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詩集って映画かもしれない

 詩人で映画監督でもあった福間健二さんの映画『きのう生まれたわけじゃない』を観た。この映画では、福間さんご自身が、主人公を演じておられる。福間さんは.完成3日後に倒れ、1ヵ月後そのまま帰らぬ人となられた。映画終了後、プロデューサーであり、奥様の、恵子さんのスピーチがあった。結果的に遺作になったけれども、この映画はあくまでも福間健二の過渡期の作品だとおっしゃったのが印象的だった。
 いかにも詩人が作った映画で、象徴的シーンが繰り返され、これといったストーリーがあるわけではない。パンフレットに、健二さんが「東京郊外を舞台にした、近過去でも近未来でもあるような物語」と書いておられた。
 その時、ふと、詩集って映画かもしれないと、思った。一つ一つの詩篇が俳優。詩人は、原作者であり、監督だ。詩の配列を工夫することで、詩の単体では表現できなかった「シーン」と「ストーリー」が生まれる。俳優が良くても監督がダメだったら、佳い詩集は生まれない。私の新しい詩集『水栽培の猫』の制作にあたっては、詩人のNさん、編集者のFさんから適切なアドバイスをいただいた。お二人はまさしく、映画で言う所のプロデューサーだ。裏方として、いつも私を支えてくださった。新詩集も、私にとっては「過渡期」である。より、私らしいものを求めて、書き続ける。

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