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出産は私のキャリアを止めたか?という直接的な問いについて

そういう問いをされるような機会があった。

5年前に初めて出産をしてからというもの、ずっと仕事をする道を閉ざさないために何をするべきか?を考えているような気がする。それはつまり、出産は私のキャリアのスピードを緩めては、いる。そんな査証にもなっているかもしれない。もちろんそれが良いか悪いかは別の話としてだ。

我が家はパートナー・私ともに実家は遠く、親戚の手を日常的に借りられるような状況にはない。ついでに言えば、働いている業界は割とワーカホリックな業態になるだろう。そんな中で、どうすれば職場での信用を失わず、家庭を壊さず、子供に負担なく、できれば親としてできるなるだけのことをやってあげながら、なおかつ納得のいく仕事をやり続けられるか、本当にそればかり考えてきたのだ。

朝は8時半子供を保育園に送り、駆け足で職場に到着する。ろくに昼ごはんは取らずにお迎えまで働く。18時には子供を家に連れ帰った後、22時までには家事育児を終え、そこから明け方3時まで在宅で働く。そして朝7時に起きる。子供の発熱時は、止むを得えない場合に病児保育も利用する。日帰り出張もやる。徹夜も辞さない。事情も重なって給料4割減の時短勤務で給料の割りに合わないにもほどがあるが、信用貯金で胸を張れることを優先している。

夫は保育園送迎は担当できないものの、翌日の家族の食事作りや食器あらい・洗濯をして、その後は深夜まで勉強をしている。あらかじめ食材がカットされて作るメニューが決まっている食事キット等も利用しながらだが、平日これだけの家事を分担してくれるだけで大変に助かっている。

産前に比べると、体重は5kg減った。昼も食べる時間があまりなく、夕飯後に明け方まで働いているからだろう、と想像するが、こんな状態で働くことが両立の道を志す後輩の道しるべに果たしてなるだろうかと、ふとした瞬間に疑問が湧く。手前味噌にはなるが、納得のゆく仕事は時間あたりの質においてはやっている、はず。だけれども如何せん総量は足りない。同期の給料ははるか前を行き、給料や昇進ランクの話をすると心底驚かれる。上司にも驚かれる。なんどか、上司は人事や制度と掛け合ってくれたが、私の状態がシステムと折り合いがついていない、というのが状況だった。睡眠時間を4時間にして働いても昇進や給料は伴わない。どんなに効率を上げても、それを24時間アクセルを踏み続けられる人に比べたら到底届かない(当たり前だ)。こういうフラストレーションを前に、「出産は私のキャリアを止めたか?」という質問されると、「止まったかはわかりませんが、スピードはかなり落ちたでしょう」と答える他ないだろう。

それでもずっと、かなり幸運な方だと感じてきた。子供を産んだことを後悔したことはないし、たまに耳にするマタハラやパワハラ、そういった類のものには遭ったことがない。同僚にも本当に恵まれてきた。だから、このフラストレーションとは私の仕事への哲学の問題であって、苦労自慢をしたいわけではない。欲張りだと言われれば本当にその通りだろう。それを承知で今はこの道しかないと信じて、粛々とやれるだけの事をやっている。そんな感じなのだ。

前に知り合いから、輝く女性を表彰するアワードの候補者に投票参加をお願いされたことがある(有名なアワードである)。働く女性の道しるべを作るという趣旨のもので、その趣旨そのものは大変に意義のあるものだろうと思う。とても輝かしい、すばらしいキャリアが並んでいて、どの人が受賞をしたっておかしくなかった。ただ、どういうわけか共感ができなかった。その道しるべに自分が励まされるかというと、少し難しかったのだ。輝かしいフロントラインより、もっと目の前の困難を打破する実弾が欲しい。何も特別なライフラインがないただの女性労働者が、当たり前に起こりうるライフイベントを抱えて、どうすれば前に進めるのか、名も無いストーリーで獣道を少しずつ平されているプロセス、そういう事の方が必要に思えたのだった。

往生際が悪いが、私はもう少しの間悪あがきをすると思う。今のこの、ギリギリの綱渡りのような日々で、どれだけの仕事が成せそうか、納得のいく子育てをできそうか、ちょっとずつ無理をしてたまに諦め折り合いをつけたりしながら、たぶん格好の悪いチャレンジを続けるだろう。キャリアとしての結果は伴わないかもしれないけれど。それでも草がボーボーの獣道を、人が通れるようになるその数歩ぐらいは手伝えるかもしれない、と信じるしかない。今は。

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