見出し画像

大学生活が終わる

今日で大学生としての生活が終わる。明日から大学生じゃなくなる。
長かったようで短かった6年間は、世の中の喧騒とは対照的に、ひっそりと静かに終わろうとしている。

小豆島で生まれ育ち、高校卒業を機に沖縄に移住した私は、大学生・大学院生として6年間沖縄で過ごした。
6年間と言われると、いつも小学校の期間と同じだなと思ってしまうのだが、沖縄での6年間は、小学生の頃の6年間とは全く違う、ただ密度が濃いとも薄いとも言えない、簡単に片付けることができないような複雑で、曖昧で、私にとって特別なものだったと今更ながら思う。

さて、私は年度末の令和2年3月31日という、明日から多くの人たちが新社会人のスタートを切るであろうタイミングでテキストを打っている。でも実はずっと前から打っていたのだが、今の今まで完成させることができなかったのである。何となく、沖縄で過ごした6年間という時間の1つの節目としてテキストを打ってまとめたいと考えていたのだが、どうも手が動かずにいたのが原因である。

6年間を全て振り返っていると、飽き性な私は確実にテキストを終わらせられないと思ったので、特に印象強いことを中心に思い出してみようと思う。また、特定の出来事の羅列というよりも、その時感じていたことや思ったことをテキストにしてみる。

最初の3年間

まずは沖縄に初めて来た時。
それは大学入試の時だった。その時は1人で来たのだが、私が持っていたイメージとあまりに違うのでびっくりした。
沖縄と言えば、青くて綺麗な海があって、白い砂浜があって、あとはハイビスカスという花があるといったことくらいしか知らず、人々が暮らす町や生活については正直何もイメージがなかった。
いざ沖縄に着くと、まず空港の人の多さに驚いた。私が当時知っていた空港の中で一番大きかったからかもしれない。もしくは、1人で知らない所に来ていたので不安も相まってそう感じたのかもしれない。そして次に、おそらくアパートやマンションなどの建物がたくさん見えて、非常に密集している印象を受けた。しかも、全体的に白かったように思う。そもそも、沖縄にこんな都市的な場所があるイメージがなくてとても驚いた。香川県の小さな島で生まれ育った私にとってはどれも新しくて、不思議で、よく分からない場所に来てしまったとさえ思ってしまった。

何とか入試を乗り越えて沖縄に移住すると、間も無く大学生活が始まった。
気温の高さ、湿度の異常さ、梅雨の長さ、日差しの鋭さ、また沖縄独特の方言、食文化など、最初は色々な環境の違いに戸惑いつつも、それを楽しんでいたような気がする。

沖縄の環境に慣れていき、次に私は人との出会いに興味を持ち始めた。
大学生はとても自由だ。
講義やバイトはあるが、基本的に自分の時間は自分次第でどうにでも使うことができる。私は、同じことを学んでいる同世代に加えて、色んなコミュニティーや繋がりを通して多くの人たちと出会い、話をしたり、イベントや企画を練って一緒に何かやったりもした。いつしか人との出会いや繋がりに魅力を感じ、出来るだけ多くの人と会えるように行動していくようになっていた。特に、みんなで何かプロジェクトを動かすのは本当に楽しくて、目標に向かうプロセスはもちろん、実際にやっていく過程、またそれによって広がる繋がりなど、どれも自分にとって良い経験になっている実感があった。

でも私の場合、人と出会う数と長く付き合っていく人の数が比例することはほとんどなく、限られた少数の人としか繋がりを継続することができなかった。というよりも、継続しようと思えなかったからこうなっているのかもしれない。と言いつつも、結局人と出会う頻度はずっと変わらないという感じであった。

ここまでが前半の3年間についての話である。
本当にざっくりとしているから具体的に私が何をしたかとかは全然分からないと思うが、とりあえずこの3年間はこんな感じだった。はっきりと、これを頑張ったと言語化するものもない、実際絞り出せば何とかできるだろうとは思うのだが、それはやりたくないしこのタイミングではしなくても良いといった感じである。

後の3年間

後の3年間は、前半とは大きく違う3年間であった。その大きな要因となったのは、大学4年生の1年間かけて行った「卒業設計」である。

大学4年生になると、大学で専門としていた建築について真剣に考えるようになった。「卒業設計」のスタートを機に、これまでの3年間とは打って変わって、新しい人との出会いは劇的に減り、建築について深く考えようとした。単純に忙しかったのもあるが、新しく人と会おうという努力もしなくなっていた。
建築を考えることをメインとした生活が始まると、私はそれに集中しようとして、なかなか他のことに頭が回らなくなっていた。要するに、私はマルチタスクが苦手で1つのことに集中する方が得意なのである。

私はこの「卒業設計」で、人生最大の悔しさを味わうことになった。
大学内に加えて、できた作品をいくつかのコンテストに出して、良い評価を受けたいと思って頑張ったのだが、そのどれにおいても望んでいた評価を得ることはできなかった。

私はとても悔しかった。これまでにないくらい悔しかった。

1年間やってきたことが思ったように評価されないとなると、作品だけでなくこれまでの思想や生活までも否定されたような気がして、かなり落ち込んでしまっていたと思う。

この経験が、私を大きく変えてくれたと、変えてしまったと思う。

それからすぐに私は大学院生になったが、大学院生の2年間は本当に一瞬というか、とても速く感じたけど、1日1日とても充実していたことが記憶に新しい。

大学院生の間は、人と会うというよりもずっと自分と対話することを大切にしていたように思う。

これまで以上に建築について考えたし、自分が好きなものとか、興味を惹かれるものとか、壮大な思想とか、そう簡単に答えが出ないようなものを漠然と考えることができるようになっていたし、好きになっていた。
建築に関しては、卒業設計の影響もあって最初は少し逃げていたように思う。でも、あの時の悔しさがずっと忘れられず、もっと建築のことを理解したいし、勉強したい、そして人に伝えられるようになりたいと思うようになっていた。

その中で、会う人も前に比べると随分限定的になり、それぞれ会う人ごとに回数も増えていった。話す内容も、すぐ先のことより、近未来のこととか人生を通して考えたいこととか、割と感覚的で哲学に近いようなことばかり話すようになっていた。

それとは別で、やることや行動範囲は大きくなっていった。
大学院生としては、論文発表や建築視察などで国内外問わず頻繁に沖縄を出て色んなところに行くようになったし、親友とアートユニットを結成して作ったアート作品を東京で展示したり、少しでも空き時間を見つけると、これも国内外問わず気になる建築物やエリアに足を運んだりした。

この3年間は、「建築」を軸としてしっかりさせることで、それを元に様々な行動や発言をすることが自然にできるようになった。また、建築のことを勉強して少し理解が深まったおかげで、建築のことを言語化することが前よりもできるようになったし、人に伝えられるようになった。するとそれに合わせて、話している相手からも建築についての話を聞くことができるようになった。私が建築の話をしてもしっかり聞いてくれて、受け入れてくれて、会話をすることができる人が徐々に増えていくことがとても楽しくて、私は本当に建築の話ばかりするようになっていた。

そして、今まではあまりなかったのだが、私のことに興味を持って接してくれる人が増えた気がする。それは世代を問わず、先輩から後輩まで幅広かった。今までは私から人との繋がりを作ろうとしていたのに対して、ここでは向こうから寄って来てくれるというか、関わってくれるような感じである。

私は、こうやって今までとは違う人との繋がりが出来上がっていくのを実感していた。でも、この感覚は今でも上手く言語化できない。する必要もないのかもしれないが、忘れたくないのも確かである。

私の沖縄での6年間は、ざっとこんな感じだった。
うん、全くと言っていいほどにまとまっていない。だが、本当にこんな感じだった。

最後に

今思うと、大学生活はずっと見えない何かと必死に戦っていたような気がしている。しかも大体は1人で、静かに戦っていたように思う。

最初の3年間は、周りの環境、特に人間関係と戦っていた。上手く馴染むように、誰かと誰かの間にいるように、自分の居心地が良い場所を探していたような気がする。
しかし後の3年間は、ひたすら自分と戦っていた。周りがどうこうというよりも、自分はどう思っているのか、何がしたいのか、どうしたいのか、自問自答を続けていた。

そう考えたときに沖縄という場所は、日本本土からもアジア大陸からも距離が離れている離島であり、独特の道を歩んできた歴史とそれによって形成された文化が色濃く残っていて、自分自身を見つめ直すのにうってつけの場所だったのかもしれないと思った。

そんな沖縄で出会った、私と仲良くしてくれた人たちは、力強く、逞しくて、とても優しかった。皆さんのおかげで、私は次のステップに進むための場所にようやくたどり着くことができたと思っている。
わがままで気分屋で、思ったことがすぐに口から出てしまうような私によくしてくれた皆さん、本当にありがとうございました。

沖縄で過ごした6年間は、最初から最後まで私と周りの誰かとの関係に左右されつつゆらゆら何となく進み、自分自身の考え方や行動の変化とともに、色々なことが流動的に変化していくような、そんな時間だった。

私はそんな時間を楽しく過ごすことができた。

もうすぐ日が変わってしまうのでそろそろ終わらないといけない。
最後だし、いい感じに未来への抱負とかそれに向けての目標とかをカッコよく決めたいのだが、もうそんなことできそうな時間はない。

いつの日か、お世話になった人たちにいい報告ができるように、明日からも生きていきたいと思う。
今はただこれだけしか言えないが、ただこれだけで良いと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?