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マッサージ師の疲れは誰が癒すのか。


病気の話の続き。

4月17日
朝一で婦人科の担当医から着信あり。応答しそびれる。留守電とメッセージが残されていた。その後折り返すと担当医ではなく院長が電話口に出て市立病院の予約を取り付けたことを伝えてくれた。

さらに、担当医が順番を誤っていろいろとあなたに連絡したみたいね、18日に手術になる可能性はかなり低いのでそのつもりで、と伝えられる。

もしかしたら私の担当医はかなり情に寄り添うタイプなのかもしれないな、とこのとき思った。出発に間に合わせてあげたいから、と市立病院の予約をねじ込んでくれたみたいだし緊急性はないけど即日手術してあげて欲しいです、こういった事情です、と話してくれたみたいだ。

それが医師としてどう評価をされる振る舞いなのかおおよそ想像はつくけれど、私としては彼女のそういう姿勢が有り難かった。誰かが私のために必死になってくれたってことだもの。稀有なこと。

急遽2日後に手術するかもとなって大慌ての親に、市立病院の予約が取れたことを伝えて、市立病院の担当医と話さなければ何も判断できないということ説明する。何をするにしても18日までは動かないで欲しいということをわかってもらう。

母親はずっと自分がいつ付き添えばいいのかを気にしていた。父親は自身も前立腺がん検査を受けたことを何度も話した(異常なしだったけど、詳細を聞かれると饒舌になる)。

「こんな状態でイギリスに行ってたらどうなってたことか。」

「今は時期じゃないってことだ、何かのサインだ。いろいろと省みてよく考え直さないといけないんじゃないか。」

「金で解決できる問題を優先して、体を蔑ろにするなんて絶対にしてはいけないよ。」

父親はことあるごとにこういうことも話した。

渡英前に健康診断を受けたのも婦人科検診に行ったのも、私の判断だったことがすっぽり抜け落ちてる。それに年齢が条件に含まれる資格は金で解決できることではないと思う。

いろいろ思ったけど、思っただけ。
飲み込む。

父は子供が遠く離れて行くことが怖いんだ。
私が大分の大学に進学すると言った時は夜中に電話して説得されたし(泣かれた)、姉が種子島の大学に行きたいと話したときは真剣に受け取らなかったらしい。もしかしたら弟たちにも似た経験があるかもしれない。
つい先日、姉がその時の気持ちを話してくれたのだけど、私たちは気持ちの9割くらいを共有できていたんじゃないかと思う。

余談だけど、大人になってから姉と仲良くなれた事は自分の人生の財産だと思う。そのきっかけになってくれたのは義理の兄であり甥だ。新しい家族ができるのはとても素敵なことだね。


4月18日
8:30 担当医と面会。市立病院宛の紹介状を受け取る。

「私の考えが及ばないところがあって、すみません。ピルをやめて出血していると思うし(実際してた)今日すぐ手術にはならないと思います。渡英は延期できそう?」

先生は少し普段より控えめな態度でそんなことを話した。私は健康優先という断は変わってないということ、先生の配慮にはとても感謝してるということを伝えてビルの3階にある診察室を後にした。

1階の受付で紹介状を受け取り会計を済ます。婦人科で支払った医療費は保険でカバーされない。

10:15
地域のコミュニティバスに乗って(これが一番安く、病院の入り口で降ろしてくれる唯一の公共交通手段、便数が少ない)クリニックで受け取った指示通り予約時刻の15分前に市立病院の受付を訪ねた。

問診票を2枚とコロナ対策のチェックシートに記入して
10:35ごろ新しく発行された診察券を受け取り、婦人科の窓口へ移動する。

婦人科の窓口でも問診票を記入し、血圧、体重、体温、をその場で測って提出し(ちょっとびっくりした、今朝測った体重じゃダメらしい)しばらく待つ。
11:00ごろ自分の名前がマイクで呼ばれ、担当医の診察室へ入室。

市立病院の担当医は(仮に長谷先生としよう)
そもそも子宮頸がんとはどういった病気なのか、

自分が今どの段階にいるのか、
*私はクリックでも診断されている通りCIN3にあたる。一昔前は上皮内がんと呼んでいたらしい。現状で断言できるのはここまでで、実は他の懸念もあるのだけれどそれついては可能性があるということしか言えない。

どう治療をしていくのかを順に話してくれた。

下手なことは書きたくないので実際に長谷先生に言われたことだけ具体的に書きしるそうと思う。母が診察に居合わせられなかったので先生にことわって会話内容を録音した(母の希望)為、正しく文字に起こせるから。



既に1500文字を超えているので続きは次回。



30 April 2023

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