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しんとしたいな

ここに書くのは久し振り。絵を描いたらInstagramやTwitterにアップしているのだが、続けざまにしたらちょっと疲れた。アップしたら気になっちゃうので度々スマホを手にしてしまう。徒労はやめたい。そんなことを考えていたら、のんびりPCで書いたことのあるnoteを思い出した。

Zoomで水彩画の先生のレッスンを受けている。そんな中でエミール・ノルデを知る。それでメルカリで画集を手に入れた。ノルデの画集には「思い出の品です。2021.7.吉日」と付箋が貼ってあった。私はコメント欄に「吉日に届いた思い出の品、大切にします。」と入れた。

赤いケシの表紙の画集、習ったばかりの技法での水彩画が載っている。海と薄紫色の雲、薄紫色の雲の周りは黄色く光っている。雲をこんな反対色で描くのもアリなんだ。その技法というのが、紙を濡らしたままで描く描き方なのだが、教えてもらってからとても気に入って、いつもの私の抽象も最近はそれで描いている。

紙が乾くまで幾度も手を入れて、しまった、行き過ぎちゃった、このちょっと前の青がとてもよかったのに。じっくり紙に絵の具が滲んで行くのを眺めて、乾くのをゆっくり待つ時間も必要だ。あっそこの紫、そっちには行かないでください。水の仕業は予想が付かない。

床に紙を置いて立て膝をして描いていたが、そのまま寝っ転がって、開け放した部屋の裏の高い木のてっぺん辺りを眺める。空が明るい。雲が白い。鳥が鳴きながら飛び去って行く。島に暮らしていた頃の夏も、寝っ転がって空や高い木を眺めたりもしたが、鳥の声には気付かなかったな。それもそのはず、島ではクマゼミがとても騒々しかったから。だけれども、今よりも暑い夏の中で、心の中はわりとしんとしていた。悪い意味じゃなく。

あの頃みたいにしんとしたいな。

新たに白い紙を広げ、刷毛で一面に水を引く。そして水が紙に染み渡るのを待つ。部屋の向こうの、木々のもっと下の方から、遠く電車が通り過ぎる音がする。

追記)昨年夏に掲載したものですが、先日、noteのアプリをいじっていて、この文章をうっかり削除してしまったので、再掲載します。