見出し画像

家のことも両親のことも恥ずかしいから人前で話してはいけないと思っていた|アダルトチルドレン克服のための過去日記④

母親は昔から世間体をよく気にする人だった。

「勉強していい大学に行け」という理由は、将来の選択肢を広げるためでも大企業に就職するためでもなく、「大人になって学歴を聞かれたときに恥ずかしいしバカにされるから」だった。
保護者会のあとなどにみんなで食事に行って、みんな高学歴ななか学歴を聞かれて恥ずかしかったらしい。父親も無名な大学で無名な会社のサラリーマンだし、私も地元の田舎の大学だし、私たちのようにならないでほしいと散々言われた。そう刷り込まれたから、友達の前で両親の仕事の話などはなるべく誤魔化すようにしていた。「保護者会で恥ずかしい」というのはまったく共感できなかったが、人前で両親の仕事や学歴のことを話すのは、母に恥ずかしい思いをさせてしまうんだ、と理解した。

高校生になってから、すごく仲良くなった私より成績の良い友達に、初めて自虐的に「うちの親無名な大学だから、私にいい大学行けって言ってくるんだよ」と言ったら、「うちの親も地元の大学だよー」とさらっと言われた。それからは別に気にしなくていいことだったんだと思えるようになった。

小学校のとき、行事ごとの写真が廊下に展示されて、好きな番号を保護者が買えるシステムがあった。母には「みんなたくさん買ってすごいね。小さくしか写ってない集合写真まで買ってるし。お金あるんだね。こういうの少ししか買えないお母さんだからね」みたいなことを言われた。私は「別に写真いらないしいいよ」と本心で返した。確かに子供と一緒に楽しそうに写真を選んでる母親もいたが、別に私はそこまで気にしていなかったのに。母親は気になったのかもしれないが、なぜ私に共有してきたのだろうか?私が気にしていると思ったのだろうか?

小学生の頃、母と友達の家に遊びに行く機会が何回かあった。私の賃貸マンションより何倍も広い家ばかりだった。単純にすごい!ちょっと羨ましい!とはなったが、帰ったあと「うちは狭くて恥ずかしいから家来たいと言われても断ってね」「友達の家行くと絶対来たいと言われるからあんまり嫌なんだけどね」と言われた。ほかにも、車を持っていないことだったり、高級スーパーの紙袋を友達が持っていることだったり、友達の親に医者や弁護士だったり、全部比較して「うちは恥ずかしい」と母親がしきりに話すので、恥ずかしいことなんだと刷り込まれて、家の話は人前でなるべくしないようにしたり、友達に車ある?と聞かれても「今はない」と謎の見栄を張ったりした。

ある日、図工の道具を持って行くのに紙袋を持たされた。すると、クラスメイトに「ピーコック?」と聞かれた。よくわからなかったので、帰って母にその話をすると、「ピーコックは高級なスーパーなんだよ。よかったでしょ?」ととても嬉しそうだった。これは喜ばないといけないことなんだと学んだ。

大学に入ったら、まったくそんなこと気にしなくてよかったのになと思った。奨学金借りてアルバイトして大学通ってる人いるし、東京に住んでたら車いらないよね?ってみんな言うし。

そもそも、私がいじめられないようにと小学校受験をさせたから、確かにお金持ちが周りに多い環境ではあった。でも、大学に行くまでは私の家は貧乏で親の仕事は人に話せないほど恥ずかしいのだと、本気で思っていた。

恋愛しない人が浮かない世の中に変える活動をするために使います。エッセイ以外にも小説を書いたり、歌も作っています。