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山菜夜話9 シドケ

シドケとの出逢いには、いつも何がしかのドラマがある。小滝のほとりの苔むした岩のかたわらに育つ、シドケの草姿を偶然に見つけたときは、思わず、はっと息を呑む。飛沫を浴びて、シドケの葉は濡れそぼり、茎はますますその透明感を増して、枝沢の風景を飾るかのように、しとやかにたたずんでいる。モミジの樹の萌え出しか、ひこばえのようにも見えなくもないその姿につけられた、シドケの正式な呼び名はモミジガサである。名前もまた風情のかたまりとなっていて、眼で見ている光景に対して、概念上からも興を添える。なんと美しいものかと、手折ることさえも忘れて見入ってしまうが、そこは山菜採りの性というもので、立ち去り際には幾本かの株をその手の中に収めている。紅葉することのないモミジの葉が、垂水の先へ落ちかかるようにその体をかしげ、一帯に危うげな緊張感をもたらしている。やや透明感のある茎の光沢は、どこか、もろさ・はかなさを感じさせて美しく、緑色からやがて紫色に染められていくその株元の色具合は、病的な美しさでさえある。まるで血の気の冷めた紫色の口唇か、アイシャドウのようにげっそり落ちくぼんだ眼瞼か、モローの絵画中の人物でもあるかのような、不健康な美しさをその身にまとっている。病める令嬢が深窓から覗き込んでいるのは、垂水の淵か。落葉することのないはずの、最後の一葉が、今、垂水の中へ落ちかかっている。まるで一幅の絵のように完成されたアングルに、思わずぐっと息を呑む。まるでドラマのワンシーンのように、脳裏に焼き付いて離れない。

シドケ1

シドケという山菜は、どこか山菜採りたちを見下すように、崖下を覗き込んで生育していることがある。どこか高潔な生まれ・育ちを思わせて、シドケを見上げている自分の存在が、とても野暮なものに思えてくる。崩落しかかる崖の上、風倒木の切株の蔭、シドケの群落が人々を睥睨するかのように凛として生い茂っている。まるで、ここまで来れるものならば、来てみるがよいとでも言わんばかりに、登るに困難な急崖の硬い岩盤の上などに、その美しい草姿を広げている。風の折られた木の幹が、シドケを守るかのように渓(たに)の底へ枝先を向けて倒れ込み、シドケのもとにたどり着くまでには、ある程度の傷と汚れを覚悟しなくてはならないだろう。崖にしがみつき、倒木の枝をかわし、下生えの草などをつかみ、這いずるようにして、シドケの根ざす場所までたどり着く。シドケももはや抵抗の気配はない。そうまでしてシドケを追い求める理由は、その芳香と味覚にある。お浸しすれば、香りと味覚の双方を存分に愉しむことが出来よう。こきゅこきゅした歯触りとやや控えめな芳香を愉しめば、口中には何とも言えない苦味が残りあとを引く。この後味を愉しむために、シドケの睥睨にもめげることなく、泥まみれになって崖を登り、そのうちのたった数本だけをいただく。

シドケ2

或る日、山を散策していると、斜面から土砂が崩れ落ちて来ている場所に行き当たった。上を見やると、土砂に流されて斜面の途中に引っかかるようにして落ちとどまった倒木の幹があり、それに潰される寸前のような境遇で生い茂るシドケたちの姿があった。きつい斜面の上に根付き、土砂をかき分け葉を広げ、数本、採り頃の背丈にまで育っている。たまたま数本のシドケが根を下ろしただけの場所で、今年ほんの一瞬だけ採集可能な場所といった趣きではあったが、それでも、シドケという山菜に対しての礼儀から、すべての株を採る切ることは控え、採るべきものと残すべきものを選別して、間引きするように採取した。運が良ければ翌年もまたここで、シドケに出遭えることを期待して、その硬い斜面を文字通り滑るように降り、その場を後にしたものだ。シドケは翌年も、その翌年もこの地に現れ、ものの2年ほどしたら、その硬い岩盤のような斜面の上は、ほかに来る人もないシドケの群生地となっていた。シドケに限らず山菜は、愛着を持って採取するべきである。畠作物の間引きのように、手入れをするごとく育てていけば、年々、採集量が増えていく喜びにも満たされる。山を育てるのもまた、山菜採りの醍醐味のひとつであることを、この数本のシドケによって教えられたのであった。

シドケ3

万葉の昔、「さわらび」という単語はモミジガサのものであった。垂水の早蕨というみやびな表現は、現代語のワラビなどには到底ふさわしくないように感じていた。太陽照り付ける草原こそ、ワラビの活躍する主な舞台なのであって、滾々とあふれ出す湧水のほとりや、苔むした岩肌に水煙がからみつくような枝沢の渓畔には、ワラビの活躍する気配はない。万葉の歌に「石走る垂水の上の早蕨」と詠みこまれているワラビとは、山菜採りたちが持つワラビのイメージからはほど遠く隔たっている。実際、山菜によく精通する先達にこの歌を紹介すれば、まずだいたいの先達が軽い違和感をもって首をひねる。ワラビは、それほど水辺に近く、それも苔むした岩肌の上になどは、顔を出さないはずである、と。ワラビと言えば、初夏のぎらつく太陽に照らされた明るい草原の開けた景が、まず第一に眼に浮かぶ。水しぶきの濡れかかるような、小さな滝の苔むしたような岩肌の上には、その姿は不似合いなのだ。この早蕨という名称は、ゼンマイを指しているのではないかという説がある。古代においては、ワラビとゼンマイというふたつのシダ植物は、そこまで明確に区別されていなかったという説である。若干、古代人を馬鹿にしていると思えなくもない説ではある。食べることに命がけだった縄文人などの古代の人類が、アク抜きしなければ食べることの出来ない毒性のあるワラビと、食するまでに手間はかかるが毒性のないゼンマイとを、明確に区別していなかったということはあり得なさそうに思えるからだ。問題は、古代の人類よりも、中古の人類の側にあるだろうか。縄文時代などに、命がけで培われた植物認識は、奈良の宮廷歌人や平安の王朝貴族には、まったく受け継がれなかったであろうから、中古の歌詠みたちには区別されていなかったという表現ならば、実に話はよく解る。けれども、綿毛にくるまれて地味な姿のゼンマイに、歌詠みの興味を誘うような、そこまでの風情があっただろうか。華やかさは、ゼンマイという山菜の本質とも異なってしまう。渓流ぎわに叢生して画になるならば、やはり、「水の上にも織る錦」と高野辰之氏の唱歌にも歌われた、モミジのその葉によく似た植物の方であろうか。モミジガサの華やかさを持ってすれば、近代の作詞家の心もまた動かし得たのではなかろうか。そして、水しぶき濡れかかる渓流のその片隅に、透き通るような緑色の茎を伸ばして、モミジの葉のような草姿をしっとりと広げるシドケの風情は、万葉歌人が愛するに違いない景観ではあろう。ゼンマイ説には、そんなシドケの持つ様式美的な美しさには欠けてしまう。一幅の絵画のような様式美的な美しさこそ、シドケという山菜のアイデンティティではあろう。

シドケ4

今、シドケは足元の枝沢のほとりに、その茎葉を美しく広げている。立ち去り際に、株から数本、間引くように折り採って、山菜採りは帰路に付く。立ち去り際も、そのシドケの草姿のある場所を幾度も幾度も振り返り、次第に遠くなっていくさまを未練のままに眺めながら、後ろ髪を引かれるようにして一歩一歩、沢をくだる。見返り美人とは、美人が見返るという意味での言葉であって、見返るほどの美人という意味ではないのであろうが、言葉の本来の語彙をたがえてでも、シドケのことを見返りの山菜であると形容したくなってしまう。垂水のほとばしる水の音が遠ざかるごとに、そのもとへ立ち戻りたくなる気持ちになり、実際、立ち戻ったことさえ幾度かある。私は、後ろ髪をひかれるままにここにとどまり、シドケの渓(たに)の墓守とでもなってしまおうか。万葉歌人・柿本人麻呂は、水辺の岩屋に幽閉されて、そこで刑死したとの説があるが、そのとき、垂水のしぶきを浴びて、豊かに茎葉を広げるシドケの姿を、人麻呂は見なかったであろうか。シドケの渓(たに)の底の方で、獄死して朽ち果てていく人麻呂の、その最期の姿を夢想する。「水底の歌」は梅原猛氏の私説ではあるが、そんな人麻呂の朽ち果て方には、どうにも羨ましきような様式美が備わっている。沢のほとりにうち棄てられて、土に還るように無実の罪を贖うなんて、なんて絵になる耽美的な朽ち果て方じゃあないか。シドケを描いた様式美的な風景画の中の、その情景の末席に加えられるのも悪くはない。その風景画の中にあっては、生きている人間のままでは、自然の美を損ねてしまうであろうから、朽ち果てて物体となってしまってこそ、景観の美に溶け込むことが出来ようというものだ。獄死した死者のように、朽ち果てた白骨としてであれば、私のごとき野暮で卑賤な存在も、風景の一員としてそこに加わることが出来るだろうか。

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