Kiyono Watanabe

エッセイを書いてます。                           株式会社ホ…

Kiyono Watanabe

エッセイを書いてます。                           株式会社ホリスティック・キャリア代表取締役                                   キャリアコンサルタント・羽黒山女山伏

最近の記事

どんな日も、佳き一日。

10年くらい前、とある大きな仕事を思い切って辞めた。 その結果、かなり時間のゆとりができたことがある。 トータル2年くらいだったろうか。 存分に眠って、ゆっくりと朝起きて。 食事をつくり、気ままに散歩して、お茶を飲み、読書した。 もちろん、仕事をすべて辞めたわけではないので、ちょこちょこ仕事はしていたが、その2年間は「暮らし」を大切にした時間だったように思う。 その頃、ぶらぶら散歩をしていたある日、ふと、 幸せだ という気持ちが湧き上がってきた。 しかも、「何があ

    • 教えない理由②

      「教えない理由①」の続きを本日は。 前回はコチラ↓ さて。 私は、山伏(山に入って行をする修行者。修験道の行者)であると同時に、真言宗の僧侶の見習いでもある。 ※説明すると記事が長くなりすぎますゆえ、よかったらコチラもご覧ください 空海が開いた真言宗は、密教をベースとしており、「事相」と「教相」の両輪を大切にしている。 事相とは道具の扱い・作法などの実践面、教相は思想・学問的な側面を指す。 「密」教というだけあって、それらの教えの中には、秘密のモノがいろいろとある。

      • そこにはただ、傷ついた人がいるだけ

        10年くらい前のことだろうか。 当時私は、学生の就職活動支援の仕事をしていた。 ある日のワークショップのこと。 某大学院で、「人生で大切にしたいこと」を語り合うカードワークをしていた。 「大胆かつ創造的であること」「ストレスの少ない環境であること」「富を得ること」「成長すること」などなど……「価値観」を表す文言が書いてある50枚ほどのトランプのようなカードから、自分が大切にしたいものを10に絞って、その背景やそれに対する考え・思いを語り合うというものだ。 とあるグループに近

        • 教えない理由①

          茶道をはじめて17年くらいになる。 と言うにはおこがましいほど、何もできない。 禅にも繋がりが深い茶道には、「初心を大切に」という教えがあるものの、「とはいえ度が過ぎるだろうよ!」と自分にツッコミたくなるくらい、毎回初心者レベルのお稽古をしているのである。 それでもお稽古を続けているのは、その時間が楽しいからだ。 私にとって茶道のお稽古は、瞑想をしているに等しい。 そうか、つまり私にとって瞑想は楽しい、ということか。 (書きながら気づく。笑) 話を元に戻すと。 茶道を習

        どんな日も、佳き一日。

          「長続きする関係」に、あるもの。

          男友達の家に、泊めてもらった。 以前から、奥様大好き話と、息子さんのユニークさを愛でる話を聞いていたので、直接お会いできるのがとっても楽しみだった。 仕事を終えての訪問だったので、夜まあまあ遅かったのだけれど、奥様は可愛らしい笑顔で大歓迎してくれた。 お店ですよね?と言いたくなるほど美味しいご飯と、「幸福」と書いて「仲睦まじい」と読ませたくなるようなご夫婦のやりとり。 奥様とは初めてお目にかかるので、彼女のこれまでの人生や、お考えとか、もういろいろ興味津々で、いっぱい質問し

          「長続きする関係」に、あるもの。

          世界はどうも、こうなっているみたいなのだけれど。

          昔から、夢をみるのが得意だった。 得意、という言葉がフィットするのか些か疑問が残るものの、おそらく、やっぱり、得意な方なのだと思う。 夜、寝ている間にみる、夢のことだ。 小学生から大学生まで、甘えの限りを尽くしてベッタリさせてもらった、母方の祖母。 そこで飼っていた雑種の犬。 大好きな相手は、亡くなる「直前」に夢の中へやってきて、別れの挨拶をしてくれた。 末期ガンを患っていた友人が夢に出てきた時は、そのなんとも言えない表情と、同じ空間にいるのに明らかに違うエリアに居る様

          世界はどうも、こうなっているみたいなのだけれど。

          「痛み」とのつきあい方(後編)

          頸椎ヘルニア発症を機に「痛み」について思い巡らせたここ数ヵ月。 肉体の痛み、心の痛み、からの、 今日話したいのは「人間としての、人生の痛み」について。 前編はコチラ↓ 中編はコチラ↓ さて。 前編で紹介したこの本。 痛みに朦朧とする中で、 「『痛み』の正体を知らねば、マネジメントできない」とポチした一冊だ。 イテテな日々に苦しみながらパラパラとめくる、あるページに手が止まった。 がん患者の痛みのケアに関して広がった概念、「全人的苦痛(トータルペイン)」。 がん患者の

          「痛み」とのつきあい方(後編)

          「痛み」とのつきあい方(中編)

          前回は、頸椎ヘルニア発症記、からの、痛みの話。 前編はコチラ↓ 今回はその続きです。 読んでくれた皆さんにとにかく伝えたいので、くどいくらいに言いますが。 とにかく。痛みは我慢するもんじゃない。ひとつもいいことないから。 私の家族は割と、痛みを我慢して終わらせようとする人で、 今回の私の激痛に対して共感性が低く、私にとってはそれも辛かった。 「おなか痛いの、我慢してれば治ることがあるから……」 ですって。 いやいや、だから、6日間、1ミリも治らなかった、っつーの!!

          「痛み」とのつきあい方(中編)

          「痛み」とのつきあい方(前編)

          6月初旬、ある朝。 左の肩甲骨から腕にかけて、鈍い痛みがあった。 なんだか変だな……と思いつつ、その日の用事をこなしていたら、 一日かけてその痛みは増大し、夕方には思わず「いたたたたたたたた」と 声をあげてしまうほどの激痛になっていた。 声を上げたところで痛みはなんらおさまらないのだが、声を出していないと落ち着かない。 脳のほぼすべてを「痛」の文字が埋め尽くすような、激しい痛みだ。 時間が経てばおさまる、どころか、痛みは安定して私の身体に居座った。 肩甲骨を巨人の手で鷲

          「痛み」とのつきあい方(前編)

          何やらちょっと面倒な、名字の件(後編)

          中編からの続き。まとめの後編です。 前編はコチラ↓ 中編はコチラ↓ 前回のラストで書いた通り、戦後、法の下では「個人の尊重」「男女平等」になったものの。 未だにありますよね。たとえば、 「えっ、旦那さんが名字を変えたの?(普通女性だよね)」 「えっ、妻名義の家に住んでるの?(普通は男性名義だよね)」 とか。 そうそう。 以前、サイボウズの青野さんが結婚して姓を変えられたことで体験したことを発信していて、話題になりましたね。 青野さんにはぜひ、下の名前のハンコづく

          何やらちょっと面倒な、名字の件(後編)

          何やらちょっと面倒な、名字の件(中編)

          前編からの続き。(前編はコチラ↓) 書いていたら長くなったので、中編と後編にわけることにしました。 今回は、名字の歴史。 ・ ・ ・ いやー、調べてみたら奥深い。 名字の付け方、名字というもののポジション、血縁や婚姻と名字の関係など、時代によって違うのです。 ① 名字誕生 遡ること奈良時代。 使われていたのは「氏(うじ)=血族集団を表す名称」、「姓(かばね)=古代の大王が氏族に与えた称号」。 ※前者例:中臣氏、物部氏。後者例:巨(おみ)、国造(くにのみやつこ)

          何やらちょっと面倒な、名字の件(中編)

          「怪物」は「誰」、だったのか?

          先日、友人と会った時のこと。 前回会った時に彼女の使った言葉が気になっていたので、そのことを持ち出した。 なんとなく、 「もしも◎◎◎な風に思わせてたら(ごめんね)、私の意図とは違うから」 と言いたかったのだ。 すると友人は、そもそも自分が発した言葉を覚えていなかった。 無自覚に、サラッと出ただけ、だと思う。 よくわかんないけど。 らしい。 もちろん私も、その可能性を想定していたし、それならそれでいい。 良かった。と思った。 「軽く発した言葉を、そん

          「怪物」は「誰」、だったのか?

          何やらちょっと面倒な、名字の件(前編)

          やっと、手続きしてきた。 住民票に旧姓を併記したのだ。 (そのまんま、「旧氏(きゅううじ)併記」という) 住民票だけでなく、希望により保険証やマイナンバーカード、免許証などにも記録できる制度だ。 ↓詳しくはコチラ ずっとほおっておいた割には手続きが簡単で、 ①戸籍謄本をとり ②住所変更などを扱う窓口(自治体によって違うと思われるので確認を)に提出して手続き依頼 で終了。 (持っていれば)マイナンバーカードと保険証は、同じく自治体の役所でできる。 免許も変えたければ、警

          何やらちょっと面倒な、名字の件(前編)

          毎日をボーナスステージとして生きる。

          何かしたいことがあるわけではないのだが 先日、50歳になった。 誕生日の翌日から今日まで、心身ともとくに目立った変化はないが、大きな区切りだったような気は、なんとなくする。 誕生日より前。 50歳になる、ということが差し迫った時、最初に思ったことは 「もう、好き放題しよう」 だった。 この話をすると、私を良く知る友人たちの目は点になる。 (これまでもそうだったのでは……) と顔に書いてある。 それは正しい。確かにこれまでも、好き放題に生きてきた人間だ。 だがしかし。

          毎日をボーナスステージとして生きる。

          怖ろしいほどに愛おしい、生き物としての衝動。

          大学一年生の冬。 明け方、私は祖母の夢をみていた。 祖母からすると末娘の長女である私は、彼女にとって可愛くて仕方ない孫だったようで、常に惜しみない愛情を注いでもらっていた。 祖母は、私が物心ついたころにはリウマチで外出できなくなっていて、室内を押し車で歩く程度。一日中ベッドの上で過ごすことが多かった。それでも頭はシャッキリしていて、遊びに行くと、私はベッドのある部屋の畳にダラリと座り、日がな一日祖母とおしゃべりするのだった。 夢の中の祖母は、現実と同じくベッドの上に座って

          怖ろしいほどに愛おしい、生き物としての衝動。

          あれこれ考えを巡らせた後、ちょっとだけ幸せを感じた話。

          先客がいた。 脚を思い切り投げ出し、背もたれを目一杯倒して、おそらく眠っている。 私はできるだけ体を薄くしながら蟹歩きをして、彼の前をすり抜けて自分の席についた。 日曜日、上りの新幹線。 持ってきた新書をカバンから取り出し、さあ読もうと広げると…… 狭い。 チラリと見ると、肘掛けを越した彼の肘と上腕が、私の座席のスペースを、 いや、「私の陣地」を侵していた。 うーん。狭い。 ちょっと嫌だな、と思いつつ、「あの、腕をよけていただけませんか?」と言うほどまで大幅に侵され

          あれこれ考えを巡らせた後、ちょっとだけ幸せを感じた話。