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18歳の原点            郵便局でのあれこれ 1

タイトルは高野悦子の本のパクリです。

以前、私が高卒であることを書きましたが高卒で最初に就職したところは当時まだ郵政省であった郵便局で緑色だった制服を着てエイチラオイチラ郵便配達、そしてよく問題になる郵便商品(年賀状・切手・小包)の営業に従事しておりました。
今は転職して民間メーカー勤めですが、思い出すと郵便局の営業にかける執念は凄かったなあ。
私が幸いしたのは配属された班の班長が地元出身で配達先に顔が利いたので地元に根付いてる商店や企業(そのほとんどが家族経営や零細)に班長が営業をかけその成果を班員に割り振ってくれたことです。それが無ければ「自爆営業」で自宅にはゆーぱっくのカレー・ラーメン・デザートの商品で埋め尽くされていたことでしょう。在職中は自爆営業をせずに済みました。班長に感謝。

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郵便局勤めは5年間でしたがあの時経験したことのネタは余りありすぎてここでは書ききれません。何度かにわけて記事にしていきたいと思います。ただ1つあげるなら簡易保険の不正営業の問題が明るみになった時、何も驚かなくて「やっと表沙汰になったか」という感想でした。
というのも、郵政省時代から貯金・簡保部門は営業ノルマ(ちなみに「ノルマ」という言葉は使われておらず、三事業共通で「目標」という言葉が使われていました)は厳しく借名・架空契約が横行していたのは労働組合も含めて公然の秘密であったからです。

郵便局というのはヒエラルキーがものすごい所です。郵便局に限らず三公社五現業と言われているところはどこも同じです。当時の郵政省でいうと本省採用のⅠ種→Ⅱ種→Ⅲ種→地方郵政局採用の郵政内務職→郵政外務職という歴然としたヒエラルキーが存在していました。ちなみに私は郵政外務職試験を受けて配達員として採用されました。
とはいいつつも安定した職場だということで民間企業で苦労したくないというだらけた考えの持ち主が沢山郵便局にやってきます。私も正直その1人です。
郵便局に入って私が驚いたのは国公立早慶からFランまで大卒の人が沢山郵便配達に従事していたことです。私の知っている東大出身の配達員は学生運動経験者でした。この学生運動経験者は郵政に限らず公務員職場に多いです。当時仲良くしていたプロレス観戦仲間のIさんは一橋大学を出て東京銀行を経て郵便配達に転職してきました。転職理由が「プロレスを観る時間が欲しかったから」
ちなみに当時(1990年代後半)の郵政省だけでなくいわゆる一般公務員(Ⅲ種・地方初級・現業職)として採用される人の割合はあくまでも私の見立てですが大卒4割、高卒1割、転職者1割、そして公務員予備校が4割といったところでしょうか?この公務員予備校には高卒・大卒者も含まれるので確かな数字ではありませんが。当時は就職氷河期で高卒対象の公務員職に多数の大卒が押し掛ける事態となっておりました。ち

右も左も分からないような高卒で郵便局に就職した私ですが周りに大卒者が沢山いて関りをもてたことは多角的な物の見方(客観性)、教養といったものを育むこととなり大変お世話になりました。
語弊誤解を恐れずにいうならば私が出会った高卒者は物の見方が狭い人、合理性を欠く人が多かったです。私も未だにその1人。一方大卒者は考えもスマートかつ合理的、論理性も高い人が多かったような気がします。もちろんその正反対の人もいて大卒者でもどうしようもない人がいたし高卒で海外に渡り英語ペラペラで教養もあり人脈豊富なビジネスマンもいましたが…

とりもなおさず18歳から23歳まで就いていた郵便局の思い出話でした。

続く…



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