Kiyoko | 清子

Color Lover、透明水彩などの私の抽象画をトップに、散文、写真を載せています。…

Kiyoko | 清子

Color Lover、透明水彩などの私の抽象画をトップに、散文、写真を載せています。以前は俳句を詠んでいましたが、現在は川柳ゆに句会の会員です。 https://www.kiyokokitagawa.com

最近の記事

南からの贈り物7 バナナ

         初めて庭でバナナの花が咲いたのは、屋久島に引っ越して二年目の十二月のことである。 屋久島に引っ越したのは、夫の田舎暮らしの、霜の降りない地で南国の果樹を育てたいという夢があったからだ。最初は東京近辺の房総や伊豆などを探していたが、一緒に暮らそうとしていた私の両親は考えを改めたので、私が思い切って島に行こうと提案した。小笠原などではなかなか土地が手に入りそうもない。それで沖縄だと難しいだろうか、それでは鹿児島の離島はどうだろうと見に行き、屋久島が気に入って

    • 南からの贈り物6 タニワタリノキ

      朝早く涼しいうちに散歩に出かける。しばらく歩き回って家に戻る頃になると、南の島の真夏の日差しの強さはもう容赦無くなっていて、じりじりと長袖シャツの中の肌をも焼いた。それでも、自宅近くの狭い道に差し掛かると、木々の枝は低く木陰を作ってくれていてほっとした。近くに迫った頭上の熊蝉はシャンシャンシャンと物凄く煩いのだが。 屋久島の庭の横にあった小さな谷川沿いにも背の高い自然林が生い茂っていたので、川に面したあたりは、熊蝉の声がとても響いた。その谷川に面した部屋は景色は良く、せせら

      • 南からの贈り物5 李

        「その李はこっちでは生らないよ。」 屋久島のうちの裏のほうに住んでいるおばさんが、うちの庭の李の木を見て、笑いながら言うのだった。その前に、移り住んで間もなくの頃、李の木を分けてあげようと言ってくれる人もあったが、うちにはうちの李の木があるので断ってしまった。が、夫が取り寄せて庭に植えたそれは本土のもので、屋久島で言う李とは違うのだった。 屋久島の李は、奄美プラムなどとも呼ばれるもので、台湾原産のものだった。花は本土のそれとほとんど変わらないが、実が私のそれまで知っていた

        • 南からの贈り物4 二月の墓に

          東京を離れてからというもの、桜に恋い焦がれていた。樹齢の多い立派な桜の大木、町並みに続く桜並木、そんなものを懐かしむことがあった。屋久島の里や、指宿の町中で、染井吉野のような桜も無いことはなかったが、あまり楽しめなかった。恐らく、冬の寒さが足りないのだろう。見事には咲かないし、少し寂しいものだった。 その代わり、まずは緋寒桜がこちらでは咲いた。沖縄などにも多い緋寒桜は濃い花の色で、私の恋い焦がれる桜のイメージとは異なっていたが、それは春を待つ桜であった。南の地で桜と言えば、

        南からの贈り物7 バナナ

          南からの贈り物3 石蕗

          石蕗の俳句に、暗い印象のものも多いのが、私にとっては意外だ。 私のよく見知った、鹿児島の屋久島や、今住んでいる指宿近郊の、石蕗の一面に咲くその明るさは眩しいばかりだ。確かに、東京に住んでいた頃、実家の玄関脇に植えられていた石蕗は、咲いたかどうかも記憶に怪しいくらいであったが、そういうほんの少し植えられたものと、南国の地に群生してのびのびと咲くものとでは、人に与える印象もとんでもなく違うものなのだろう。 海鳴りの響く日溜りで咲く石蕗なども、実に明るい気持ちにさせてくれるもの

          南からの贈り物3 石蕗

          南からの贈り物2 幻のたこぶね 

          岬まで行ってみるけれども一緒に行くかと、夫が聞いて来た。 亡くなった母の物など片付いていないので、出かけるのもあまり気が進まないが、家に閉じこもってばかりいるのも良くないだろう。それで薦められるまま、出かけてみることにした。と言っても、家から車で五分である。 夫は見たい植物があるのだと言う。私は浜辺を歩くことにした。 風も無く、海は穏やかだった。浜は潮がだんだん引いて来る時刻だったようで、打ち上げられた貝殻や海藻などが続いているのが列をなしている。波が静かに打ち寄せる波打

          南からの贈り物2 幻のたこぶね 

          南からの贈り物1 ヤブサメ

          屋久島の早春、木の芽流しが始まる。タブノキは赤い葉を、ハマビワは銀白色の葉を広げ始める。そんな照葉樹林の木々の芽吹きの時期の雨を、屋久島では木の芽流しと呼ぶ。 木の芽流しが続いた、湿潤で生暖かなある雨上がりの朝、しばらくぶりにベランダに洗濯物を干していると、モッチョム岳の麓にある家の、庭の横に流れる小さな川の向こうの藪より、シシシシシと声が聞こえて来る。ヤブサメの囀りだ。そのシシシシシは虫の声のようにも聞こえるが、尻上がりに調子の上がって行く囀りを聞いていると、耳にする嬉し

          南からの贈り物1 ヤブサメ

          ヒグラシの家

          暦の上では立秋が過ぎた。 夕方前だと言うのに、蜩、ヒグラシが鳴き始めた。ヒグラシは真夏にはうちの周りでは早朝と夕方に鳴いているが、夕方前に鳴き始めるとは、奴ら秋を察知したのかも。 7月の大磯のグループ展のついでに横浜に、8月に入って急に決まった9月の大磯と東京の二つのグループ展の額装を頼みに額屋さんと二つの個展を見に東京に行って来た。色々気を付けて、でも元気に楽しく。横浜も東京も物凄い暑さだったけれども。   東京に行って帰って蜩の家           清子 横浜か

          ヒグラシの家

          雨の向こう

          ギャラリーカノンでの、初めての東京でのグループ展が終わった。そして、手元に一つの絵が残った。『雨の向こう』だ。 その絵を抱えてうちに帰る前、九品仏の Tobarier Galleryでの最近大好きになった Motoko Oyamada さんの個展にうかがい、気に入った一枚の絵を求めた。それはファイルから選んだもので、だから額装無しの一枚の紙の状態だった。 それを『雨の向こう』の絵の額の箱に入れて大事に持ち帰ることにした。私は、この絵はこの為に残ったのかもしれません、なんて話

          雨の向こう

          しんとしたいな

          ここに書くのは久し振り。絵を描いたらInstagramやTwitterにアップしているのだが、続けざまにしたらちょっと疲れた。アップしたら気になっちゃうので度々スマホを手にしてしまう。徒労はやめたい。そんなことを考えていたら、のんびりPCで書いたことのあるnoteを思い出した。 Zoomで水彩画の先生のレッスンを受けている。そんな中でエミール・ノルデを知る。それでメルカリで画集を手に入れた。ノルデの画集には「思い出の品です。2021.7.吉日」と付箋が貼ってあった。私はコメ

          しんとしたいな

          火恋し

          先日まで、大磯のギャラリー、ぶたのしっぽでグループ展があった。サムホールまでの大きさの小さな絵の展示だ。初めてこのギャラリーのグループ展に参加したのは一昨年のことで、コロナウィルスの猛威が始まっていた頃だったか。お客様は少なかった。昨年はそんなこともあって参加を控えてしまったが、今年は参加した。 DMに選んでいたのは、最近気に入っている月桃和紙の葉書サイズに描いた、と言うか水彩絵具を滲みぼかした絵で、何となく見ているうちに、ちょっと惑星みたいだなとそんなことを思ってタイトル

          ペールピンクのままに

          オペラという派手派手な透明水彩絵の具のピンク。それを水で薄く薄く溶いていくと、柔らかな優しいピンクが生まれる。 そのピンクは子供の頃に母が縫ってくれた、薄手の綿ブロードの、無地のピンクのワンピースを思い出させる。そのピンクのワンピースはお気に入りだったし、結構似合っていたと思う。そんなピンクのワンピースをピアノの発表会などに着ることもあったけれども、案外、女の子らしくなかったかもな。普段は男の子とおたまじゃくしを採っていたりしたから。 小学校の2年生までは、女の子よりも男

          ペールピンクのままに

          ギンカクラゲ

          海亀も産卵に来る島一番の砂浜をいつものようにのんびり歩いていると、不思議な謎の物体を発見した。 小さな大根を輪切りにしたような円盤で、周りに綺麗な青いピラピラしたものが付いている。一体これは何だろう。 その日は写真を撮って帰った。 白い砂の粒々をバックに青いピラピラが映えて、その円盤みたいなものは写っていた。 うちで調べてみようとしても、何なのか見当も付かない。しばらくわからないまま日数が経った。 ある日、地元の海や山や川のガイドさんのサイトの、不思議な生き物達を紹介して

          ギンカクラゲ

          霧の時間

          今住んでいる所へ越して来て春で二年経つが、嬉しかったことの一つは、ときおり霧の出ることだった。 霧に包まれてみると、世の中から遮断されて、でも何だか守られているような気がする。 私の大好きな須賀敦子さんは、ミラノの霧について思い出と共に語っているが、その霧が私の周りにも現れるようになって、なお一層、須賀さんの語るミラノの霧について、一緒に懐かしむような気分になって来るのだった。 そして、一人で居ても誰かと過ごしているような、かと言って過剰に関わり合っている訳ではなく、一