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それは、時を、待っている。

最近つくづく思うのが、「○○は、目撃されたがっている」ということだ。
「○○」にはいろいろなものが入りそうだ。
たとえば、「思考」「感情」「アイデア」「願い」「存在」……。

個人セッションをしていると、そのことが本当によくわかる。

クライアントのお話を聞いていて、最初に話し出したことと、終わりでは展開が変わるということは頻繁にあるのだけれど、その、終わりに近づいた時に出てきたものを、「二人のこの場に出した」ということが、ある種そのセッションのゴールになったりする。
「その場に(言葉として)出現する」ということで、成就される、という感覚だ。

いまだ言葉になっていないもの、もしくは、言葉としてこの世に姿を現したがっているもの。
私たちの頭の中・心の中・身体の中には、そんなものがきっと、たくさんある。
そして、それらは「目撃」されたがっているのだ。

※以前投稿した話も、似てる気がする




「オーセンティック・ムーブメント」というボディワークがある。段取りはこんな感じだ。

ペアになり、1人(mover)は目を閉じ、その時の自分に湧き上がってくる「オーセンティック(真正の)」な動きにただ従って動く。
ペアの相手は、moverが動くのを座って見守る。
(moverは目を閉じているので、ほかの方や壁などの障害物にぶつかるような危険があれば介入するが、それ以外はただ見守るだけである)
一定時間のワークが終わったら、ペアでそのワークの振り返りをする。

非常に面白いワークなのだけど、そのことは今回は割愛。
私がこのワークで好きなポイントのひとつが、ペア相手の「呼び名」だ。
“mover”に対するペアの呼び名は、“witness(目撃者・立会人)”である。

ペアやトリオで行うワークの多くは、こういった役割のことを“observer(観察者)”と呼ぶ。オブザーバーにも「立会人」という意味はあるようだが、やはり両者は言葉の持つ質感が違う。
私はいつも、個人セッションをする時はとくに、観察者の面もありつつ、目撃者である自分、立会人である自分だという感覚がある。
そしてそれは、私にとっても非常に有難く、染み入る体験である。moverとwitnessは、関係しあっている。

ちょっとしたおまけの話

ここでいったん、今日の話は区切られる。
ここからは、「目撃」繋がりで思い出したことだ。
(そしていつもながら、徒然に書いているので、なんらまとめも役立つこもないような気がする。最初にごめんなさい)

もう何年も前の話だけれど、仕事中に「目撃意識」という体験をした。

詳細は語れないけれど、それは非常に荒れた現場のことだった。
複数名のファシリテーターが立ち場を創るものだったのだが、裏側は本当に荒れていた。そんな中、初日のファシリに指名されたのが私だった。
前夜まで、けっして、平静な状態ではなかった。

けれど翌日、朝から終わりまで、私は「ある状態」に入った。
なんの感情もないけれど決して冷酷ではなく、だけれどもなんの質感もなく、ただただ、その場で起きていることの解像度は高く観えたまま、心は静けさを保ち、荒れた関係にもまったく影響を受けなかった。高揚感も閉塞感も、何もなかった。本当に、何もなかったのだ。

そして、自分の(覚醒している顕在的な&少し変性的な)意識以外に、「ただ観ている」存在があった。それ以上の表現ができない、「ただずっと観ている」存在があった。それは、私がメタ認知している、という意識とは違う、ただ観ているものの存在があった。それは、何かをしてくるわけではなく、ただ観ているだけだった。
(当たり前だけれど、物質的に何かがいたわけではない)

これは、「わりきって」とか「淡々と」とか「気持ちを切り替えて」とか、そんな話とは明らかに違う体感覚のものだった。

不思議な体験だったので、ラーニングメンターにその体験を話した。
すると、「おそらくそれは、『目撃意識』の体験と、『愛(アガペ)』体験だろう」とのフィードバックをもらった。
(両方についてご興味ある方は調べてみてください)

目撃意識については置いておいて。
(というのも、上記で説明した“witness”とはまた違うので、ややこしく面倒になるから)
「愛」というもののとらえ方の解像度が、この時にあがった、という話を続けたい。

というのも、その時の質感は、優しさとか、全受容とか、思いやりとか、温かさとか、そんなものではまったく無かったからだ。
そんな質感は、少しもなかった。むしろ、無機質な感覚に近いくらいだ。
それは、ただただ、誰にも、何にも、等しく降り注がれるものだった。
そして、(「量」、という概念が当てはまるのならば)膨大にあった。
人間くさい質感を超えた、感情を介さない何かが、「愛」なのだ。
(「愛」と「愛情」は別のものである)


こうやって振り返ってみると、最初に書いた「目撃されたがっている○○」がこの世に花開いていくためには、この無機質な感覚がとても重要なのかもしれない。もちろん、「目撃」というスタンスも。
意図して起こせるものではないので、私ができることって、この器を磨き、クリアに空にしておくこと、なのだろう。たぶん。


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