見出し画像

信州には蕎麦とおやき以外、何もないから…などと、信州人にはよく言われるけれど…。【食肉文化】

【食肉文化】
信州人はその歴史上、肉食の文化と、もっとも長く向き合ってきた人々なのではないかと思う。
縄文の狩猟文化以来、肉食の伝統が廃れることのなかった地域のひとつが信州であった。
東北地方の山間部もまた、続縄文文化・蝦夷文化・マタギ文化と、ぼんやりとした連続性をもって、狩猟・肉食文化を保持し続けていたけれども、
縄文人と蝦夷、蝦夷とマタギの歴史とが、実際、断絶なく繋がっているものかどうかは、東北地方の文化を否定的に見る方に言わせれば、確証のないことなのだろう。
各地のマタギは、阿仁マタギに始まるという伝承があるけれども、その阿仁マタギの文化は、縄文から連綿と受け継がれてきたものであるように思う。
マタギの文化や精神性は、一度失われてしまったならば、再び取り戻すことは困難であろうと思うからである。
一方で、信州の狩猟・肉食の文化は、縄文からの信仰を次々と上書きして育っていく諏訪信仰の存在によって、その存続を裏打ちされていた。
東北の文化の歴史的連続性を否定する方であっても、諏訪信仰の縄文時代からの連続性を否定する方は少なかろうと思う。
諏訪信仰の外の世界では、仏教思想の広がりに伴って、肉食の文化は表向きには廃れていくことになった。
仏教を国家宗教とするに至った古代日本では、仏教の殺生戒の思想に基づき、獣肉食をタブー視するようになっていく。
その肉食タブー視の歴史は古く、天武天皇の肉食禁止令など、飛鳥白鳳の時代にまで遡り着いてしまうのである。
江戸時代には、寺請制度と宗門人別改帳が戸籍の代用として機能し、人別改帳から外された者は無宿者とされるため、仏教の殺生戒は、寺の檀家たちのあいだで非常に強い影響力を持つことになった。
兎を一羽二羽と鳥のように数える風習も、馬を桜、猪を牡丹、鹿を紅葉、鶏を柏と言い換える肉の隠語の風習もまた、獣肉食を忌むべきこととした思想から始まっているとされる。
そんな肉食を禁じられた日本にあって、鹿食免(かじきめん)という免状と、鹿食箸の頒布によって、肉食の禁を免除させることの出来る存在こそが、諏訪大社であった。
信州は実におもしろい土地柄で、一方では、あらゆる衆生の救いを志向する善光寺という無宗派仏教の大寺院を有しながら、一方では、業深き弱肉強食の現世を業深きまま生き切ることに赦しを与える諏訪信仰を有する。
鹿食免には、諏訪の勘文という一文が書かれている。
成仏することの出来ない禽獣を、人が食して人身に宿すことによって、その人身とともに禽獣をも成仏させるという意味合いの内容である。
獣肉を食するのは、究極的には慈悲の心であって、仏教の殺生戒と矛盾するものではない。
はなはだ都合のよい言い分に聞こえるかもしれない肉食免除の主張であるが、秋田に生まれ、阿仁マタギの思想などに触れて育ってきた者としては、そこに、大自然と生命への深い崇拝や祈りを感ぜずにはいられない。
生物は、(植物も含めて)生物を食さなければ、生きていくことが出来ない。
宮澤賢治の小説の中に、殺生戒を突き詰めていけば、土の上を歩くことも、息をすることも出来なくなるという内容の作品があったけれども、彼もまた岩手のマタギ文化と深く接していたし、東北人の持っている個性の中には、そんなマタギ由来の自然観や生命への祈りが、どこかで通奏低音として鳴り響いているように思う。
そして、そんな通奏低音を同じように鳴り響かせているのが、善光寺と諏訪大社を合わせ持つ、ここ信州であるように思うのである。


信州人は、牛・豚・鶏は言うに及ばず、さまざまな禽獣の肉を食す。
信州ジビエと言えば、昨今では、銃猟で得られた野生動物の肉を調理する、おしゃれな食文化として一部の層に人気である。
近隣のスーパーもまた、牛・豚・鶏の肉だけを扱っているところは少なく、羊・馬の肉が精肉コーナーに普通に並んでいたりするし、冷凍の鹿や猪の肉が置かれていることも珍しくない。
なかでも、羊肉は、信州のスーパーでは、牛・豚・鶏に続く第四の肉として普通に扱われている。
あまり外部に向けてアピールすることはないものの、信州は、北海道と並んで羊肉料理ジンギスカンの盛んな土地なのである。
近代に入って羊毛を得るための羊の飼育に取り組んだ長野市信州新町は、羊毛だけでなく羊肉を食べる文化もまた信州にもたらし、信州ジンギスカン発祥の地とされているけれども、ジンギスカン料理の店が並ぶ信州新町は、ジンギスカン街道なる愛称で呼ばれている。
ラムやマトンなんて羊肉の種類の違いなど、信州に来るまでは気にしたことなどなかったけれども、スーパーにラムもマトンも並んでいるとなると、嫌でも気にするようになってしまう。
軽井沢のスーパー総菜コーナーにラムチョップが並んでいれば、伊那のローメンに入れる肉にはマトンが好ましいなどという。
あまりに羊肉が市民権を得ていて、少しばかりのカルチャーショックを受けてしまった。


その羊肉よりも歴史的に古いと思われるのが、馬肉の文化であろう。
信州は、古来、馬の放牧が盛んだった土地でもあるから、もちろん馬の肉も重要な蛋白源となった。
歴史において信州が、中央の歴史に裏から影響力を行使しているように見えてくるのも、流通経済においても軍事においても重要な、馬の生産地としてほかの地域を圧倒していたからであっただろう。
古墳時代の渡来人植民、天武天皇の科野遷都計画、木曽義仲や北条時行の擁立まで、信州の歴史は、馬産地としての性格抜きにしては考えられないように思う。
四門九戸牧や南部曲がり屋、チャグチャグ馬コなどで有名な、岩手県北部から青森県東部の地域もまた、馬産地として、馬との生活文化の豊かな土地であるけれども、現代の信州では岩手県で見られるような馬との生活文化はなかなか見つけられないようになっている。
馬との生活文化を信州の日常の中に見ようとするなら、道端の石の祠に目を落とすことである。
信州の街道に多い馬頭観音や道祖神は、道中亡くなった愛馬の供養のために建てられたものも多いのだという。
そんな信州で販売されている馬肉と言えば、圧倒的に、馬刺しである。
さすがに、どこの地域でも簡単に馬肉が手に入るというところまではいかないから、長野市で馬刺しを買いたいときには精肉店を利用することになるが、南信の伊那地域などでは、スーパーのお惣菜コーナーに、馬刺しが並んでいることも多い。
北秋田や十和田、会津など、馬肉を特産としている土地は、羊肉と比べれば多いけれども、それでも信州における馬肉の身近さには驚く。
北秋田などで食べられる、なんこなどの煮込み用の馬肉は精肉店にもないそうだから、まず、食用とする馬の品種が違うのかもしれない。
伊那などの南信では、けたぐり(蹴たぐり)と言えば、馬刺し、おたぐり(お手繰り)と言えば、馬のもつ煮のことを指す。
もつ煮となれば、お隣、群馬県や山梨県も有名なもつ煮を持っているので、上州・甲州を巻き込んで、このあたり三つ巴のもつ煮地帯と言えなくもない。
上州・豚もつ煮、甲州・鶏もつ煮、そして信州・馬もつ煮、「もつ煮三国志」とでも称して、三県合同でのもつ煮イベントでも開催すればいいのになどと思ったりする。


牛肉・豚肉・鶏肉については、普通過ぎてあまり書くこともなさそうに思うのだが、一応言及しておく。
美ヶ原や白樺高原、蓼科高原など、放牧された牛たちが悠然と暮らしていて、牛乳・チーズ・ヨーグルトなどの酪農製品も、ほぼ自前で作れる信州であるから、畜肉もまた、信州和牛や信州アルプス牛、みゆきポークや蓼科麦豚、黄金シャモや福味鶏などのブランド肉を豊富に抱える。
けれどもそれ以上に、鶏肉や豚肉に関しては、信州の人たちがこだわるのは、その食べ方の方であろう。
鶏肉ならば、ニンニク醤油に漬け込んで揚げた塩尻発祥の山賊焼き、豚肉ならば、旨味ソースをたっぷり絡めた駒ヶ根ソースかつ丼などが、ソウルフードとして愛されている。
上田市では、串のままの焼き鳥を、美味だれ(おいだれ)というニンニク醤油ベースのタレにどぼんと浸して食べるのが、居酒屋の主流のスタイルとなっていて、山賊焼きや美味だれに見られるニンニク醤油ベースのタレは、信州人のソウルフードのひとつであるのかもしれない。
桜祭りの雰囲気の中で味わう、キッチンカーの焼き鳥の、つくねの焦げ目に美味だれの組み合わせは、まこともって最強である。
一方、軽井沢ではハムやソーセージなどの加工肉製品の製造が盛んであり、軽井沢に拠点を持った趣味人たちの愉しみのひとつとして、自家製燻製肉の文化が根付いているように思える。
ハーブ入りソーセージなどのおしゃれな燻製肉が、軽井沢発で流通しており、ワイルドなイメージの肉食文化の中におしゃれな清涼剤を添えていることも、信州の食肉文化の奥行きの深さとなっていよう。


一般的にジビエと言えば猪の肉になることが多いと思うけれども、信州でのジビエの筆頭は鹿の肉のようである。
先の諏訪信仰の話題でも扱ったように、鹿は、昔から信州の獣肉の代表でもあったであろう。
諏訪大社・上社の御頭祭で捧げられるものは、鹿の頭である。
原初・諏訪信仰以来の、鹿肉リスペクトと言えるだろうか。
さすがに畜肉としては流通しないので、すべて野生に育った鹿の肉、ジビエ肉ということになるわけであるが、信州のスーパーでは、そんなジビエの鹿肉でさえ、冷凍ではあるものの普通に売られている店舗がある。
南信・飯田の遠山郷地域には、ジビエ肉ジンギスカンの製造メーカーがあって、鹿ジンギスや猪ジンギスが、信州全域の流通網に乗っかっていることが大きいと思われる。
近年の鹿の森林食害も手伝って、今後さらに鹿肉は注目されていくべき食材であろう。
上田市の千曲川沿いの道の駅には、馬肉と鹿肉の合い挽き肉によるハンバーガー、その名も馬鹿バーガーなるものが売られていて、馬鹿馬鹿しいけれども将来性を感じてしまった。
これだけの種類の豊富な食肉が、地元のスーパーの食品売り場に並んでいる土地というのは、やはり珍しいと思うのだ。
諏訪信仰によって維持されてきた肉食の文化が、この地域に与えている心理的影響というのは無視できないはずである。


諏訪大社・上社では、鹿人(ろくびと)という役職が、金井氏によって世襲されていた。
鹿人とは、御頭祭などの神事や直会のときに捧げられる神饌供物を調理する、料理人に相当する役職である。
上社前宮・十間廊に75の鹿の頭(現在では剥製)を捧げる御頭祭は、農耕文化の上に発展した日本の神社ではほかに例を見ない、血の匂いのする儀式である。
御頭祭は、縄文の狩猟文化を色濃く残した神事であり、神社神道の神事というよりは、アイヌのイオマンテ(熊送り)や、マタギのケボカイの儀式に通ずるものがあると思う。
秋田の阿仁マタギの用いるケボカイ(ケボケ)という言葉は、獲物の解体を意味する言葉であるが、このケボカイ(ケボケ)なしには獣肉を食することは出来ない。
一般に不浄視されることの多い血や臓物といったものは、狩猟文化にとっては決してタブー視されるものではなく、むしろ、大自然の摂理の理解や、生命の尊厳を知るうえで必要不可欠なものであっただろう。
鹿人は、単に鹿肉を調理していたわけではなく、鹿の脳や内臓についても食材として扱っていたというから、諏訪においても、解体と調理とが切っても切り離せない行為であることが伝わってくるのである。
鹿人の料理を考えるとき、わたしにはなぜか、阿仁マタギに伝わる、「ヨドミ」という料理が思い起こされる。
「ヨドミ」とは、カモシカの内臓と、その内臓の中に残されている木の芽などの未消化物を食材として用いる料理である。
特に、タラノメをたらふく食べたカモシカの「ヨドミ」料理は、香りも味も絶品であるという言い伝えであるが、カモシカが天然記念物となっている現代では、哀しいことであるけれども根絶していく食文化なのであろう。
食文化という歴史民俗的な遺産と、生物多様性という自然的な遺産との折り合いは、とても難しいものである。
生命の余剰分をいただくという、縄文的・マタギ的な考え方、そして現代の山菜採りたちのマナー的な考え方をもってしても、解決することは出来ない。
肉食の文化とは、その行き着くところは、自然観の確認であり、生命観の発見であると思う。
イオマンテやケボカイの儀式が、獣となって下りてきた神を天に送り返すように、諏訪の勘文もまた、自らが食べることにより禽獣の成仏を願う。
単に、肉を食べるという行為。
しかし、その中に圧倒的な精神性を秘めている信州ジビエ文化(そしてまた東北のマタギ文化)は、誇りに思っていい名産品であると思うのであるが、誇大に表現しすぎであろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?