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それは誰かの演出かもしれない。

日々日常を生きていると、何故こんなところに…?と思うような景観や状態に出会うことがある。
オフィス街の中に突然現れる廃墟だったり、誰も来ないような森のなかにある神社だったりがそれである。

それらにでくわしたとき、僕は足を止めてしまう。そして考えてしまうのだ。

「何故なのか?」

ついつい足を止め、考え、気づくと時間が過ぎている。そう、気になって仕方がないのだ。しかし、考えても仕方がない。なんせ答えがでることは少ない。

先日出会った地図の不思議

先日徒歩で目的地に向かう途中、道がわからなくなり地図アプリを使った。まあ、google mapである。

そのときの経路がこれである。

ちょうど曲がらなくてはならない道を少し過ぎたところに立っている。辺りを見回すがどうもおかしい。

曲がる道がないのだ。

コンクリートの舗装路を探すのだが右側には森しかない。仕方がないから地図とにらめっこである。そこででた結論がこれだ。

画像が横になっているが、googleが指している道はこれだった。

気づいたときは声をだして笑ったが、確かにうっすら道っぽい。

なぜこれが道として選ばれたか?

どうしてこの道が道として認識され、ルートとして設定されてしまったのだろうか?僕はすぐにこう考えてしまった。しかし考えても答えはでない。

そして本当にたどり着けるかもわからない。

なんだか挑戦的な雰囲気を纏っているこの道。普段であれば多少の無茶は承知で突っ込んでいたと思う。

もしかしたらすごく由緒正しい道だったかもしれないし、もしかしたらすぐ50m先は舗装路なのかもしれない。

なぜこうなっているかは道を設定した人間にしかわからない。確実に僕は設定者の掌で踊っていた。

このときふと気付く。これは演出なんじゃないかと。

もしこれが映画なら、この道の先になにかあることを考えてしまう。設定者の狙いはこれではないだろうか?

つまり、「考えさせること」が目的なのである。

演出とはなんだろうか

演出とはなにか?と問われるとはっきり説明できないが、ぼんやり浮かぶものがある。映画をみているとときおり、ふと置いてある本や、飲み物に目がいくことがないだろうか?

日常を表現するそれらの雑物は、視聴者へ持ち主の性格や普段の生活をうかがわせる。種類や置き方から観ている方へ想像を促すのだ。これが演出の一つだと僕は思う。

僕はあのmapをみて、挑戦的だと感じ取った。mapが確かめにこいと言っているような気がした。

実際に行ってみればただの山道かもしれない。しかし、そう思ってしまったのだ。

真意は確かめられないが、もしこれが演出なら成功である。あの道をだれかが覗いていて、こっそり笑っているかもしれない。

みなさんの回りにある不思議な景観や状態、空間、物。

それはだれかの演出なのかもしれない。

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