そんな感情をもっていました。そんな環境で育ったこともあり、私はそうはなりたくない、普通の家庭を作りたい、そんな夢を持っていました。高校を卒業したとき私は大学に進学しました。実家から少しでも離れたいという思いがあり、関西の大学に進学しました。当時、一人暮らしの私立大学、家計も余裕はありませんでしたが、私の気持ちも解ってくれたのでしょう、母はお金の工面をして、喜んで送り出してくれました。そんなこんなで関西の大学に進学したのが、2002年4月、心配性の母はすぐに5月には、千葉から関西の私の家に遊びにきました。その日の夜に、母は吐血をしました。話を聞くと、私が受験をしている冬頃から何度も吐血をしていたらしいのですが、それを父に言うと、私が遠くに行くことを許さないかもしれないから、と私にも父にも隠し続けていたそうです。そんな母親でした。間もなく、その原因は末期がんによるものだということが判明しました。判明してからはあっという間で、その半年後に母はなくなりました。大学1年の冬に母が無くなり、私は父からの仕送りを受けながら大学2年は普通に過ごしていましたが、3年になるころには仕送りが途絶えるようになり、4年には全く仕送りもなくなりました。父に生活ができないからと相談をしても、お金がないと言われる状況でした。、母の死亡保険金や実家の土地などそれなりの資産はあったはずですが、どうやら2年ほどでほとんど失ってしまったようです。それでも当時の私は、そこまで悲観的にはなっておらず、まあ奨学金を多く借りて、足りない分はバイトを頑張ればなんとかなるか、と考えていた状況でした。私がギャンブルに出会ったのは、ちょうどその頃でした。ある時、大学の講義室に入ると、友人の一人が競馬新聞を広げていました。何それ?と面白半分で話しかけ、その友人に馬券を購入してもらいました。当時京都では、後に日本一の名馬と言われる馬が、深い衝撃を与えていた頃で、競馬好きの彼に誘われては、時々その名馬を見るために競馬場に行くようになりました。ある日、私は大きな配当金を手にします。今でもそのレース、ゴールの瞬間は鮮明に焼き付いています。金額にして9万円、当時の一か月のバイト代以上で、かつかつな、毎日を過ごしていた私ですが、その月だけは余裕をもって過ごすことができました。その日が、競馬にはまるきっかけになった出来事だったと思います。

20代、ギャンブルの沼に

 その後は、友人に誘われなくても、自ら率先してネットで馬券を買うようになり、暇な週末は競馬をして、過ごすことが多くなりました。それでも学生時代は借金をする、ということまではいかず、奨学金とバイト代で、無事に大学を卒業することができました。その後、就職は東京に戻ってきましたが、社会人になってからは、加速的に競馬にのめりこんでいきます。「収入が大幅に増えたこと」や「日常で嫌な出来事が続いたこと」がのめり込んでいった原因かと思います。嫌な出来事というのは、父親から金の無心が始まる、やがて彼は酒の飲みすぎで、脳幹出血を起こし、寝たきりになり、亡くなるまでの2年間毎週千葉の介護施設に面倒をみにいくといった日々のことです。もちろん父親が全ての原因ではないと思っていますし、自分の弱さや、困っていることを周囲に相談できないという無駄なプライド、にも問題があったと思います。嫌なことを忘れるために、私はギャンブルをやり、20代後半は加速的に競馬に依存していきました。例えば、友人の誘いに対して、予定があると嘘をついて、競馬を優先するようになります。1レースで掛ける金額が百円単位から、千円単位、一万円単位と増えていきました。土日の中央競馬だけではなく、平日の地方競馬に手を出すようになりました。地方競馬にまで手を出すようになると終わりです。毎日平日40~50レースを朝から夜まで高額ベットし続ける毎日を送るようになりました。当然すぐにお金は底をつき、借金を重ねることになりました。・競馬の軍資金を得るためにクレジットカードで、新幹線の回数券を購入して、金券ショップで売却する。そして競馬に回す。90%程度の買取率で現金化して、支払いはカードのリボ払いで手数料取られる。そして還元率75%の競馬に費やす、そんなサイクルを回していたら、当然お金はすぐに無くなります。正気の沙汰ではありません。当時の自分は、その異常さに気づいていましたが、目を背けてギャンブルをやり続けました。30歳になる頃には、立派な多重債務者でした。その頃は、高校生時代の夢、「普通の家庭を作る」という夢は諦めていました。

彼女との出会い、初めての嘘

 30歳になると、女性を紹介したいと声を掛けていただくことも幾度かありました。周りからはそんなギャンブル中毒の人間には見えず、まじめに生きているタイプだと思ったのでしょう。私は彼女を作って、自分が借金まみれの状態であることを他人に知られるのことを極度に嫌がり、そういったお話は「結婚には興味がないので」と、お断りし続けてきました。でもそんなときに、たまたま同じ職場で、同じプロジェクトに配属された今の彼女と知り合いました。借金まみれの自分が、誰かと付き合うこと、ましてや結婚などあり得ないと思っていましたが、私が彼女に魅かれて、付き合うことになり、すぐに同棲を始めました。一緒に暮らすようになりましたが、生活の銀行口座も分けていて、彼女は借金に気づくことはありませんでした。ただ自分の中では、隠し続けている苦しさがありました。ある日、何故告白しようとしたのかは、全く思い出せないのですが、いつものように、オフィスで、二人で弁当食べているときに、何かの会話のきっかけで、自分には借金があることを告白していました。その時どんな会話をしたかは、全く思い出せませんが、二人とも涙を流していた映像だけは記憶に残っています。ただこの時は、ギャンブルによる借金とは言えず、父親の介護にかかった費用、葬式、実家の住宅ローンの処理などにかかった費用による借金、と、全てを正直に伝えることまではできませんでした。彼女は翌日の朝には、自分が払うと言ってくれ、私の借金を全て支払ってくれました。心の底から感謝しましたし、これで生まれ変わることができる、2度とギャンブルはやらないと誓いました。が、依存症の教科書通り、すぐにその誓いは吹き飛びました。肩代わりをしてもらった金額をカードの返済にあてたのですが、ATMからの入金が千円単位でしかできないため、端数の数百円は、次の口座引き落としのタイミングまでカードを解約することができませんでした。3週間程度の期間があり、自分自身でも不安でしたが、その不安は的中して、ふと「2、3千円なら良いのではないか」と魔が差しました。気が付いたら20万円近くキャッシングしていました。その時点で正直に言うべきだったのですが、それを言う勇気もなく、私が取った行動は、一か八か、堅いレースに20万円を掛けて、その失った20万円を取り戻すということを考えでした。私はこれだというレースに掛けました、、、、その結果は、、当たりました。すぐに換金して、40万円を返済して、直ちにカードを解約しました。その時は、「生き延びた・・・」と思いましたが、まったくの逆で、この時の「ギャンブルで当てた金で支払う」という経験は、むしろその後の「地獄」に繋がります。

再度の借金

 その後、半年程度はギャンブルをやらない時期が続きました。たった半年ですけど10年以上毎日のようにギャンブルをやり続けていた自分にとっては、もの凄いことで、徐々に前向きな考えもできるようになりました。周りの同年代が考えるような「マイホームをどうしよう」「子供はどうしよう」といったことですね。このまま順調にいけば良かったのですが、ある時、また私の中の悪魔がささやきました「半年経ったのだからもう大丈夫、節度をもって競馬を楽しめる」これもギャンブル依存症の教科書通りの考えですね。悪魔の声にささやかれて、私は競馬を始めました、ゆるやかに1年程度かけて、借金をこしらえました。内緒でクレジットカードを作り、キャッシングしました。限度枠がいっぱいになり、支払いができなくなった私は、家のものを売る、最初は自分のもの、その次に彼女のもの、最近は使っていないような漫画やゲームなど、発覚するリスクの低いものを勝手に売って乗り切る日々が続けていました。GAのハンドブック、20の質問に書かれている「ギャンブルの資金を作るために自分のものや家族のものを売ることがありましたか?」を読むたびに、この時のことを思い出して、胸が苦しくなります。やがて売るものもなくなっても、相変わらずギャンブルを続ける私は、タンスに入れている当月分の生活費に手を出すようになります。黙って1~2万円とってギャンブルに使ってしまおう。当ててすぐ返せばいい、外れても数日後は給料日だから、給料日にタンスに戻せばばれることはないだろう。そんな歪んだ思考に成り果てていました。たいていの場合、そんなときにやるギャンブルは外れ、給料日までの数日間、彼女にばれるのではないかと眠れない日々を過ごすことになります。彼女が箪笥のある部屋に入るだけで、現金がなくなっていることに気づくのではないかと、心拍数が高くなり生きた心地がしませんでした。そんな歪んだ日常の終わりは唐突に訪れます。給料日がしばらく先の状況で、タンスの生活費10万円を使い切ってしまいました。これでは数日以内に問題が発覚してしまうと私が取った行動は、銀行口座から引き出すということでした。口座から引き出した場合、もちろん履歴に残ってしまうので、それは避けていたのですが、歪んだ精神になっていた私は、「言い訳は何とでもなる」と考え、口座から引き出しました。箪笥から使ってしまった10万円分を取り戻すために始めたのですが、気が付くと2~3時間で、銀行口座から50万円ほどがなくなっていました。もうそうなったら止まらないですね、「やばいやばい」と思いながら、私の脳裏に過ったのは、「1回目の尻拭い直後、すぐに20万円の借金をしたが、競馬で取り戻した記憶」です。あの時の成功体験を思い出しました。私はあの時と同じように、タンスの10万円と、銀行口座の50万、失った計60万円を取り戻すために、私の口座に残っていた60万円を掛けました。。結果は外れました。1日で120万円を負けたことになります。その日の夜に、彼女に120万円を使ってしまったことを伝え、あの時と同じようにギャンブル以外の理由をつけようとしました。大学時代の奨学金を一括で返済したんだ、などという言い訳ですね。彼女は当然納得せず、領収書を見せてくれといい、結局翌朝にギャンブルで失ったことを伝えました。彼女はあきれていましたが、もう後戻りできないからと、一緒に私と暮らし続けることを選択しました。そればかりか、奨学金についても金利がもったいないからと、一括で返済してくれました。これが2回目の借金発覚、35歳の出来事です。

ギャンブルが止まらない

そんな問題を起こした私と一緒に暮らしてくれることを選択してくれた彼女を、私は欺き、私は再度競馬をしていました。「していました」というのは、再び競馬をしようと思ったきっかけすら思い出せないからです。1回目は「2~3千円なら」2回目は「半年たったから」という理由付けをしたことを覚えていますが、3回目は全くきっかけを思い出せません。それくらい「ギャンブルをする」ということが、自分の中で自然なことになっていたのだと思います。

この35歳からの3年間は、毎日競馬を止めたいと思いながら、毎日競馬をしていた日々でした。
 ・職場のトイレに籠って、馬券を買い・ネット中継をみる。
 ・彼女との食事中、スマホを弄っているふりをして、馬券を買う。
 ・在宅ワークをしながら、一日中競馬中継をみる。

毎日もう競馬を止めようと、一人で努力していました。
  ・ネットで購入できる口座を解約する。
  ・購入限度額の設定をする。
  ・物理的に現金を手に入れない環境を作る。
  ・匿名のSNSアカウントを作り、脱ギャンブルを宣言する。

色々試しましたが全て失敗に終わりました。そして2021年9月にまた限度枠がいっぱいになり、当月の支払いができないとう状況に陥りました。3年前の問題があって以降、現金も卸すことができないように暗証番号は変えられていましたし、カードの現金化もできず、打つ手はなくなりました。

友人への金の無心

 そこで私が取った行動は、友人に借りるということでした。4歳のころ、初めて幼稚園の入園式で仲良くなった幼馴染です。小学校・中学校と同じで、高校からは別になりましたが、ずーっと付き合いを続けていた友人です。彼には正直それまで、何度かお金の面で助けられてきました。ギャンブルをしていることは知っていましたが、お金を借りるときは、ギャンブル以外の理由をつけて借り、都度返済をしていました。なので、今度も貸してくれるだろう、と正直甘えた気持ちでいました。ただ今度は適当な理由では貸してくれないだろうから、「ギャンブルが止められなくて、借金を作ってしまった」ということを正直に伝えました。そして「今月の支払い分だけでよいから貸してほしい」とお願いしました。すると彼は「今月の支払いをしたらその後どうするんだよ?」と言いましたので、私はこう言いました。「今月を乗り切ったら、すっぱりと競馬をやめる、そしたら数年かかると思うけれど、彼女にばれないように少しずつ借金を返していきたい」そうしたら彼はすごく怒りました。「それはずっと彼女に嘘を続けるってことなんだぞ。それってもう家族じゃないよね。そんなことの為に、お金は貸せません」当時私はギャンブル中毒の狂った思考状態でしたが、一瞬我に返り「そうだよな、自分が起こした問題なんだから、責任をとるべきだよな」と我に返りました。ただ、告白する勇気がなく、別の友人にお金を借りて、当月の支払いをしました。その彼も大事な親友で、彼は「もう二度と競馬をやらない条件で貸してやる」と言ってくれました。この出来事は私の中では、大きいことだったので、彼との約束は絶対に守ろう、「二度と競馬はやらない」と誓いましたが、なぜかその誓いはおかしな方向にずれ、「競輪ならいいか。約束は破っていない」とこじつけて、彼との約束から2か月後の何故か競輪をしていました。そして結局、競輪の才能もなかった私は、2022年1月と2月の給料を所定の口座に納めず、2月末に、給与が振り込まれていない彼女に指摘され、と三度(みたび)問題が発覚しました。

自助グループに繋がる

 この時には、彼女は泣きながらこう言いました。・これまで私が立て替えてきたことが間違っていた。いくら利息が無駄だといっても、自分で借金を返させるべきだった。お願いだから自助グループに行ってほしい、そこで自分自身を見つめ直して、ギャンブルの問題だけでなく、すぐにキレる性格だとか、そういう点も真剣に考えてほしい。その彼女の言葉によって、私がGAに繋がることになりました。GAに繋がってからは、本日でちょうど9か月を迎えます。それまで幾度となくスリップをしてきた私ですが、GAのミーティングに参加するようになってからは、何故かギャンブルを止めることができています。それも我慢して辞めているというよりは、自然な感じで止めることができています。止めることができている理由についていろいろ考えますが、理由は分かりません。理由分かりませんが、このままGAに繋がり続けて、ギャンブルを止め続けたいと、心の底から思っています。GAの仲間が「死ぬ瞬間にあのときギャンブルを止めて良かったと思って死にたい」とよく言っています。今の私の目標です。

12ステップ・プログラムを開始

 彼女からの要望「ギャンブルを止める」は今のところ達成できていますが、あと一つ「性格上の問題を直してほしい」ということは、9か月前からまだ進展はないと思っています。きっとこれを実現するには、毎週のミーティングに参加するだけでなく、12ステッププログラムに取り組むことが必要なんだろうと思います。ただ私はなかなか取り組む勇気がありませんでした。それは3回目の問題発覚の際、全ての借金を告白しきれていないんですね。彼女は今も2022年1月・2月の給料を振り込まなかっただけで、まだ残りの借金があることは知らない状態です。今も伝えることができていません。プログラムに取り組むということは、全てを伝える必要あるのだろう、と思い、GAにつながってから7か月間、なかなか取り組むことができませんでした。2か月前のミーティングのテーマが「正直さ」というもので、私は自分の心境を正直に伝えました。本当は分かち合いを始めるまで、借金を伝えきれていないことを、話すつもりはなかったのですが、気が付いたら話していました。GA仲間の前でくらい正直にさらけ出したかったのだと思います。この時の私の分かち合いを聞いてた仲間の一人が、分かち合い後にメッセージをくれました。「一度にすべての問題が解決することはない。借金の告白は、先々にある埋め合わせのときに、自分の気持ちが整理できたときに、伝えればよい。自分がちょうどステップ1~3のやり直しをしているから、雰囲気つかむために、参加してみたらどうか。」と声を掛けてくれました。その言葉がきっかけで、プログラムに参加し、今はその方にスポンサーになっていただいています。2か月がたち今はようやくステップ4に入ったところです。今のところ大きく何かが変わった実感はありませんし、まだ彼女に告白する勇気も持てていません。でも真剣にステップに取り組み、彼女が言ったように自分自身を見つめ直し、性格上の欠点も改善し、いつか全てを彼女に伝えたいです。以上がこれまでの私の状況です。本日のテーマにあるように、皆様に希望を持っていただけるようなハッピーエンドで締めくくれれば良かったのですが、まだ問題を抱えた状態の結末となり、モヤっとした気持ちにさせてしまったら申し訳ございません。

今も苦しんでいる仲間たちへのメッセージ


 ギャンブル依存症で苦しまれている方へ。スリップが続いて苦しんでいる方もいるかと思いますが、私がある日止まったように、いつか 止まる日がくると思います。一人で悩まず、誰かに相談してみてください、私はそこから徐々に 希望が持てるようになりました。
 友人や家族が依存症で苦しんでいるギャマノンの皆様へ。正直なところ本日、ギャマノンの皆様の前で、スピーチをすることが怖かったです。それは、皆様の後ろに、私の彼女の影が思い浮かぶからです。皆様にも何かアドバイスをお伝えできればと、昨晩いろいろ考えましたが、今の未熟な私には、何も言えない、という結論に達しました。私の彼女は、いまでも時々、「私がまた借金をつくった夢」をみるそうです。それだけ家族の心に深い傷を負わせてしまいました。そんな私ですからギャマノンの皆様に何か言えることなど、到底ありません。GAの仲間とともにギャンブルを止め続け、少しでも彼女に償いをしていくしかないと思っています。もう少し先になるかもしれませんが、プログラムの取組が終わって、彼女に全てを伝えることができたら、またどこかでお話させていただきたいと思います。

以上が私のお話です。ご清聴ありがとうございました。

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