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若き詩人への手紙

20年以上も前に購入したボロボロの文庫本をまだ持ってるけど、空き時間にまたじっくり読み返したいなと思い Kindle 版を購入した。

新潮の文庫本を購入した当時、常にバッグに入れて持ち歩き、暇さえあれば何度も読み返した。もうこの本のリルケの言葉は身体に染み付いている。

けれど今またリルケの言葉を読み返す必要があるんじゃないか、と思い電子書籍を購入した。

あなたは御自分の詩がいいかどうかをお尋ねになる。あなたは私にお尋ねになる。前にはほかの人にお尋ねになった。あなたは雑誌に詩をお送りになる。ほかの詩と比べてごらんになる、そしてどこかの編集部があなたの御試作を返してきたからといって、自信をぐらつかせられる。では(私に忠言をお許し下さったわけですから)私がお願いしましょう、そんなことは一切おやめなさい。あなたは外へ眼を向けていらっしゃる、だが何よりも今、あなたのなさってはいけないことがそれなのです。

「詩」は「写真」、「詩人」は「カメラマン」に置き換えても十分通じる。リルケの言葉に今また力をもらっている自分がいる。僕はもう若くはないけど(笑)

自己の世界への沈潜から詩の幾行かが立ち現れてくる時、その時あなたはもはやそれがよい詩であるかどうかを、誰かに尋ねようなどとはお考えにならないでしょう。
必然から生まれる時に、芸術作品はよいのです。こういう起源のあり方の中にこそ、芸術作品に対する判断はあるのであって、それ以外の判断は存在しないのです。だから私があなたにお勧めできることはこれだけです、自らの内へおはいりなさい。そしてあなたの生命が湧き出てくるところの深い底をおさぐりなさい。
あなたが外に眼を向け、外から答えを期待されることほどそういう御成長を妨げるものはありません。あなたの問いには、あなたのもっとも内部の感情が、最もひそやかな瞬間におそらく答えてくれるものでありましょう。
芸術作品は無限に孤独なものであって、批評によってほど、これに達することの不可能なことはありません。ただ愛だけがこれを捉え引き止めることができ、これに対して公平であり得るのです。
およそ芸術家であることは、計量したり数えたりしないということです。

一人の人生に、それも生きた時代も国も異なる人間に、20年以上も力を与え続けてくれる。

「マルテの手記」も読み返そうかな。

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