私とじぃじ
はじめに
この文章は 私自身の為に書きます。私の中にある悲しみや寂しさを和らげる為に書きます。ですので あまり深く考えないで読んでください
私のじぃじ
じぃじが 亡くなりました
83歳でした
じぃじは私にとってとっても大きな影響と存在感を与えてくれた大切な人です
じぃじは若い頃遊園地のジェットコースター🎢などを作るエンジニアでした
車のジープを一人で組み立てられるというのも自慢の1つでした
すごく真面目で驚くほどの几帳面、見た目はどう見てもヤクザでハイパーダンディお洒落、夜でもサングラスに三つ揃いのスーツに革靴
それに性格も無口でクール
キャラが渋滞起こしてました
そんなじぃじは 子供の頃から絵を描くのが大好きで 藝大がまだ東京芸術学校という名前の時に受験を考えていたらしいのですが、戦争があったためお金が無く行けなかったそうです。
それでも絵が大好きだから、ずーっと絵を描き続けていました。未だにじぃじが中学生の頃に描いたデッサンが残っていました
年月が経ち 私が生まれ、じぃじはよく私を美術館や博物館に連れて行ってくれました
生まれて初めて美術館に連れて行ってくれたのはじぃじです。
私も当時から絵を描くのが好きで、絵を描いてはじぃじにみてもらい、沢山褒めてもらいました。
そして私が大きくなり東京藝大に入学した時、一番喜んだのは勿論じぃじでした
じぃじ自身が行きたかった大学に行けて「よくやった」と褒めてくれました
毎年藝際を観に来てくれて、油だけでは無く全ての科の展示を三日間通してみてくれて
クールでポーカーフェイスな人だったけどとても楽しそうでした
私が大学を卒業して 美術家 として生きていく事を一番応援してくれているのもじぃじです
じぃじがまだ自分の足で歩くことができていた頃 、最期に実物を見てくれた私の作品はこの写真の作品です
「昼の煙と夜の霧」
天竺綿カンバスに油彩
727×2000mm
2018.11.
立花清美
もうその頃は身体が思うように動かなくなり始めていて、ギリギリだったけど個展に来て私の作品をみて 褒めてくれました
入院中も壁に沢山私の作品を飾って、最後の日も作品に囲まれながら旅立って行きました
とっても悲しいけれど じぃじは 最期に私に笑顔と勇気をくれました
そしてじぃじは生前
「絵を描き続けなさい」
そう言ってました
だから描き続けます
じぃじが亡くなってすぐ、私はペンを走らせました。
お気に入りの "孔雀色"というインクを萬年筆に吸い上げ、それを紙に落とし込みました
何を思い、何を感じていたかなんて ありません。
ただ無意識に祈るように絵を描きました
「夜」
画用紙、インク
約A4size
2019.7.20.
立花清美
なぜ夜を描いたのか、なぜこの女性は目を閉じているのか、そんな事は分かりません
でも1つ確かな事は、この絵を描き上げた時、私の胸の中にあるなにかが少し穏やかになりました
私はじぃじが言った通り 絵を描き続けるよ
ありがとう
大好きだよ
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