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遊んでくれないおばあちゃん

私は一人っ子で、父も母も働いていました。
祖父母と、叔母さんが一緒に住んでいましたので、私の世話をしてくれたのは、大体祖母か叔母でした。(祖父も働いていました)
しかし、世話はするが遊んではくれないのがうちの祖母です。

「おばあちゃん、あそぼうー」
「・・・」(台所で作業中)
「おばあちゃん、おてだまやってー」
「・・・」(台所で作業中)
「おばあちゃん、おしごとおわったー?」
「・・・」(台所で作業中)

完全なるシカトです。念のため、ネグレクトではありません。

(台所の仕事が終わり、割烹着を脱ぎ始める)
「ねぇねぇおばあちゃん、あそぼうー」(しつこい)
「あーおばあちゃんは疲れた。お昼寝しよう。一緒に寝ろ。ほれ、こっちさ来い。」
(強引に横に寝かされる)
「おばあちゃん、わたし、ねむくない」
「・・・」
「あそぼうよー」
「ZZZ」(祖母、寝落ち)

今思えば、6人家族のご飯や洗濯、掃除など全て祖母がやっていた訳で、
おまけに60歳もとうに過ぎていた訳で、そりゃぁ疲れるだろうなと。

うちの近所一帯が断水するという連絡があった時も、
祖母は一人でお風呂に水を溜め、飲料や料理用の水を準備していました。
その時、私は閃きました。

「おばあちゃん!お水がなくてもジュースを飲めばいいんだよ!」
「・・・」(もくもくと給水)

マリーアントワネットのようなことを言う私を完全にシカトする祖母。
バカな事言ってないで手伝え、子供のころの私。

全然遊んでくれない祖母でしたが、裁縫が得意な事から、お手玉やら、バービーちゃんの着物やらを縫ってくれてました。バービーちゃん用の布団まで縫ってくれました。
洋風憧れの私は、「着物より、ドレスがいい。布団より、ベッドがいい。」と思っていましたが、なんというバチ当たりな贅沢でしょうか。

祖母が、本当に極たまーーーーに遊んでくれる事がありました。
「ひとつとせ、ふたつとせ」(お手玉の歌?)と歌いながらお手玉をしたり、おはじきの遊び方を教えてくれました。
当時からしても、お手玉やおはじきは時代遅れな遊びでしたが、
私は祖母が相手をしてくれるのが嬉しくて、お手玉もおはじきもできるようになりました。明治時代の遊びは令和にもあるのかな?今度おもちゃ屋で探してみようと思います。

最長遊んでくれる時間、10分(体感)

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