見出し画像

女はショートヘアにすべきだ、という彼女の持論。

私は関空でちょっとビビっていた。それは14年ほど前で、ベルリンに行く飛行機に乗るためのちょっと前の時間で友達や両親が見送りに来てくれた。ここから私はベルリンで暮らして学生をやる。交換留学の試験を受けてあれこれ準備をし、法律事務所でのバイトをモリモリにこなしてお金を貯め、「よーし楽しむぞ!」という気持ちが、急に萎んでしまった。困ったぞ。本当にその日がやってきて、これは取り返しがつかない。ドイツ語はペーペーである。空港に来ているらしいベルリン現地のボランティア学生は、果たして本当に来ているのか。入れるらしい学生寮に着いてすぐに本当に入ることはできるのか。当時スマホはない。(手持ちのGoogle mapアプリさえ存在していない。)私は一体なんて無謀なことをやろうと思ってしまったのだろう。

飛行機のシートに座ってからは、胃がシクシクと痛んだ。崖から飛び降りる気持ちだ。もうここまで来てしまったので、飛び降りながら崖の高さを知るしかない。驚くことに空港に到着するまで、こういう緊張を全くもって感じずに過ごしてきたのだ。あまりに突然やってきた絶望感に、「やっちまったな…」と心で呟くしかなかった。

どうにかこうにか、ベルリン・ブランデンブルク国際空港で提携大学のボランティア学生を見つけ出し、そのままIKEAに直行で連れて行かれ(大学生とは体力お化けである)どうにかこうにか布団と布団カバーとゴミ箱、フライパンと簡易的な皿をゲットして、学生寮に放り込まれた。少なくとも寝る場所はある。ホッと一息を着いて、部屋の外にある共同のキッチンに向かった。

そこに、めちゃくちゃかっこいいショートヘアの革ジャンを来たアジア人女性が大きな荷物を抱えて入ってきた。目の周りにはぐるりと強いアイラインが引かれている。彼女は私を見つけ緊張したドイツ語で「韓国から今日越してきたのだけど、あなたはこの寮の学生ですか。どうぞよろしく。」と挨拶をした。この瞬間から、私を覆っていた崖から落ちるような緊張と恐怖は不思議とどこかへ解けてしまった。

彼女はその後、私にとってのベルリン生活で1番の親友となるのだが(3年前は彼女の結婚式に呼ばれ、ソウルのド・ローカルな結婚式に一人ぽつんと来た日本人として参加してきた。本当にパンデミックの直前でよく参加できたものだ) 、私はとにかく彼女のショートカットヘアに惚れ込んでいた。

「アンディ・ウォーホルのミューズだったイーディ・セジウィックのショートカットヘアが好きで、女の子はみんな髪を切るべき」という極論も、そのファッションの拠り所が破滅的な人生を送ったIt girlであることのアンバランスさも、クールに決めているのに妙に色っぽく異性をバンバン落としていく魔性も、私にとっては新しかった。少なくとも周囲には全くいないタイプの人間像だった。彼女はイーディのように本当に目をスモーキーに囲んでいて、ベルリンのごった返したクラブの外でよくタバコ休憩をしていた。私たちはいわゆるアジア人女性を象徴するような「柔らかでにこやか」みたいな要素が欠如した「アジア人感の薄い国籍のなんかよくわからんコンビ」のような形でパーティで扱われるようになるのだけれど、毎晩食事を共にして、買い物に行き、バッチバチに罵り合いの喧嘩もした。本気で喧嘩をできる友を得たのは、人生でこれが初めてだったように思う。私と彼女に徹底的に共通していたのは「本質的なもの以外は正直どうでも良いかな。求められている気がして返す、愛想笑いみたいなものとか。」という、いわゆる学生の現実認識の甘い面倒臭がりな部分だったように思うけれど、私はまだまだひよっこで彼女ほど自分という存在の置き所に踏ん切りがついてなかったと思う。だから他人の目線というテーマに話が及ぶたび、彼女が「だから何?」と偉そうに言ってみて、その後「とか言ってみるよね」という風に大きく笑う癖、というのが大変心地よかった。彼女もやはり同調圧力の強めなアジアの一国から来ているのであり、私たちは一時的にやってきた恥知らずの留学生として、他人の目を思いっきり笑い飛ばせる"So, what? Who cares?" のセリフを毎日言い合っては、ゲラゲラと笑っていた。

リーマンショックが直撃したその直後に帰国して就職活動に臨んだ私は、「他人の目」「他人からの評価」を思いっきり意識せざるを得なかった。時には媚びた回答をしたり、完璧に1分間ぴったりに自己紹介を述べられるグレースーツの他大学の女子学生に面食らったりしながら、どうにも本心でないことをそれらしく述べるということが心底向いていないということに気がついた。自分がそうだと思ったことを思いっきりやらなければ、多分目が死ぬか、胃に穴が空いて死んでしまう人生になるだろう。5月も過ぎた頃にやっと就職活動を終えた私は、絶対にやると決めてきたことをやった。肩甲骨ぐらいまで長かった髪を思いっきりショートヘアに切った。求められている女子学生というイメージから、思いっきり外れる行動をしたかった。そこまで短くしたのは人生で初めてだったのに、不思議と本当の自分になれた気がした。誰も私にロングヘアなんて求めていないのに、どうして就職活動で無難にロングヘアを維持してしまったのだろう。誰も求められていないのだから、このかっこいいツーブロックも、私が私のために選んだ髪型としては最高のものに思えた。韓国人のルームメイトと「だから?」って笑っていた時の、調子に乗った女子学生の生意気で最強な自立の気分が、何となく自分を支えてくれるような気がした。

そこから就職して、結婚するまで私はショートカットヘアを続けていたのだが、結婚式で髪を結ぶために伸ばし、さらに出産で今度は頻繁に美容院に行けなくなってしまった。職場では育児などで急なリモート対応などを挟む自分の状況に、放置してもそれなりに見えて、少し柔らかに見えるロングヘアは使い勝手が良かった。さらに子供が少し大きくなると、今度は子供に対して「真っ当な大人を演じなければならない場面」が明らかに増えた。靴は揃えるし、毎朝忘れ物がないか確認をし、夜は早く寝る。道端で出会う我が子と同じぐらいの歳の子のお母さんにはにこやかに挨拶をする。こんなことを意識してやれる几帳面さや賢さが私にはなかったというのに、一方で育てる側になってしまうと子供には教えないといけない。自分がそれをこなす子供であったという過去もなかったのに、ついには私より真面目な夫にまで真っ当な小言を言っている。数ヶ月前に新しく仕事を始めて少し落ち着いてきた頃、私の中に残る微かな反抗心が「また髪を切ろうぜ」と囁いた。一旦他人の目を完全に忘れるという何らかの象徴が、必要な気がした。

先日7年ぶりぐらいに、髪を30センチ近く切った。美容師は「本当にいいの?」と10回くらい聞いた。「いいの!いいから切って!」と自分にも言い聞かせるように懇願しながら、久しぶりに自分の首がむき出しになっていく様子をドキドキしながら鏡越しに見つめた。髪を切るというただそれだけのことなのに、毎日山ほど髪を切っている美容師にこのように躊躇されたら、何だかより一層大ごとのような気がしてくる。たまに不安になりながら心折れずに最後まで切ってもらい、「よし、やったぞ!!!」と一仕事を終えた気持ちだった。

道端ですれ違ったご近所の人も私だと気がつかないし、保育園の先生も悲鳴をあげて、子供は親の髪型が激変して唖然としていた。こんなにギョッとされる事が私にしては真面目すぎる7年間でなかったものだから、私は清々としていた。

やった。やったぞ。小さな自分を獲得した。一つやると次も何かチャレンジしたくなる。いい傾向だ。久しぶりにFacebookのプロフィール写真も変えてみたら、大学時代の旧友が「こちらのイメージの方が強いよ、むしろ最近ロングヘアだったの?」とコメントをくれた。

30代の後半戦、もうちょっと冒険めいたことをしたい。私は今ワクワクしているのだ。

“#一歩踏みだした先に ”

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?