多和田葉子『献灯使』読書会レジュメ(2016/7/17)


多和田葉子『献灯使』読書会
(ページ番号は講談社の単行本に対応)

 ◎「献灯使」の世界
●世界同時鎖国状態
→ 外部・他者の喪失?
外国語の輸入出 = 相対化の確保?
 
●日本の描写
・外来語の禁止
・鎖国→ 沖縄が外国的になっている
・国会、警察の民営化
・脱電力化→ 情報不足状態、ミニマムライフ
・家族制度の希薄化
・日本語の変容 (「御婦裸淫の日」「未知案内」)(「迷惑」「ありがとう」は死語)
→ 管理社会化の中で民主主義が曖昧に残っている
→ ガラパゴス化? ディストピア? 治癒期間?
 
●二つの文体の混成
・義郎の視点
=歴史を語る文体  (小説を覆う文体、線的)
 
・無名の視点/無名への視点
=異化作用を持つ文体 (描写を通して自明性を奪う)
 
・反寓話化
p160 そう思っているうちに後頭部から手袋をはめて伸びてきた闇に脳味噌をごっそりつかまれ、無名は真っ暗な海峡の深みに落ちていった。
→ 結末の無効化=歴史を語る文体からの脱出=出国
 
●「制度/物語」の疲弊
P103 実家の古時計
P108 九十九歳の誕生日
P140  あらゆる風習がでんぐり返しを繰り返すようになって、大人が「こうすれば正しい」と確信をもって教えてやれることがずんずん減っていった。
→ 物質がむきだしにされる世界へ
 
多和田葉子について
・動物を書く作家
・無人称作家
 
「多和田は、「かかとを失くして」執筆当時を振り返り、〈かかと〉のない小説が書きたかったと語る、〈かかと〉のない文学とは、「つまさきが地についているからこそ、絶えずころびそうになっている文学」だと定義される(『かかとのうわごと』)。無論、「三人関係」も「文字移植」も〈かかと〉のない文学である。これらのラディカルな言語観・文学観に基づく新しい文学は、既成の読み方に安住しない〈かかと〉のない読み方へと読み手を誘ってやまない。」谷口幸代
『かかとを失くして 三人関係 文字移植』(講談社文芸文庫)解説より
 
「献灯使」+α
「献灯使」×夏目漱石「写生文」
「献灯使」×トマス・モア「ユートピア」
「献灯使」×山城むつみ「文学のプログラム」
「献灯使」×「不死の島」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?