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夏目漱石×デジタル環境×肩凝り

肩凝りと名付けたのは夏目漱石。1910年発行の小説「門」にて「石のように肩がこる」という表現に「こる➡凝る」を感じをあてた。これが漱石の偉業です。


・1910年当時の情報ツールは紙媒体が主流、漱石の執筆活動は注目の的で全国民が新作に期待し一喜一憂していた。

・2000年頃のIT革命 ホリエモンがメールが普及するので、FAX紙はいらなくなる発言で物議を醸しだす。

・2020年現在は書籍・辞書・テレビ・電話など情報ツールはすべて一つにまとめられ小っちゃくなった。


「分からないことは何でも聞いて下さいねっ😊」そう言ってくれるのはスマホちゃんです。「先生に聞くまえに、ちゃんとググりなさい‼」と学校でも教わる世の中がそこまで来ています(笑)。

【夏目漱石の環境を整理する】

胃腸が弱く精神的にも問題を抱えた漱石。

車や電車もまだまだで仕事の中心はマンパワーであった明治時代。一般的な仕事は肉体労働が多かったはずです。そんな中、漱石は机に向かい原稿用紙と睨めっこ。『運動<静止』日常動作のように動作が限られている・決まっている場合に多くの筋肉はキープを意識する。

動く筋肉は限られ(指一本とか😊)ブレないように姿勢を保つ。

日常動作は反復作業、なにも考えずに動作をこなす効率重視に意識が入ります。そんな肉体環境で紙媒体が主流で小説に一喜一憂していた国民の期待を一身に背負い、期限まで付けられ編集者には逃げたさないように目張られる始末。


漱石は肩が凝ったんでしょうね😊

【令和と明治の環境を整理する】

明治は不便が普通、運動量多かった。

令和は便利を追求、運動量は減っていく。

漱石だけがデスクワークしてたというと誇張しすぎでしょうが、現代人でデスクワークしない方少ないでしょう。仕事や作業はマンパワー中心の方いらっしゃると思いますが手軽な情報ツールはスマホになっているでしょう。

辞書や読書など調べものだったり、メールやLINE・電話といった連絡手段の境界線はスマホの登場でがなくなりました。スマホに向き合う時間は確実に伸びています。これは大人(労働者)に限った事でしょうか?

【首肩背中の環境を整理する】

「あれ何だったっけ?そうだググって調べよう💡」

スマホをのぞき込むには、腕はスマホをがっちりキープで一切動かない。あたまも一切動かない。視線も一切動かない。ブレたらダメなんです。

この『調べる』を最優先した日常の動作を因数分解してみると・・・

『情報収集➡読む』そのために活動をストップさせて、筋肉の活動は伸び縮みが得意なんですが、脳からの指令は「キープ」「全体止まれ‼」となる。筋肉は泣く泣く活動を止め・血行を止めて・動きを封印してブレないように固まる訳です。

「固まっていた方が効率が良い」日常生活で優先されることは、いちいち考えなくても作業がこなせるように【動く筋肉】を最小限に絞り【動かない筋肉】を広ろげていくように号令を出します。

肩凝りは令和時代のスマホ生活でみんなが選択した弊害の一つなんですね。


令和時代では大人から子供まで肩凝りに悩ませられる環境が整ってしまいました。まだカタクリ整骨院では小学生の肩凝り需要はありませんが、キャリア20年のカタクリさんには中学受験を控えた小学生からご指名いただくことはありました。親御さんからの紹介でしたね~

受験生に限らず、姿勢・媒体・ストレスなど環境がそろったら肩凝りはやってきます。


安心してください。そうなったらカタクリと炭酸を思い出してみてね💛

令和時代に産まれて良かったですね😊

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