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【日記】「家」の境界

連日、叔父の危篤云々でごたごたしていた。
私の母は長女で、叔父は四女の夫にあたる。
やや遠方に住んでおり親しく交流していたわけでもなく、血縁関係でもない。私は葬儀には参列せず母の遠征手配をした。

人が生死を彷徨うとき、必ず母方の叔母がトラブルを起こす。
とにかくヒステリーになるのだ。

かの叔母は次女で、私と同じ県に住んでいる。
叔母の情緒不安定問題は私が物心ついた頃から散見されており、最も古い記憶は自分が五歳の頃だ。
従妹が家に来て、母と叔母を交えた四人で私が主導し一緒に遊んでいたとき。ふいに大人の本気のヒステリーを食らった。叔母は何かを喚きながら従妹の手を引き家を飛び出し帰っていった。
面食らいすぎたのか、私は泣きも震えもせずその場に立っていた。

生死を彷徨うときと言ったがそうでもなかった。
中三の終わり。高校に合格した日に「なぜ志望校をあらかじめ自分に言ってくれなかったのか」と電話で泣き叫ばれた。おめでとうの言葉はなかった。

母方の祖母が入院したときは、祖母と同居していた私の家、主に父と私が中心となり多方面とやりとりをしていた。
見舞いに来て、何かを引き金に泣き喚き帰ろうとする叔母を父がなだめる光景をよく覚えている。

祖母の葬儀では、母は喪に服してもらい、葬儀社・父・私で別室で話し合いをしていた。その際、なぜ孫である私が一緒に話を聞くのかという理由でヒステリーを起こされた。この時はさすがに叔母の夫に対応を全任した。
葬儀の手配が済んだ後、祖母の兄弟や知人に連絡をするときに、話の筋が通りやすい母姉妹で手分けしてほしいと母経由で父がお願いしたが、叔母は笑いながら謙遜し、炬燵でお菓子を食べていた。

祖母の告別式。控室で久しぶりに会う親族同士談笑していた。祖母への弔問客は、すべて父と私が挨拶をした。
葬儀が始まる前、祖母の棺まわりにいたのは、母だけだった。

私の父の危篤時は割愛する。

おそらく叔母の引き金になっているのは「除け者感」だと思う。
今ここに書いたことも、ゆっくり紐解けば自分も仲間に入れてほしいという要求ではないだろうか。

「家の境界」が子どものまま、大人になってしまったとも言える。

結婚する、あるいは子が大人になると、家族の境界が変わると私は思っている。自分の親兄弟という境界は持っていても、優先で守るのは自分の夫(妻)と子、または交際相手になる。私は家族全員仲が良く、人に恵まれてきたからこういう考えになったのかもしれない。

紙一枚ではない「家」という境界感覚。
大人の家族。境界線。
変われない大人の子。

誰がそうしたは余りに切りが無く野暮で、いまは境界線を少し消し、僅かに叔父の喪に服す暇を、作っている。











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